中央公論新社の担当者からファックスがきました。きょうの東京新聞夕刊に載ったという
秋山駿氏による『武揚伝』書評。
「長崎伝習所での勉強や、オランダでの学習の日々が、たいへんみずみずしい。
みごとな青春小説といってもいい」
そうか、青春小説と読んでもらうのもいいな。とくに上巻は。
月曜からじつはまた取材旅行。そのため、書きだめの日々です。
きょうは、合わせて五本の原稿のゲラ直し。五本まとまると、さすがにゲラ直しでもきつい。
きょうは、珍しく晩酌して眠ることにします。
当地は昨夜から雨。完全に秋の様相です。
01/08/31
週刊ポスト『疾駆する夢』、70年代技術競争の章、を書き終えました。
次の章は、日米自動車摩擦と対米進出がテーマです。
架空の自動車メーカー、多門自動車は、通産省に押しつけられた輸出自主規制枠に
対抗して、アメリカ現地に工場を建設し、生産と販売の自主性を守ろうとします。
と、現実の世界のほうでは、失業率がとうとう5パーセントの水準に。
いっぽうで日経平均株価は11,000円を割り込みました。
『疾駆する夢』は、2000年6月から始まる物語で、わたしはこの時点ですでに
失業率は5パーセントになっていると予測し、構造改革が進まないために、
自動車メーカーの本社移転(日本脱出)という事態が起こる、と想定しました。
その見方は、時間軸では少し厳しかったようですが。
株価11,000円割れの理由として、日経新聞は、政府が発表した銀行不良債権処理の方針を
挙げています。「7年間で半減する」という計画ですから、何もしないのと同じ。
政府が銀行の経営に配慮して時間を与えようとしたために、
逆に銀行株が売られたわけですから皮肉です。
小泉総理は、先日までたしか「2−3年で最終処理」と発言していました。
前の森総理は、クリントン大統領に「半年で処理する」と約束しています(帰国後、否定)。
要するに、相変わらずずるずると、処理の先延ばしがおこなわれている。
日本経済にはむしろ、引き延ばしをしている余裕はないはずなのですが。
いくつかの悲観的なシミュレーションで、21世紀の前半(それもわりあい早い時期)に、
日本という国家は消滅する、という予測があります。経済のクラッシュのあとに、
完全に国家は解体する、というものです(ソ連邦、という現実の例がありました)。
でもこれって、ほんとうに悲観的すぎる予測なのでしょうか。
01/08/30
癒し系の話題をひとつ。
近くの離農農家跡を別荘にして、毎夏当地にやってくるご家族がいます。
ご夫婦と、高校一年生を頭に女の子が三人、ラブラドール・リトリーバー一匹という家族構成。
このご家族が散歩中、三匹の捨て犬を見つけました。雑種で、生後二カ月ぐらい。
都会に住む飼い主が、わざわざ当地まで連れてきて捨てていったのでしょう。
この子犬たちが、このご家族の女の子たちや、その友人たちに、すっかりなついてしまった。
でも、ご両親は、これ以上犬は飼えないと、保健所に連れてゆくことを宣言しました。
女の子たちはこれに猛反発。ご両親に、「帰るまでになんとかもらってくれるひとを見つけるから
保健所には連れてゆかないで」と懇願したのです。それから女の子たちは
近所の農家にあたったり、東京の友人たちに電話をかけまくったり、
家族が使っている自動車のリアガラスに「子犬あげます」と貼り紙をしたり、
里親探しに懸命になった。でも、もらい手はみつからず、とうとう明日は東京に帰る、
という日がきてしまいました。
きょうは、当地の草競馬の日。町の競馬場に、大勢のひとが集まる日です。
女の子たちは、大きな看板を作って、この競馬場に子犬たちを連れてゆき、
屋台の並ぶ一角で、子犬をもらってください、と事情を説明しつつ必死でアピール。
そうすると、二時間ほどのあいだに、もらい手が三組現れ、
子犬は三匹とも引き取られていったのです。
三匹目のもらい手は、べつの小さな三人姉妹。
長いこと子犬の前を行ったりきたりしていたのですが、
最後には携帯電話でお母さんの許しを得て、残った一匹を引き取っていったのでした。
三匹目の引き取り手が決まったときは、屋台のおじさんおばさんたちから、
期せずして拍手が起こりました。女の子たち、少し照れくさそうでした。
ことの一部始終を見聞きしていたので、これを話題にしたくなりました(なぜか、
文体は童話ふうになってしまいました)。
子犬の行く末に安堵したというよりは、この三姉妹(とその友人たち)が見せた
行動力や社会との向き合いかたに感嘆した、という想いです。
ほんとうはきょうは『ひとりごと』のほうに、腹立たしいことをいくつか
(鈴木宗男の『アイヌ同化発言』とかを)書こうかと考えていたのですが、よします。
01/08/26
中島敦『南島譚」の文庫解説を引き受けました。
標題の小品ほか、家族に宛てた書簡などをまとめたもので、中公文庫。
中島敦のこちらの方面の作品を読むのは初めてです。こんな作品があることも知らなかった。
わたしは、91年92年と、ナウルやトラック、ポナペなど、南の島を集中的に取材した
ことがありますが、この取材の前に読んでおくべき作品群でした。
これらは中島敦が南洋庁に勤めていた昭和16年から17年にかけて書かれたもので、
彼は17年に死んでいますから、ほとんど遺作に近いということになります。
書かれた時代も、またじつに興味深い。書簡など、日付が16年12月8日に近づいてくるに連れて、
読んでいるわたしの心臓も苦しくなってくる。とてもサスペンスフルでした。
わたしはパラオには行っていないので、この島については知らないのですが、
小林信彦と池沢夏樹の南の島を舞台にした作品は、
明らかに場所はパラオと特定できるそうです。パラオはかなり物書きの想像力を刺激してくれる
島なのかもしれません。わたしは自身はナウルを舞台に、
『ネプチューンの迷宮』を書いたのですが。
01/08/24
この近況でも書いた「キューバのふしぎな日本人」(正確には、困った日本人、でしょうか)
から手紙がきました。サンチアゴで撮ってくれた写真が入っていましたが、
キューバ滞在中に書いたらしい便箋も一枚。通訳兼ガイドのホセの悪口が書き連ねてあります。
まるで役に立たず、とうとうカヨココという町で「逃げ出した」とか。
ホセは絶対あの日本人の振る舞いに我慢できるはずがない、と感じていましたので
旅行の途中で逃げ出したと記されても驚きません。それに「逃げた」とあっても、
たぶんホセはきちんと「これ以上あなたのお世話はできません」と、
あいさつはしていったでしょう。
勤務する旅行代理店の業務をいわば放り投げ、外国人を地方に置き去りにするわけですから、
見方によればホセはかなりとんでもないことをしたわけですが、無理もない。
事態が深刻になる前に、ホセがこのひとから離れた判断を、わたしは支持しますね。
と、ご本人が読んでいないこのサイトにこう書き込むのもアンフェアなので、
写真のお礼を書くついでに、同じ主旨のことを書くことにしましょう。
01/08/23
お盆休みも終わったからということでしょう。昨日きょうと、編集者からの電話連絡が
いくつもたて続けにありました。台風ですが、出版業界は動きだしたのですね。
原稿の締め切りも、ふたつ。
eメールで赤旗日曜版4回分と、月刊プレイボーイの『カストロ伝』第28回
(あと1回で終了です)を送稿しました。月刊プレイボーイ28回はキューバ危機の部分で、
キューバの側から見たキューバ危機を描いています。
この原稿を送ってしまうと、ちょっと虚脱状態です。
台風接近中とはいえ、いま雨は上がっており、風もない。
町に出てもいいな、と思ったけれども、目にはものもらいができているし、静かに仕事場にいよう。
そういえばきょうは東京では知人の社交行事がある日でした。
台風の中、出席するひとはたいへんと思うけど、もう通過ずみでしょうか。
角川春樹事務所の書き下ろし、さあ書くぞ、と何度も腰を上げながら、その都度
ゲラの直しやら、連載やら、目の前の仕事が詰まってしまいます。
まずい、とにかく書き出さなきゃ。
絶版だった『ネプチューンの迷宮』が、徳間文庫から12月に出ることになりました。
冒険小説フェアのラインナップのひとつだそうです。
『迷宮』という言葉の使い方には問題があるとわかりましたが、タイトルはこのままでゆきます。
ぽつりぽつりと編集者各位から、『武揚伝』についての感想が、eメールや手紙で
届くようになりました。みなさん、やはりお盆休みの課題図書にしていたようです。
大作ですので、それしか読む時間はなかったでしょう。
まだの諸兄、感想お待ちしています。
01/08/22
溜め息が出るくらいに美しい快晴が、二日続きました。
昨日は、その快晴の空の下、仕事場の庭で近所のひとたちとバーベキュー。
近くの離農農家跡を買って別荘としているご家族が、この夏も東京からやってきたので、
このご家族を中心にしての集まりとなりました。
快晴なので、日が落ちるとどんどん気温が下がります。
寒くなるいっぽう、星空はどんどん冴えわたる。
あまりこの星空がきれいなので、なかなか解散できませんでした。
最後はみな冬用のジャケットを着込み、焚き火を燃やして空を眺め続けたくらいです。
東京からきたひとりの高校生が、星空を見て言っていました。
「白いところは雲かと思ったら、天の川なんですね。こんな天の川、初めて見ました」
昨夜の星空は、当地でも今年のベストワン級の見事さだったように思います。
今朝、当地の知り合いから、昨夜は星を見ていたとメール。
わたしたちばかりではなく、昨夜は当地、星空を見ていたひとがかなり多かったのでしょう。
で、思いますが、この地方の短い夏は、たぶん三日前の夜に終わっていたのですね。
一昨日の朝からは、もう秋だったのでした。
01/08/19
先日、地域の盆踊り大会に参加してビールを飲んでいたときです。
それまで話したことはなかった農家のひとから、こう言われました。
「佐々木さんは、家の前のあかり、とうとう消させたんだね」
例の、まるで役に立たず、それでいて景観破壊のはなはだしい
「自発光式大型視線誘導標」のことです。
その言葉に、あっと気づきました。
わたしは、きっと、ゴネてゴネて、
自分の家の前だけ公共事業を拒絶した、と誤解されているのだろうと。
この誘導標に関しては、わたしは、
肝心のときに役に立たないしろものであるばかりか、
田園の美しい夜を破壊し、周辺住人の神経をさいなむと、ほうぼうに訴えてきました。
その結果、北海道土木現業所の中標津出張所が改善に乗り出し、現業所は、
「霧や吹雪の日には確実に点灯し、不要なときには点灯しない」ものに改善すべく
センサーを替えて試験をすることになりました。
とりあえずわたしの仕事場の前あたり前後1キロメートルが試験区間となり、
わたしはいまその試験のモニターを受け持っています。作動は正常かどうか、
必要なときに点灯しているかどうか、不定期に現業所に報告しているのですが、
いまは不要なときは点灯していないことが多いので(しばしば誤作動しますが)、
一見、まったく点灯させていない、もしくは撤去したと見えるのでしょう。
この土木現業所中標津出張所の取り組みについては、
地方版の新聞記事になったときにこれを地域の集まりで回覧して、
事情を報告したつもりでした。
でも、やはり誤解を受けていたようです。
わたしは、改善はわたしの仕事場前だけではなく、全道のすべてで
行われるべきだと思っていますし、そもそもこの公共事業の優先度や緊急性は、
けっして高いものではあるまいと考え、そう主張し続けているのですが。
「とうとう消させたんだね」
この言葉に、少ししょぼりとなりました。
01/08/17
わたしの牧場では、知人のペイント・ホースを一頭預かっていますが、
この馬の皮膚病が、かなり深刻なものになってきました。
俗に「オグシ」と呼ばれる病気で、たてがみが抜ける。
預かっているペイント・ホースは、この症状が一部背中に、
そして尻尾の根元にまで広がりました。尻尾など、脱毛が激しく、
まるで象の尾を連想させる状態です。
で、大型動物も診てくれるという獣医さんにきてもらったのですが、
この獣医さんがほかの獣医さんにも相談して出した診断と対策。
「虫に刺されてかゆいので、首や尻をあちこちにこすりつけるせいで、
皮膚が炎症を起こしているのです。もともと皮膚の弱い個体なのでしょう。
対策としては、昼間は暗い厩舎に入れ、夜だけ放牧するというかたちで、
虫を寄せつけないという手があります。
炎症どめの薬や消毒薬もありますが、地面にゴロする状態では、塗り薬も
無意味でしょう。虫がいない季節になれば治るでしょう」というもの。
要するに、どうしようもないのですね。
気温が急に上がったので、アブも発生しています。
馬たちは日中はずっとアブの群れにまとわりつかれ、かなりナーバスになっています。
馬だって痛みやかゆみを感じないはずはなく、かといってどうしてやることもできない。
まったくかわいそうです。乾燥地やステップなどには、アブは発生するのでしょうか。
もしかすると、日本のような高温多湿の土地で馬を飼うことは、
そもそもまちがいなのかもしれない。
もっともこの地方でも、海岸沿いの馬牧場では、アブの悩みはあまりないとも聞きますが。
きょうはちょっと牧場主の気分の日記。
01/08/13
友人からつぎのようなメールがきました。
興味深い中身なので、ここにコピーします。
発信した友人の名は伏せます。
鳥取の「サメ」事件が今週初め頃、ニュースネタとして
流れてたのですが、実はその事に対してすごく憤慨しているのですが
その怒りの持って行き場所がないもので、譲さんには何の関係も
ないのですが、聞いて貰えませんか?
事の発端は、あの無粋なジェットスキーに乗った人が
我々なら普段見慣れたシュモクザメを見て、
それに驚いて通報した事に始まります。
翌朝のワイド番組では、人食い鮫が海水浴場に出没した旨の
放映をしています。その内容のほとんどが、今年だけ特別、鳥取周辺に
「サメ」が現れたような意味合いなのです。
そして、「海の家」のオヤジ達。
今まで「サメ」の存在すら知らないような顔して、
「客が来なくて心配してます。」とか、しらじらしく言ってます。
レポーターは、監視員を捕まえて「出ましたか?出ましたか?」と
大げさに大きな声を張り上げてレポートしています。
「サメ」はいつもここの海面には居るのです。
ただ、普段ヘリコプター等で観察しないから、
マスコミの連中が知らないだけです。
しかし、去年も、あの辺りの海水浴場には「サメ注意!」の立札が
立ててあったし、もう何年も前になるのですが、鳥取市の東隣の
岩戸海水浴場に餌を追ってシュモクザメが入って来て
大騒ぎになったこともあるのです。
私自身、20年ほど前から、少なくても6月から10月ぐらいまでは
あの海面で、当たり前のようにシュモクザメと出会います。
今回報じられている体長2mどころか、見渡さないといけないような
大きいのも居たりします。
地元の人達も、私達を怖がらせようと寄って来て
「ここには大きなサメが居るよ。」と言って来たりしてしてました。
事件のあった当日も、「海の家」のオヤジは金を取って、
「サメの巣」とされてる海士島まで、バナナボートに海水浴客を
乗せて、営業してました。
「海の家」のオヤジ達が「サメ」の存在を知らない訳がありません!
「サメ」が危険なら、どうしてそんな海面に客を乗せて
出て行くのでしょうか?
そして、この騒ぎを終わらせる為に駆除と言う大義名分のもと
「サメ」達は訳も無く虐殺されてしまいます。
また人間の都合だけの為に、野生動物が意味もなく殺されて
しまうのです。
人間のたったこの2〜3週間の海水浴の為だけに
今「サメ」達は殺されてしまうのです。
なんか、持って行き場のないやりきれない気持ちでいっぱいです。
すみません。お忙しい中、こんなメールしてしまいました。
01/08/11
快晴です。仕事場にもどって以来初めて見る青空。気温も上がっています。
ようやく当地にも夏がきたか。
この数日、地元の知り合いたちのメールでは、ストーブをつけた、うちもだ、と言った
話題が飛び交っていたのです。東京の酷暑の報道はまるで別世界のできごとのようでした。
昨日、十勝・広尾町の大事件で、某局の女性レポーターはアウトドア・ジャケットを着て
テレビに写っていました。十勝地方も寒かったのですね。
『鷲と虎』文庫版ゲラ直しを編集部へ返送。
主人公ふたりの決闘の結末部分を書き換えました。
単行本で「この終わりかたは不満だ」と感じられたかた、
文庫版にもぜひ目を通してください。
キューバの話題をもう少し。
題して「旅行者のひそかな愉しみ。『地球の歩き方』のあらさがし」
二年前に行ったときに気づいたことが3点あるので記します。
趣味のよいこととは言えないので、期間限定。
『地球の歩き方76、カリブ海2、98〜99年度版』
94P
革命博物館のジオラマについて、「戦うチェ・ゲバラとカストロ」とあるキャプションは
「ゲバラとカミロ・シエンフェーゴス」が正しい。
シエンフェーゴスはシエラ・マエストラのゲリラ戦の英雄のひとり。
農民出身で、バチスタ政権打倒直後に事故死しました。
キューバのひとびとのあいだでは、ゲバラに次ぐくらいに人気のある人物です。
同ページ
旧国会議事堂について、『歩き方』はこう記します。
「どこかで見たことのある建物だと思うのも当然。モデルはアメリカのホワイトハウスと
いうから、今となっては皮肉なものである」
ホワイトハウスではなく、アメリカの国会議事堂によく似た建物です。
112P
キャバレー・トロピカーナのショーについて。
「またある時にはほとんど何もつけていないような状態で、
つぎつぎと現れてはみごとな踊りを披露してくれる」と記されています。
でも、踊り子たちは、タイツや身体にぴったりしたシャツのようなものを着込んでおり、
肌はほとんど露出していません。社会主義国としての制約でしょう。
かぶりつきで確認。
01/08/10
時差ぼけが直りません。ふつう、東に旅行して帰ってきたときは、
さほどひどいものにはならないのですが、今回はおかしい。連日、深夜とんでもない時間に
目が覚め、夕方から猛烈な睡魔。昨夜は8時半ころにばたりと倒れて、目覚めたのが3時半です。
このまま起きてしまったらまずいと、誘眠剤を飲んでもうひと眠りし、
6時半にまた目を覚ましました。これでなんとか、通常のサイクルに復帰できたと思うのですが。
キューバのこと。
今回の革命記念日の取材では、三人の日本人が報道ビザを申請していました。
わたしと、毎日新聞メキシコシティ支局のひとと、東京のMさん。
当日は、同じ日本人同士ということで固まって取材したのですが、このMさん、
報道関係者でもなんでもないのですね。ただ写真が好きだというだけのひと。
コンッタックスの距離計連動カメラにツァイスの交換レンズセット。
それにローライフレックスのコンパクト・カメラを持っていました。
わたしはこのひとのことを最初、アマチュア写真家だけどキューバが好きで好きで、
4月に続いてこの夏も写真を撮りにきているのだと思っていました。
63歳で、デザイン会社を経営するかたでした。
ところが、会話から判断するに、ろくにキューバに知識を持っていないことがわかる。
「キューバには、帽子を作る技術がないそうです」などと、首をかしげるようなことを言い出すのです。
わたしがサンチアゴに移った二日目、彼もサンチアゴにきて、わたしのホテルに電話をくれました。
「レンタカーを借りてガイドを雇ったので、一日一緒に動きませんか」との誘い
(基本的には、親切でひとのいいおっちゃんです)、ありがたい話だったので同行したのですが、
このひと、ガイドのホセ(30歳の好青年)への扱いがすごい。
「もっと頭を使えよ」「だからどっちなんだよ?」「もっと早く教えてくれなきゃ困るだろう」と、
自分の会社の見習い社員を扱うように怒鳴りまくる。それも、かなり理不尽な理由で。
趣味だというの写真のほうも、自分が運転し、カメラはホセに預けて、
車の中から、あれを撮れ、これを撮れ、と指示するだけ。車も停めない。降りるわけでもない。
全部ガラスごしの撮影です。それも「雰囲気がある」「風情がある」と言って、
ホセに指示するのは、「ラテンの貧しい庶民生活」というコンセプトのものばかり。
ホセもだんだんいやになったようで、とうとう港近くのわりあい汚れた産業施設を
指さして訊きます。
「こんなところはどうです?」
「だめだ。汚い」
ホセは皮肉な調子で言いました。
「汚いところがお好きなんでしょう?」
昼食を食べているとき、このひとはホセに、「知ってるか」と、
西インド諸島がなぜそう呼ばれるようになったか、コロンブスの航海の話をホセにはじめます。
わたしは何か落ちがつく冗談なのだろうと思って黙って聞いたのですが、
落ちはありませんでした。つまりMさんは、
キューバのインテリであるホセ(四カ国語を話す)に対して、
本気でカリブ海の歴史を講義したのです。相手は知らないものだと決め込んでいるのでした。
キューバの事情についても、最初からまちがえた情報を頭に入れており、
現地で見聞きすることで修正してゆくことがありません。
「キューバには漁業はない。冷凍設備がないからだ」と何度か
繰り返していました。ホセが、魚はキューバの輸出品目のひとつです、と言っても、
これを聞こうともしない。耳に入ってこないようなのです。
午後もご一緒に、と誘われましたが、お断りして、その日はあとは単独行動としました。
Mさんの無神経さや、ホセに対する尊大さが我慢ならず、耐えがたかったからです。
Mさんは、その後9日間かけて、キューバ横断の撮影旅行をするとのことでしたが、
ガイドのホセが途中で切れたとしても、わたしは納得します。
長々と、(外国ではよく見かける)この手の日本人について書いたのは、ほかでもありません。
このひとはどうして簡単に報道ビザが取れたのか、ふしぎでならないのです。
わたしの苦労はなんだったのだ?
01/08/07
時差ぼけがずっと続いているのでしょうか、毎朝ずいぶん早く目が覚めます。
きょうの目覚めは四時です。でも空は快晴で、犬たちを連れての散歩は
気持ちのよいものでした。たまには早起きの日々もいいか。
当地、不在だった二週間のうち、晴れたのは三日だけだったそうです。
気温はずっと15度前後。東京とはその差20度。
昨年、一昨年と暑い夏でしたが、今年はどうやら冷夏のようです。
もっとも、これから急に猛暑が襲ってくるのかもしれませんが。
キューバの話題。
革命記念日の7月26日は、1953年の「モンカダ兵営襲撃」が敢行された日を記念したもの。
この日はサンチアゴ・デ・クーバ市のカーニバル明けの日曜日でした。
カストロは、兵営の兵士たちがみな前夜にカーニバルに参加して二日酔いに
なっていることを期待し、この日を襲撃の日と決めたのでした。
そのサンチアゴ・デ・クーバのカーニバルは、革命前はラテン・アメリカでいちばんの
盛大なものだったそうです。いまのカーニバルの様子からも、その当時の
雰囲気を想像することができます。わたしが今回の取材で目撃したカーニバルは、
ちょうど(映像などで知る)リオのカーニバルの雰囲気をもっと素朴に、土俗的に、
しかし熱くしたようなものでした。街の大通りがカーニバルのメイン・ステージとなり、
ここに、子供から大人たちまで、さまざまなグループの「連」がつぎつぎと登場して
踊りを披露するのです。
住宅街では、表通りから路地という路地まで屋台が並び、臨時のビアガーデンやディスコ、
ミニ遊園地ができて、大音響で現地の音楽が流れます。
ひとの出は夜半まで引かず、深夜十二時からは花火が上がりました。
今回、このカーニバルさなかのサンチアゴ市を訪れたことで、
キューバ革命が持っている「祝祭的性格」の理由の一端を、たしかめられたような気がします。
その日、兵営を襲撃したカストロ側の戦士たちにも、カーニバルの中に身を置いている高揚感が、
確実にあったことでしょう。
01/08/06
二度目のキューバ取材から帰ってきました。
今回はしっかりフィデル・カストロの姿を、10メートルの距離で確認です。
あの演説中に倒れた事件以降、カストロ議長の健康状態がどうなのか、その点に最大の
関心があったのですが、かなり衰弱している、というのが偽らざる印象。今回の取材は
もしかすると、かなりきわどいタイミングであったのかもしれません。
7月26日はキューバの革命記念日で、例年、カストロ議長はこの日の記念式典で
長い演説をおこなっています。でも今年は、当日になって記念式典は中止、
当然、演説もなくなりました。
代わりに、百万人を集めての記念行進の先頭を歩く、という場面が外国報道陣に対して
公開されました。このときのカストロ議長の姿は、前かがみで、視線はややうつむき加減、
歩幅こそ大きいものの、右足を軽く引きずっていました。頬はかなりこけており、
表情は何かの痛みにでも耐えているかのようです。健康状態はけっしてかんばしいものとは
見えませんでした。外国報道陣が見ることができたのは、行進のはじまる15分ほど前から、
行進開始後15分ほどの約30分間。報道陣が規制線で止められたあと、たぶん議長は
行進の先頭から退いたのだと思います。
今回のキューバでは、地方も含め、中国の影響の増大が目立ちました。
ちょうどこの4月には、江沢民がキューバを訪問していたそうです。
ハバナの一等地では中国資本による大ホテルの建設工事がはじまっており、
チャイナタウンの外には、巨大な中華門も建てられていました。
二年前には「日本人か」と聞かれることが多かったのですが、今回は「中国人か」と
聞かれることのほうが多かった。カストロ以後のキューバのありようを示す兆しと
取るべきなのでしょう。
書きたいことは山ほどあるので、おいおいアップしてゆきます。
ただ、それにしても、キューバは遠い。
昨日、仕事場に帰り着いたのですが、まだ時差ぼけが残っています。
01/08/05
昨日、中央公論社から連絡、『武揚伝』見本刷り、いま上がりました、とのこと。
送ってもらっても、わたしの上京といれちがいになるので、ぐっとこらえて
東京で受け取ることにしました。
当初の刊行予定日からずいぶん遅れていますので、ほんとに25日に出るのかどうか、
疑っていたみなさんもいることでしょう。出ます。もう確実です。
角川書店からは、『鷲と虎』文庫版の解説を誰にお願いしますかと問い合わせ。
これって、毎度けっこう悩むことです。
その作品を確実に読んでくれている、とわかっている相手でないと、
まず、読んでもらう、という負担をかけることになる。
いちばんよいのは、最近わたしが解説を書いた相手とバーターとすることです。
『牙のある時間』の若竹七海さん、『ワシントン封印工作』の佐藤正明氏も、
この事情からお願いできたものでした。
でも、このところ、わたしは解説を書いていなかったしなあ。
熱心な愛読者にお願いしたこともあります。
『仮借なき明日』『五稜郭残党伝』の解説を書いていただいた荒山徹さんは、
ある書評同人誌によく書かれていたかた(時代がちょっとずれていたら、
荒山さんはきっと自分の書評サイトを持っていたことでしょう)。
わたしの作品をじつに的確に読んでもらった、といつも感じていたので、
直接の面識はないまま、編集部から連絡をとってもらって、解説をお願いしたのでした。
いま荒山さんは作家としてデビュー、祥伝社から『高麗秘帖』ほかの朝鮮ものを
刊行しています。
べつの話題。
昨日、馬の放牧地にエゾシカが迷いこんでいました。まだ若いメス。
放牧地には、90センチの高さで牧柵がめぐらしてあるのですが、飛び越えて
入ってきたらしい。そのまま居ついてくれたらいいなと思っていたのですが
きょうは見当たりません。残念。
01/07/20
寒い。日曜の夜からずっと雨が降ってlるのですが、涼しすぎる。
昨日やってきた角川春樹事務所の担当編集者は、鳥肌をたてて震えていました。
東京との気温差は20度以上でしょうか。
とはいえ、これでも日曜日のお昼前後は、かなりの暑さでした。紫外線も強く、
わたしの腕にはみるみるうちに日光発疹ができたほどです。まだヒリヒリと痛い。
こんな繊細さでは、キューバに行ったらいったいどういうことになるんだろう。
小説すばるに短篇一本。「友近牧場シリーズ」を上げました。
とある北海道の馬牧場の一族の物語を、時間を前後させながら書き続けている連作です。
さて、きょうからまた連載原稿にもどります。
それにしても、退屈な近況です。申し訳ありません。
01/07/17
先月のインターネット接続料が、いつもの3倍以上。6万円です。
接続時間を確認してみると、たしかに使ってる。
仕事が忙しくなると、気晴らしにデスクを離れる気分の余裕もなくて、
ついついネット・サーフィンしてしまうからでしょう。
でも仕事場のあるこの土地は、たとえばフレッツ・ISDNには対応しておらず、
プロバイダーの常時接続サービスを受けることができない。
たとえ対応エリア内だとしても、ほんとうはISDNぐらいじゃなく、
もっとブロードバンドの常時接続にしたいところです。
でも、仕事場のある土地はNTT局から離れた郡部なので、
たぶん永遠にADSL回線は引かれないでしょう。
べつのテクノロジーが安価になる日を待つしかありません。
94、95年ころ、バンクーバーでインターネットを使っていたときは、
1カ月400時間使って、プロバイダー料金は20カナダ・ドル(1600円前後)でした。
アメリカ・カナダは、市内の電話料金は基本料金の中に含まれていて無料ですから、
1600円で事実上、目覚めているあいだじゅう接続しっぱなしで使うことができた。
速度は、ISDNと同じ程度のものだったでしょう(システムも似ているはずです)。
産業人の感覚はともかく、IT技術を日常で使っている市民からみれば、
日本はまちがいなく、アジアの中でもITの後進国です。
いまどきインターネット利用者の大部分がISDN程度のテクノロジーを使わざるを得ず、
しかも利用料金がべらぼう。日本にはIT革命は起こらない、という野口悠紀夫氏の予言は、
おそらくはずれることはないでしょう。
航空路線も通信事業も全面的に外国資本に市場開放しろ、というのがわたしの持論です。
そうすれば日本の市民の生活コストは半分になり、独占や保護が消えた市場には、
また新しい産業もおこるはずです。DIONの請求書を見て、いくらか真面目な嘆きと怒り。
01/07/13
昨日、某誌編集部からファックス。
「大人になってから知った、楽器演奏の魅力」というテーマで
阿部牧郎氏(オーボエを吹くそうです)と対談してほしい、というものでした。
ファックスのあとに電話がかかってきたので、こう応えました。
「ええと、あの、クラリネットを吹くのではないか、と思われているのでしょうが、
けっきょくまったく上達しないままに辞めてしまいました。お役に立てずに
申し訳ありません」
以前、自由劇場の『上海バンスキング』が上演されるたびに
リピーターとして観ていたころ、楽器演奏に激しく憧れました。
わたし自身は音楽的環境の中では育っておらず、
年代のせいか、小学校でもリコーダーさえ習わなかったように思います(ちょっと
記憶は不確かですが、わたしの学年のときは、鼓笛隊がなかったのは確実)。
でも、自由劇場では、同世代やそれ以上の年齢の俳優さんたちが、
「バンスキング」のためにゼロから楽器をはじめたという。
大人になってからの訓練でもあのように楽しく演奏できるなら自分もやってみようと、
無謀にも神保町の楽器店に飛び込んで、クラリネットを買ったことがあったのです。
舞台の上の串田和美が、ひそかな目標でした。
(ある知り合いがサックスを習いはじめた、ということにも影響されていますね、きっと)
その直後、北海道の小さな田舎町に移ったのですが、
ここの音楽教室にはクラリネットのコースはなく、独習書での練習。
応援してくれる動物たちがいたわけでもないので、
けっきょく初心者以前のレベルから進まず、三、四カ月でやめてしまいました。
やめた直接の理由は、小学生の姪っ子がやってきてわたしのクラリネットを手にとり、
はじめてなのにあっさりと音を出したことです。
彼女はたちまち指づかいをを覚えて、童謡を一曲吹いてしまった。
ショックでした。最低限このぐらいの素質がなければ楽器はやるものじゃない、と、
わたしはその場でクラリネットをその姪にプレゼントしてしまったのでした。
あとは楽器には触ったこともないという人生です。
でも、やめる直前だったでしょう、ある文芸誌の取材を受けて、
「仕事場の窓辺でクラリネットを吹く佐々木譲」という、
やらせ100パーセントの写真が載ったことがある。
そのことが、昨日の編集部の誰かの頭には記憶されていたのでしょう。
おお、恥ずかし。
01/07/10
週刊ポスト『疾駆する夢』新しい章に入りました。
マスキー法の発効を受けて、世界中の自動車メーカーが排気ガス対策の
大技術競争に入った70年代を描きます。
三日間で連載3回分を書いたので、きょうはオフ。頭を休めましょう。
70年末のマスキー法発効のあと、アメリカ環境保護局が、世界の自動車メーカーを
よんで公聴会を開くのですが、ここでマスキー法クリア可能と発言したのは、
マツダとホンダの二社だけ。あとは世界のすべてのメーカーが、技術的に不可能と
言ったのでした。で、この公聴会のあった時期なのですが、マツダ、ホンダの
社史、ホームページを見ると、72年と記されている。ところが環境保護局の
サイトで確認すると、71年5月なのです。もうこの時代のことが、記録上あやしくなるのですね。
わたしは71年ということで物語を進めますが、読者からはまちがいの指摘が
くるかもしれない。
ともあれ、きょうはちょっとお休み。明日からは、小説すばるにかかります。
01/07/09
キューバ報道ビザの件、「おりました」との正式連絡。ひと安心。
となると、反面、かすかな期待もあった「書きだめ不要」という線はなくなったわけで、
カレンダーを見ながら溜め息をついています。出発前までの書きだめがもし
だめだったときを想定して、ノートブック型PCの導入を考えるべきだろうか。
メールの設定だけしておけば、ハバナからでも原稿は送ることができますから。
どっちみち、メキシコシティまで飛行機に乗っている時間は長く、しかも集中できる。
わたしは一度、バンクーバーから成田への飛行機の中で一冊、途中一滴のアルコールも
入れないまま著者校正の作業をして、成田で待っていた編集者にそのゲラを渡したことが
あります。飛行機の中って、その気になると、異常なレベルの集中力が発揮できますね。
こんども、もしノートPCを持ってゆけば、かなり書けるのではないかと期待するのですが、
でも明らかに、これは逃げの心理になっているな。
それと問題は、わたしが親指シフト・キーボードを使っているということ。
このタイプのノート型PCは、
取り寄せ、もしくはメーカーに特注というかたちになるようなので、
導入を決めても、出発までに間に合うかどうか。
東京は酷暑続きのようですが、当地は日曜日から5日間、雨もしくは霧、
気温も低く、暖房が欲しくなるくらいです。
思い返してみると、去年もいまごろ、ほぼ3週間雨がちの天気が続き、
すっかり体調がおかしくなった。以前の交通事故の後遺症で、
雨や霧があまり長く続くと、頭が重くなり(思考が白濁してくる感じになります)、
仕事に集中できなくなります。
ちなみに、いま少し古い理科年表で根室の7月の天気を見ると、
霧の発生した日が23日、快晴の日はゼロでした。
承知していたつもりでしたが、あらためてこの数字を見ると、
去年の夏の悪天候続きは、けっして異常ではなかったのだとわかります。
非常時態勢に入ったので、とうぶん退屈な「近況」が続きます。
01/07/05
角川書店から連絡、『鷲と虎』文庫版ゲラが上がったとのこと。9月刊行です。
ラスト近く、主人公ふたりの確執の解決のしかたのシーン、少し書き改めるつもりです。
昨日は、文藝春秋の担当編集者さん三人が来訪。
今年末からはじまる『別冊文藝春秋』の連載の件で打ち合わせ。
そのほか『オール読物』連作、書き下ろしの件など、仕事の話をじっくり。
書き下ろしについては、担当者から、「満州か中央アジアなどはいかがですか」と、
提案されており、中央アジアにはかなり食指が動いています。
01/07/04
報道ビザがおりるのかどうかでやきもきしていましたが、
きょうまたキューバ大使館と連絡を取り、だめ押しの申請手続き。
事情は関係者がみな承知しており、おりますよ、とも言われたので、もう大丈夫でしょう。
7月26日、キューバ革命記念日のカストロ議長の演説を間近で聞くため、
その取材準備に入ります。まず原稿の書きだめ。あと実質二週間で、どれだけ
書けるだろう。7月は、お客も多いのです。
先日の集英社新書の打ち合わせで話に出た「禅とモーターサイクル修理技術」
(「私と息子とオートバイ」)からの発想で、
馬による旅のことをこのところ考え続け、情報を集めていました。
すると昨日、とても魅力的な情報がひとつ届きました。
ワイオミングにある旅行代理店からなのですが、
8月5日出発の、ひじょうに人気のある馬旅コースにひとつ空きが出ました、とのこと。
すぐにお返事くださいとのメールです。
コースは、まずジャクソンホール(「シェーン」の舞台に近い町)に集合、
イエローストーン国立公園南のランチから、公園内のトレイルコースを、
馬で五日間かけて走破、最後はコーディ(バッファーロー・ビルのいた町)に着くというもの。
西部劇ファンならずとも垂涎のコースです。ふつう一年前に予約が埋まってしまうという
ものだそうで、わたしはほとんど喉をかきむしりたくなる想いでした。
うーん、キューバ取材から帰ってすぐまたワイオミングには行けない。
01/06/29
東京・谷中の同じ町内に住む編集者Tさんから電話。雑談しているうちに、
バー「WHY」が閉店してしまったという話題になりました。とても惜しいと。
谷中近辺のバーのうちでは、やっぱり一番いい店だったいう評価。
このひとも、自分があの店の経営権を譲り受けてもいい、と考えたそうです。
閉店の理由は、Tさんの想像では、やはり客が少なく、
家賃も高かったのではないか、というものです。でも客を増やす手はある。
雑談が盛り上がって、Tさんは言います。
「××賞受賞した××さん、まだ賞金の××万円使っていないそうだから、
彼に出資させようか」
「(いま19誌に連載しているという超売れっ子の)×××子さんに、毎日きてもらおう」
(担当しているらしい。わりあい近いところに住んでいるのかな?)。
「××と××も、きっと常連になると思う」
ま、そうなると、これまでのような隠れ家的な空間ではなくなるのですが、
それでもあの店は、谷中に必要です。
Tさんは、雑談をこう締めました。
「本気で、考えてみますから」
昨日、中央公論担当者から、ゲラを受け取りましたという電話。
「直しがずいぶんあるじゃないですか」とはんぶん泣き声。
「もう見なくてもいい、とおっしゃっていたのに」
作家にゲラを渡して、まっさらのままで返されると思ったのが甘い(強気)。
わたしの返答。「校正者からも、いまごろになってこれか、という指摘がけっこう
ありましたよ。おあいこということではいかがでしょうか」
7月25日刊行の線は崩れないと思いますが。
01/06/27
昨日、マガジンハウスから連絡がありました。
「幻影シネマ館」のゲラが上がったので、発送したとのこと。
そうそう、非・小説作品としては、こちらが集英社新書よりも先になる。
これは94、5年ころ、バンクーバーに住んでいたとき、「小説すばる」に連載していた
「幻影シネマ館」「幻影シネマ館の逆襲」をまとめたもの。
日本未公開の映画を紹介する、という体裁をとって、
じつは「架空の映画」について、語ったものです。
連載当時、同業の女性がこの連載を、ほんとに未公開映画の紹介なのだと信じて、
あるとき担当者に言ったそうです。
「譲さんが紹介していたあの映画、たぶんそれだと思うけど、ビデオで出てましたよ」
担当者が困って事情を話すと、この同業者は激怒して言ったとか。
「佐々木譲の大嘘つき!」
この話を聞かされて、わたしはほとんどエクスタシーでした。
小説家にとって、嘘つきという言葉以上の賛辞はありませんから。
架空の映画についての本ですから、とうぜんスチル写真などありません。
それで、いかにもその映画の一場面を描いたかのように、宇野亜喜良さんに
イラストを描いてもらっていました。それでちょっと時間がかかった。
6、7年前に書いたものですから、話題や情報など古くなっている部分もあります。
でも、大笑いして楽しめる作品だと思います。
明日ゲラが届くということは、秋には刊行になるのかな。
01/06/26
いきなり詠嘆調になってしまいましたが、先週は、東京にいればいろいろ社交行事があった
ところでした。22日は新潮三賞の授賞パーティ、
23日は、わたしの住む集合住宅で、エストニアからの友人を囲んでのホームパーティ。
(同じ日に推理作家協会賞のパーティも、と思いこんでいたけど、かんちがいだった)。
でも先週は「武揚伝」最後の直しをやっていたし、とても上京できるものではなく、
ホームパーティのほうにだけ電話で参加しました。
きょう、友人のサイトをのぞいてみたところ、そのホームパーティの様子が記されていました。
集合住宅の友人の部屋に集まる前、トルコ・レストランで会食したらしい。
ううむ、やはり刺激的だったようです。「武揚伝」再校ゲラが恨めしい。
犬、馬と一緒の生活も二カ月続くと、かなり東京が恋しくなります。
神保町に、新宿に、秋葉原に、そして谷中に(ああ、WHYも閉店してしまったんだ)。
きょうはちょっと東京の生活をなつかしんだ一日。
01/06/25
今朝のニュース、キューバのカストロ議長が演説中に倒れたそうです。
数時間後には会場にふたたび姿を現し、わたしは元気だ、と言ったそうですが
(Newsweekによれば、数時間後ではなく数分後に再び登場だったとか。29日記)
どきりとしました。こんど予定しているキューバ取材は、なんとかカストロを
間近にこの目で見たくて企画しているものです。面会謝絶なんてことになったら、
取材の意味は大半消える。
ブッシュ大統領の嘔吐程度のことであればよいのですが。
カストロを間近に見るために、わざわざ煩雑な手続きを取ったうえで、報道ビザを申請して
いるのですが、出発までひと月を切ったきょうまで、まだおりたという連絡がきていません。
キューバ大使館の担当官も帰国中なので、ちょっと心配になってきました。
「武揚伝」最終直し、さきほどヤマトで送りました。もうここから先は、
どんなミスに気づいても、直しようがありません。
あとはもう、刊行されるまで忘れているのがいちばんいい。
頭を切り換えましょう。
01/06/24
集英社新書『北の大地で考える』(仮題)の件で、編集者ふたりが来訪。
担当の引き継ぎも兼ねた打ち合わせです。この集英社新書、
当初の構想では、テーマは「北海道の東端の暮らしから見える時代、もしくは文明」といった
ものだったのですが、テーマとしてはやや拡散しすぎています。もう少し絞りこみましょう、
ということで、きょうは五時間ばかりじっくり話し合いました。
この打ち合わせ中、若い担当編集者が、『禅とモーターサイクル修理技術』という、アメリカの
ノンフィクションのことを話題にしました。とつぜん思い出しました。この本は日本で
最初に翻訳されたときは、『私と息子とオートバイ』というタイトルだったのです。
この本のことがずっと頭にあり、わたしは二年前、とある集まりで、
『わたしと犬とフライパン』と題して講演したことがありました(もとの本のほうを
知らないひとには、何のことかわからず、知っているひとには、
なんとも低劣なパロディと思われたことでしょうが)。
ともあれ、着弾点は近い、という感じです。
ようやく方向も絞りこめてきたというわけで、
7月中には最終決定、8月からは少しずつ書き進めることができるでしょう。
わたしにとっては、初めての非・小説作品になります。
01/06/22
小説すばるで、「友近牧場シリーズ」という連作短篇を書いています。
ウェスタン的北海道開拓もの、です。
最初は連作にするつもりはなく、150枚でとある北海道の馬牧場の話を書いたのですが
その一族の前後の話もひとつずつ書いて、なんとなく大河小説ふうに
なってきました。短篇と、大河小説の一部とでは、文体からしてちがっているべきですから、
いずれ単行本にまとめるときは、文章(叙述のトーン)を
書きあらためる必要が出てくるでしょう。
ともあれ7月にはこのシリーズをまた一本書きます。
「武揚伝」再校ゲラが届きました。付箋の数を見ると、とても15箇所ぐらいではない。
小さな付箋は重要度が低いものだと思いますが、やはりこの部分をチェックするだけでも
けっこう時間はかかりそう。25日もどし(ちょうど刊行一カ月前)なので、今週後半は、
これにかかりきりになります。
01/06/18
わたしの小さな放牧地では、兵庫の知り合いご夫婦の馬も一頭預かっています。
いま、このご夫婦が当地にやってきて、この馬に毎日乗るようになっているのですが
一昨日あたりから、妙に馬が反抗的になってきた。それで、一昨日には、
丸馬場を疲れるまで走らせて主従関係をはっきり認識させる、
という手法で、一度従順にさせました。
これは、R・レッドフォード監督・主演の『モンタナの風に抱かれて』という
映画の中にも描かれた馴致の技術なのですが(注)、
不十分だったらしく、また昨日は反抗の程度が上がってしまった。
素人には手に負えなくなってきたかと
きょうは先輩の馬仲間にきてもらって、この馬を診てもらいました。
ところが、丸馬場での再馴致の最中、
馬は何度もその馬仲間に真正面から突っかかってゆく。本格的な反抗です。
先日は高野孟さんも乗った馬で、本来はおとなしい馬だったのですが
この性格の急変はふしぎ。季節がよくないあいだあまり乗らず、このところ急に
何人ものひとが入れ替わりたち替わり乗るようになったせいかもしれません。
相手は体重三百キロもある大型動物です。反抗的になると、ちょっと怖い。
映画『モンタナの風に抱かれて』のラストとはちがい、原作の最後では、
主人公は馬に蹄で頭を割られて死ぬのです。
(注)
これはアメリカの調教師、モンティ・ロバーツの発見・創案した方法。
近年急速に世界じゅうに普及しつつあります。
映画『モンタナの風に抱かれて』は、この技術についての
啓蒙作品という意味も持っていました。
モンティ・ロバーツ以前は、世界じゅうのどこでも、
力づくで馬を屈伏させる、という馴致の方法を採っていましたが、
ロバーツの確立した技術は、
「馬の自発的な意志を引き出して主従関係をはっきりさせる」というもの。
これは、F・カプリーニの近代馬術(自然姿勢乗馬)の創出に匹敵するほどの、
大きな意味を持ったことのように思います。
01/06/16
火曜日に、週刊ポスト連載『疾駆する夢』の86回までの原稿を送りました。
第5部がこれで終わりです。当初、全体で100回、二年間で戦後日本自動車産業の歴史を
描く、という構想で書き出したのですが、86回まできて、まだようやく時代は1970年。
つぎの章では、70年代のマスキー法をめぐる技術競争をテーマとするつもりですが、
編集部には申し訳ないほどに延びています。
70年代の技術競争のつぎは、80年代の対米進出問題。
そしてバブル後の自動車産業の苦境、と続きます。
最終的には、120回ぐらいにまでは延びそうです。トータル1800枚くらいでしょうか。
100回の約束が120回になるというのは、とてもほめられたことではありません。
ひたすら恐縮。
せっかく二日間快調だったPCですが、また不調の兆し。やれやれ。
たったいま、中央公論の担当編集者から連絡。
「武揚伝」再校上がり。もう一回だけチェックを、ということです。
表記の統一問題のほか、15カ所だけ要確認の点があるとか。
しかし、わたしの手元にゲラがきて
わたしはその15カ所のチェックだけでゲラを返すだろうか。
ふふふ、もう一回推敲する機会をもらえるわけですね。
01/06/15
ご心配をおかけしました。PCの不調の件、 どうにか回復です。
きょうディーラーのサービスマンにきてもらって
ウィルス感染のチェックからやってもらいました。
でもこちらはセーフ(一度、きわどいことがあったのですが)。
けっきょくフラグメントということで、最後にWindows98をセットアップ。
設定もいろいろやりなおして、ノートン・ユーティリティはアンインストールしました。
もう少しPCについての知識があれば、こんな大騒ぎはせずにすんだのでしょうが。
Netscape Navigatorの画面が出なくなったと思っていたけど、
これはネットスケープのホームページのデザインが変ったということなのでしょうか。
ブックマークが以前のように全画面表示されなくなったので、かなり不便。
検索もやりにくくありませんか。
01/06/12
大阪の事件には、言葉を失います。二年ぐらい前に池袋で起こった
通り魔(無差別)殺人事件をちょっと連想しました。
ちょうど先日『「少女監禁」と「バスジャック」』(月崎時央、宝島新書)を
読んだばかり。大阪の事件は、この後者のほうも連想させます。
93年か4年だったでしょうか。ニューヨークの鉄道車内で、移民してきたばかりの
青年が通路を歩きながら無差別に乗客に発砲、
何人も(たしか4、5人。もっとだったろうか)、死んだ事件がありました。
この事件の直後にわたしはニューヨークに行っていたのですが、
そのときニューヨーク暮らしの長い知り合いが、この事件についてこう言っていました。
「ニューヨーカーは、この事件にびっくりしている。
こんなわけがわからない事件が起こるなんて、
まるでニューヨークはカりフォルニアになってしまったみたいだって」。
「日本もまるでアメリカになった」という、この事件についての論評を聞いて、
ふとそのときのことを思い出しました。
PCの件、ディーラーのサービスマンがくるのは、明日になりました。
彼から確認されましたが、ウィルス混入の可能性もあるようです。
どこかでトラップ・サイトにひっかかったか。
01/06/11
昨日は、トラブルやら厄介ごとやらが多い日でした。その後始末で、
一日つぶれてしまった。こういう日ってありますね。
おかげできょうは朝から下痢。神経性胃炎が出たようです。
PCの不調は書きましたが、ネットスケープ4・7もおかしいので、
いい機会だからと6をダウンロードしました(よせばいいのに)。
このダウンロードが失敗だったらしい。とんでもないソフトや機能にまで
ネットスケープ6が干渉してくる(という言いかたでいいのかな)。
やむなく削除したのですが、まだ亡霊が残っています。
PCはもう末期症状。参考書を見ると、フラグメント、という状態らしい。
「ドライブ・プロパティから、ツールタブにある『最適化』ボタンを押す」
というのが解決法らしいのだけど、この文章がわからない。
あとでもう一度参考書を確認しますが
完全にクラッシュしないうちに、PCの不調だけはここに報告しておきます。
もしかしたら、しばらく更新できないかもしれないので。
このところ、アプリケーションをひとつ入れるたびに、動作が不安定になっていったような
気がするのですが、錯覚でしょうか。
ワープロとブラウザだけでシンプルに生きてゆけたら、どんなにいいだろう。
鉄道駅のない土地で、「駅すぱあと」なんかがプレ・インストールされていても
しかたがないのだし。
01/06/08
追記。
デフラグの件、「アクセサリ」「システムツール」「デフラグ」とたどって、
最適化しようとしたのだけど、一時間かけても0%と1%完了をいったりきたり。
「システムツール」の中の「ディスククリーンアップ」機能も、まるで働かないのですが、
これってやっぱり深刻でしょうか。
追記、6月9日
知り合いのKさんから、助け船のメール。でも、スキャンディスクもデフラグも
ディスク・クリーンアップもみな、無限ループに迷いこむ状況です。
起動も失敗することが多くなり、終了さえ途中で停まるようになった。
どうやらOSの再インストールしか手はなさそう。
ディーラーのサービスマンは、月曜にきてくれることになっていますが。
不調だったところに、Netscape6をダウンロードしたのが決定的でしたね。
輪をかけたのが、これを削除したことか。
デジカメで撮ってブリーフケースに置いた画像さえ、Netscapeのなんとやらがないから
開けない、とメッセージが出る始末。
ワープロ単機能機を97年まで使い続けたのは、システムの安定性という理由からでした。
でも、いまさらワープロにはもどれない。とほほ、です。
せっかくほぼ治ったと思っていた五十肩ですが、また昨日から痛み出した。
この四、五日、ひたすら原稿書き。姿勢が固まった状態で過ごしていたせいでしょうか。
ほかには思い当たることはないのですが、慢性化したのかもしれません。
きょう、NHKテレビ「そのとき歴史が動いた」で、
土方歳三の最期が取り上げられるようです。
先日の中島三郎助といい、きょうの土方歳三といい、
戊辰戦争「賊軍」側の人物が取り上げられるようになってきた風潮はうれしい。
もっとも、新撰組副長としての土方歳三は、これまでもスーパースターではありますが。
そういえば先日、ちょっと興味深い情報を聞きました。
中学校の歴史教科書に関する新しいガイドライン、
必ず取り上げねばならぬ歴史上の人物から、岩倉具視が消えているのだそうです
(国語教科書から漱石が消えた、という話は、あちこちで話題になっていますが)。
これって、明治維新の経緯を教えるな、ということに等しいのですが、
孝明天皇の突然死の事情について研究も進み、成果の発表も増えてきて、
教えにくくなってきたのでしょうね。教えたら、やぶへびになる。
土方歳三で思い出したこと、もうひとつ。
去年、とあるパーティで、わたしが『武揚伝』を書いていると知っている
作家と雑談中、こんなふうに訊かれました。
「土方歳三が箱館戦争のさなかに戦死したのは事実か」
「死体は確認されたのか」
「官軍側もその死を認めているのか」
この作家が何を考えていたか、ちょっぴり想像できます。
「ひとりごと」のページの更新が、ふた月も止まっていました。
そろそろ復活します。
01/06/06
刊行時期が延びていた『武揚伝』、7月25日刊行が決定しました。
校閲作業に念を入れていたためです。著者校正の段階でも直しが多かったので。
別冊文芸春秋、夏の号(6月中旬発売?)にエッセイ、
小説新潮、7月号に短篇、がそれぞれ掲載されます。
先週土曜日(6月2日)、部落の酪農家の青年の結婚披露宴がありました。
お相手も、地元の酪農家の娘さんということで、
ほとんど部落総出のパーティ。盛大でした。
農家の後継者問題は、長らく全国的な社会問題のままですが、
この結婚の場合、酪農家の出のこの花嫁さんは、
この地の農業も農家も農村社会も好きだということです。
出席した部落のみなさん、みなわがことのようにうれしそうでした。
ところで、いま披露宴では、友人たちが、
「初Hはいつ、どこで」なんてことを新郎新婦に質問するのですね。
友人同士の二次会ならともかく、両親のいる場で、これは悪趣味です。
久しく若い世代の結婚式には出ていなかったので、
こういう趣向があることを知りませんでした。
PCがこのところ不安定です。
ハードの問題なのか、システムなのか。
ブラウザの調子もおかしく、Netscape Navigatorの画面も
表示されなくなってしまった(Messengerからブックマークに入っています)。
ノートン・ユーティリティを走らせてみても、とくに問題は見つからないのですが。
昨日は起動に二度も失敗。
念のため、あわててHPの中身のバックアップを取りましたが。
そうそう、ホームページ・ビルダーVer.6は、修正プログラムを入れてからは、
画像がべつのページに吹っ飛ぶ、ということはなくなりました。
「ラベルをつける」機能も、九割がた回復。
細かにはまだバグが残っていますが、なんとか使えます。
昨日は快晴で、しかも満月。いい夜空、になるはずでした。
ところが例の『自発光式大型視線誘導標』は、またセンサーの調子が
おかしいのか、満月の下、「霧や吹雪からドライバーを守るべく」、
ギラッギラッと点滅を繰り返していました。
北海道の無駄な公共事業の筆頭に、この設備を挙げたい。
いまの北海道庁の予算に、こんなものを作り続けてる余裕があるのだろうか。
01/06/05
快晴も四日目。
きょうは、青空のもとで、部落の共進会(家畜の品評会)がありました。
例年ならこの季節の土曜日におこなわれる行事だそうですが、
今週の土曜日は部落の青年の結婚式が先に決まっていたため、
きょうにしたそう。小中学校も、この共進会に合わせての特別授業で、
生徒は全員会場にきていました。わたしは、お昼に少しだけ顔を出しました。
小学生たちが、フリスビーのようなゲームをしています。
キノコの干物みたいなものを、遠くまで投げる競技です。
干物は、ひとつひとつちがった塗料で彩色されている。
投げる子供たちは、みな軍手をはめています。
部落の知人が、わたしに訊きます。
「あれ、何を投げているかわかるかい?」
いいえ、と答えると、乾いた牛の糞とのことです。
平たく固くなるので、なるほどふちはぎざぎざだけれどフリスビーふう。
いかにも酪農郷らしい遊びです。というか、酪農家の大人たちが
「潔癖症候群」の蔓延を心配して、意識的に作った遊びなのかもしれない。
でも、妙になごんだ気分で、缶ビール片手にしばらく見物してしまいました。
当地も、初夏です。
01/05/30
以前から温めていた題材のひとつに、戦国時代を舞台にした
築城家の話がありました。武将ではなく、フリーの技術者の物語ですね。
ケン・フォレットの「大聖堂」に少し影響されているかな。
『武揚伝』も書き上げたし、つぎの時代小説はこれと決めて、
あとはどういう媒体でいつから書くか、そのことを新潮社の担当編集者さんと
詰めていたのですが、ほぼ決まりました。
来年6月1日からまず地方紙連載。単行本は、新潮社からの刊行です。
(連載という拘束がなければ書き出さない、と読まれてしまった)
ところでこの新聞連載、1回の原稿の量が、400字換算で1回2枚半だとか。
新聞各紙の文字が大きくなった影響だそうです。
以前は新聞連載というと3枚から3枚半でしたから、
ずいぶん量が減ったことになる。こうなると、単行本にするときの文体とは、
まったくちがえて書くべきかもしれません。1回が2枚半では、
場面の細密な描写や、全体を俯瞰する背景の叙述なんてことは、
不可能のような気がします。
連載期間のほうも、1年という条件をつけられたので、トータルで800枚少々。
これも厳しい分量です。
01/05/29
昨27日は、ホース・トレッキングの集まりでした。
高野孟さんが東京から応援に駆けつけてくれたこともあって、大盛会。
馬ではなくピクニックのために参加したひとも多く、
天気にも恵まれて、初夏の訪れを祝うお祭りのような雰囲気となりました。
けっきょく使った馬は13頭。隣り町の獣医さん、浦崎さんが
持ってきた3頭のペイントホースが、参加者や子供たちに人気でした。
やっぱりあのぶちの模様は、緑の大草原に映えるのです。
アメリカ・インディアンたちが好んだというのも納得できます。
会場の丘の上からの景観について、わたしは
「地球幼年期のようだ」と表現しましたが、
ある参加者もずばり言っていました。
「ジュラシック・パークみたい」
高野さんに言わせると、「人間の原始的本能を呼び起こすような景色」。
いずれにせよ、そういう場所でした。
(トレッキングのときの写真は、ここをクリック。ちょっと重いかもしれません)
夜は養老牛温泉で、高野さんを囲んでの打ち上げ。
宴会のあとは温泉に入り、シマフクロウを見て感動し、と、
あまり変化やイベントのない物書きの暮らしには、
昨日は刺激的なアクセントでした(告白すると、
物書きのふだんの暮らしなんて、日記形式で報告することもないほど、
退屈で決まりきったものです)。
たまにはいいでしょう、と関係各位には弁解。
01/05/28
きょうきたWOWOWの6月のガイドを見たら、なんとマルティン・ベック・シリーズの
テレビ版が8夜連続で放映だそうです。こんなテレビ・シリーズがあったのですね。
ストーリー紹介を見ると、原作とは無縁に時代を現在に移して、
オリジナル脚本で制作されたもののようです。
でも、マイ・シューバルが監修しているとのことですから、原作シリーズが持っていた
主題とトーンは変っていないのでしょう。これは楽しみです。
スチル写真を見ると、マルティン・ベックは『唾棄すべき男』映画版がそうだったような、
頭の薄いやせがたの中年男です。ちょっとエド・ハリスを連想する風貌。
スウェーデンの俳優さんにはほとんどなじみはありませんが
きっと渋くていい感じなのだろうな。
などとと思いつつ、気持ちはふっと角川春樹事務所。
01/05/25
五十肩の痛みが続いています。キーは打てても、マウスを持つのがつらい。
着替えもひと苦労。整骨師さんの判断では、今週いっぱいくらいは、
この痛みは続くとのことです。日曜日に馬に乗るのは無理かな。
だいいち、手を上げられないので、馬に鞍を置けない。
いましがた、小説新潮の担当者さんから電話。
今月末の締め切りの確認でした。年に一、二本のペースで書いている
「むかしのわたし」とでも題すべき連作短篇の件。
昨年末に打ち合わせがあったのですが、正直なところ、
時間がたつにつれて、この締め切りのことは、記憶の階層の下のほうに
追いやられていってました。このところはすっかり忘却状態でしたが、
さっきの電話で、瞬時記憶の最上層までもどってきた。
そうだ、今月はまだこれがありました。
知り合いのレディス・コミック作家、さかもと未明さんが
『文学界』に130枚の中編を書いています。掲載誌を送ってもらいました。
昨年、某文芸誌に載った中編は、階級差のあるカップルの
すさまじい結婚生活のありようを描いた作品でした。
小説を書く、と聞いたとき、私小説かと思っていたので、その題材は意外でした。
こんどの作品は何がテーマでしょうか。今夜の楽しみです。
01/05/22
先日の野良仕事で、五十肩が出たと書きましたが、症状がひどくなっています。
木曜日には整骨師さんのところにいって治療をしてもらい
湿布薬とアドバイスをもらってきたのですが、その後も炎症は治まらず、
痛みはいよいよ強くなってきている。昨夜は痛みのためによく眠れず、
今朝は四時に目を覚ましてしまいました(この時刻、もう明るいのですね)。
きょうは日曜日で、整骨師さんのところに駆け込むわけにもゆかない。
行けたとしても、ハンドル操作中に激痛が出そうです。
腰痛は慢性となり、肩もこのとおり。
もう若くはないのだということを、
絶えず肝に銘じておかねばなりませんね。
01/05/20
今月の27日に、馬仲間とホース・トレッキングの集まりを計画しています。
場所は、近くの計根別農協・モアン山育成牧場。
以前からそばを通るたびに、日本ばなれした素晴らしい眺めだと感じていたので、
昨年末、計根別農協に、馬で乗り入れさせてもらえないかと頼んでみました。
すると、計根別農協でも、馬のトレッキング・コースを作るという構想があり、
では育成牛を入れる前に一度、下見を兼ねたトレッキングの会を、ということに
なった次第。わたしはいま、ひさかたぶりに、こうしたイベントの幹事役を
やっています。
きょうは、そのトレッキングのためのコースの下見でした。
いままで入ったことのない場所まで農協のひとに案内されてまわったのですが、
素晴らしい場所がありました。大放牧地の奥の小さな丘。
その丘を取り巻く草地の景観もアメリカ北西部のような美しさなのですが、
丘のいただきからの眺めには、ただため息が出るばかりでした。
眼下には大放牧地が広がり、その向こうは大森林です。
しかもその森は、山地ではなくて、平原一帯をおおっている。
(日本では、森と言うと、ふつう山と同義語になります)。
その大森林の向こうには、西別岳、摩周岳というふたつの山が、
それだけ独立してそびえ立っている。
山地や山塊があるのではなく、優美な火山がふたつ
大地からすっと立ち上がっているだけなのです。
ちまちま感のない、じつに大陸的な景観です。
近景はおおらかな牧歌の風景、遠景はまるで地球幼年期の眺め、
とも感じました。
最初は、牧場の中のべつの場所でのトレッキングを想定していたのですが
きょうの下見で、場所を移すことにしました。その丘の周辺が主会場です。
このトレッキングには、東京から政治評論家の高野孟さんも参加します。
高野さんがあの風景を見てなんと感想をもらすか、いまから楽しみです。
01/05/19
昨日は当地、30.5度だったそうです。暑かったわけだ。
きょうは一転して雨。涼しい。植物もとまどっていることでしょう。
昨日、角川書店の編集者がふたりやってきました。
まだ角川春樹事務所の書き下ろしにも手をつけていない状態なので、
新しい仕事の話はできなかった。
せっかくきていただいたのに、申し訳ありません、Iさん、Tさん。
それにしてもこの10年、角川書店をめぐってはいろいろあり、
わたしの担当者は三人変って、こんどが四人目。
べつの出版社に移った担当者には、同じ企画をそっくり引き継いでもらったりしたので
けっきょく10年のあいだに角川書店では、一冊しか書いていない。
担当が移ってしまうと、やはりその企画にかける執筆意欲は確実に薄れます。
新しい担当者のほうも同じでしょうね。他人から企画だけ引き継いでも、
あまり自分の仕事という感覚にはなれないでしょう。
船戸与一から教えられた、「仕事を増やさぬ方法」。
つねひごろ、こう宣言しておくべきだという。
「おれは犬派の作家である。出版社ではなく、編集者につく」
そうすると、担当編集者が異動してしまうと、その仕事の約束は消える。
でもそれを実践していたら、角川から最初の担当がよそに移ったときに、
仕事はふたつに増えてしまった。あのときは、船戸与一を少し恨みました。
古本の話題。
近くの弟子屈という町に、更科源蔵というエッセイスト、詩人がいました(故人です)。
アイヌ風俗についての著作もあり、北海道では有名なひとです。
先日、知り合いの古本屋さんたちと話をしたときに教えられたのですが、
この更科氏の蔵書を、弟子屈町が遺族から一括4000万円で買ったそうです。
ずいぶん大きな金額なので、どのくらいの量だったのか聞くと、4000点とのこと。
ということは、1点1万円平均のライブラリーだったことになります。
蔵書の中身を知らないので軽々には言えませんが、ずいぶん高い値のついた
蔵書だと思います。その古本屋さんたちに、それは適正な価格と思うかと
聞いても、言葉を濁して答えてくれなかった。
地元の文化人に対する敬意として支払われた金額なのかもしれません。
でも、資料的価値の高い本が多数あるなら、古書店を通じてもう一度
市場に還流させてやったほうが、本は生きます。
愛着があって散逸させるのは忍びないということであったとしても、
それでもこの方法とこの金額なのだろうか。ちょっとわからない。
01/05/16
やっと春になったかと思ったら、当地はいきなり真夏になってしまいました。
昨日もきょうも、気温は25度を超えていたことでしょう。
もしかすると30度近いかも。暑い。今年の夏も長いのだろうか。
炎天下、造園業者さんに頼んで、仕事場まわりに防風林を作ってもらいました。
第二期工事です。敷地がL字型に囲われることで、テリトリーがはっきりし、
「吹けば飛ぶような広野の一軒家」の風情が少し変わりました。
木立(まだ貧弱ですが)の中の小さな家、ぐらいの雰囲気にはなったようです。
強風の日も、今後は心細くならずにすむかもしれません。
そこまでは無理か。
ついでに、庭の問題点をユンボを入れて改良工事。
この仕事場を建てるとき、インフラ部分で相手の提案を誤解して、大失敗をしています。
今回は、あいだに造園業者さんを入れて打ち合わせを重ね、
希望を図面にして提示したりと慎重にやったつもりでしたが、
工事が始まってみると、ずいぶんと食いちがいが出る。
工事の最後の段階では、一番大事な部分について、
やはり意図が伝わっていなかったとわかりました。
敷地内の急斜面をならすつもりが、結果として斜面に黒土を
かぶせただけになってしまった。雨が降ったら、きっと崩れる。
でも土木工事は、いったん始めてしまったら修正のしようもありません。
建築や内装については、専門家とも少し話が通じるようになりましたが、
土木に関しては、いまだに話ができないということですね。言葉が通じない。
向こうはプロから指示を受けたと同じつもりでいるでしょうし、
こちらはこちらで、プロに頼んでいるのだ、という意識もある。
完成した姿は伝えられても、それに至る手順までは指示できない。
土木工事の場合、その結果は、笑い事じゃない規模のものになるので弱ります。
事前の詰めが甘い。ダメ出しができない。
というのが、きょうの反省点。
これって、わたしの仕事全般に言えることだな。
01/05/14
昨日、当地にも、久しぶりの青空。気温も上がり、風も微風程度。
ふと考えたら、この青空も、強風が収まったのも、ほとんどひと月ぶりくらいです。
お天気のおかげで、昨日は農作業の日となりました。
買っておいた苗木を20本ばかり植えて、傷んだ牧柵を修理した。
腰痛が出ないようにベルトをつけて慎重にやったのですが、
腰痛は出なかったかわり、今朝は目覚めたら肩が痛い。
筋肉痛というよりは、四十肩(五十肩)かもしれない。
ひごろの運動不足が如実に出てきます。
先日は、新潮社の担当編集者(といっても、もうえらくなってますが)がやってきて、
新潮社の組織変えと人事にともなういろいろの業務の打ち合わせ。
他社の文庫で品切れ・絶版になっているものを、新潮文庫にまとめさせてほしいという
ありがたい申し出がありました。快諾です。品切れ、絶版の文庫を探しているみなさん、
もう少し待っていてください。
01/05/13
HPも更新できない頭の状態だったので、書きたいことがたまってます。
かといって、いつもの調子で書いていたら、それだけでまた一日つぶしてしまう。
ニュース番組のラスト、ニュースフラッシュふうに、短く書きます。
「落穂舎」という古書店から、「落穂拾い通信」という目録がとどきました。
初めて送られてきたもの。見ると、山田風太郎がどっさりあって、
ずっと探していたものがある、ある。
「天の川を斬る」「忍法封印」など、大久保長安が出てくるものなど数冊注文。
ついでに平岡正明「風太郎はこう読め」も。
平岡正明は、いつか「船戸与一はこう読め」を書かないかな。
と、追いかけるように、月の輪書林から新しい目録。
黄色のマーカーでチェックしながら目録を読む。
ゲラ直しの合間で、これってけっこう至福の時間でした。
マイラインは、KDDIに加入しました。安いからではなくて、
NTTをつぶさないことには、日本にはIT革命なんてこないと思うからです。
その意味では、NTT解体を主張してきた竹中平蔵大臣には期待しています。
金正男、と見られる人物の不正入国(未遂)事件。
気になって、あちこちのサイトをのぞいてみたのだけど、
しっくりくる解説には行き当たらなかった。
日本の入管に英国諜報機関から事前に情報が伝えられていたということだけど、
それにも何らかの意図があるはず。どんな?
「東京ディズニーランドに行くつもり」だと言ったという当局情報を
そのまま信じることもできない。
フリーマントルならどう書くだろう。
部落の懇親会。今年の農作業の安全を誓って、部落のみなでお酒を飲む。
今年結婚するということで、ある酪農家さんの息子さんと、その婚約者で、
隣りの地区のやはり酪農家さんの娘さんがきてあいさつしてゆきました。
若いカップルを見て妙になごむのは、自分の歳のせいでしょうか。
上野・池之端にあるバー、WHYから、閉店のお知らせ。
アナログ・レコードでジャズを聴かせるお店で、東京の自宅のすぐそばですから
わりあいよく行っていました。とくに、つまらないお酒のあとなどは必ず。
閉店の通知を全部読み切らぬうちに、ではわたしが居抜きで引き受けようか、
と一瞬考えたのだけど、年内にべつの場所でお店を再開するとのこと。残念。
でも、ということは、池之端というロケーションに問題があったと
いうことなのだろうか。客層がよくなかったのか(わたしを含め)。
近況というよりは、ひとりごとのページにアップすべき話題だったかな。
01/05/06
いったん切り上げたつもりの「武揚伝」ゲラ直し、もう一回だけ
さっと目を通しておこうと上巻をデスクの上に置いたら、
これが大失敗(いや、よかったのか)。
見落としが出るわ出るわ。けっきょくまた二日間かけて、
上巻を直してしまいました。昨日、ヤマトで送っていたら、と考えると
ぞっとするよう見落としです。どうしてこれまで気がつかなかったんだろう。
今度はもう表現や言い回しには手をつけない、と
決めてやったのですが、ついつい、どうせ直すならという気になってしまう。
こんどこそ、もうよします。
ホームページビルダーのバグの件では、知人ふたりから救援のメール。
すでに修正プログラムが用意されていたのですね。
というか、やっぱり大きなバグがあったのですね。
わたしの作業に出てくる現象が解決するのかどうかは、はっきりしないのだけど。
とりあえず、あとでダウンロードして試してみましょう。
二週間こちらにかかりきりだったので、連載のほうのストックも底をついているはず。
締め切り予定をこれから確認してみますが、ちょっと怖い。
きょうはもう6時半すぎ。もしストックが切れていたら・・・。
ホームページの更新よりも、そっちをまずたしかめるべきだったか。
01/05/06
昨日、ようやく「武揚伝」下巻もゲラ直し終了。
読み返せばまだまだ直したい箇所は出てきますが
区切りをつけなくちゃならない。
事実誤認と前後の不整合がなければ、終わりでよいでしょう。
昨日は終えたところで町の知り合いに電話して、飲むことにしました。
仕事場に帰ってきたのは、10時半くらいのはずですが、
そうとう疲れていたようです。服を着たまま倒れ込むように眠ってしまいました。
世の中はゴールデン・ウィーク。
わたしにとっては、滅多にないほどの集中力で仕事をしたことで、
身体がボロボロになった一週間でした。
あとがきの代わりに、「武揚伝」ノート、というページを立ち上げようと考えました。
ところが、ソフトウェアの「ホームページ・ビルダーVer.6」には、バグがあります。
これをインストールしてから、必ず画像がほかのページの画像に上書きされてしまう。
あるいは、入れ代わってしまう。
その画像を消しては同じことを何度かやりなおしているうちに、
ようやく収まるべきところに収まるのですが。
どなたか、解決法をご存じのかたはいませんか。
いまこの近況をアップしたところで、またたぶんどこかのページに
妙な画像が収まっているはずです。
01/05/06