仕事ぶり・暮らしぶり

2000年9月オランダ・ドルドレヒト市、開陽丸を建造したヒップス造船所跡付近。
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第二回のキューバ取材のため、あらためてキューバ大使館を訪ねてきました。
以前に書いたとおり、昨年は報道ビザの発給を拒否されており、
このままでは月刊プレイボーイの連載がどうにも締まらないものになると、
困っていたところでした。
こちらの窮状を知った知人が、八木啓代さんという、キューバ音楽の
シンガーを紹介してくれました。キューバについての本も何冊も出しているひとで、
キューバにたいへん詳しく、強いコネクションも持っているかたです。
このかたに同行してもらい、広報担当官と直接面談。
担当官からは、「月刊プレイボーイ」の特派記者としてのビザはやはり出せないが、
フリーランス・ジャーナリストとしてのビザは、
たぶん出せると思う、と言ってもらえました。ほっと安心です。
報道ビザで入ると、先方の受け入れ団体からいろいろと便宜をはかってもらえるらしく、
取材対象の多い、そうとう忙しい取材旅行になりそうです。
上京中、大薮春彦賞(徳間書店)の授賞パーティにも出席してきました。
同時にSF大賞の授賞式も行われたので、会場の雰囲気は、推理作家協会や
冒険作家クラブのパーティとは微妙にちがっておりました。
SFの若い作家さんたちは、コスチューム・プレイふうののりで出席しているのですね。
(以前、冒険作家クラブも、1930年代上海、というテーマでパーティを開いたことが
ありますが)、
その夜は編集者たちにはつきあわず、ひとり新宿方面に流れて、
古い友人たちが集まる酒場で深夜まで飲みました。
そのあと眠ってからも、頭の中は活発に働いていたような気がします。
ふた月ぶりの上京だったので、かなり興奮していたのかもしれません。
キューバ大使館に行くので、大江戸線という新しい地下鉄路線に
初めて乗りました。不思議な経路を走る路線ですね。
地上の東西南北の感覚を路線にあてはめようとすると、なかなか重ならない。
帰路、路線図をじっくり見たにもかかわらず、反対方向行きの列車に乗るという
ミスをやってしまいました。ま、よくやるといえば、よくやることなのですが。
01/03/05
先日北海道新聞から依頼があった、鳴海章さんとの対談が、正式に決まりました。
3月15日前後、札幌で。「四季対談」という企画の一環だそうです。
鳴海章さんとは、担当編集者が何人か重なっていたり、
東京でも出没する場所が似通っていたりと、よく接近はしていたようなのですが、
会ったことはありません。推理作家協会や冒険作家クラブのパーティでも、
会ったことはないな。これはこれで珍しい。それとも単に、紹介を受けたことが
ないというだけかな。
鳴海章さんはいま、出身地の帯広にもどって仕事をしているそうです。
このあたりはわたしの暮らしぶりと似ていないこともありません。
北海道新聞も、この点に興味を持って対談の企画を考えたようで、
提示されたテーマは「東京で活躍した後、いま北海道で文学活動を続ける意義」。
でも、わたし同様に鳴海氏も、
あえて北海道を拠点として文学活動を続けている、
なんて意識は持っていないでしょう。
あ、でも、創作塾のようなことをはじめたいとも発言していたような気がするし、
鳴海さんにはその意識はあるのかな。いずれにせよ、対談が楽しみです。
01/02/26
19日の夕方、買い物に行ったとき、スーパーマーケットの駐車場から
店までの50メートルを歩いているだけで身体が冷えきってしまいました。
(たぶん、この冬一番の寒気の日だったでしょう)
ダウンジャケットを着て、防寒対策も万全のはずだったのですが、それでも寒い。
店に飛び込むと、すぐ衣料品売り場で厚手の靴下を買って、重ねてはいたくらいです。
でも、あの50メートルを歩いただけで、しっかり風邪をひいてしまいました。
その夜から、熱があがって、ダウンです。
翌日丸一日眠っていれば直ったのでしょうが、午後に予定の来客があって、
それもかなわず。あまつさえ、元気な行商のおばちゃんに、叩き起こされる。
昨日目覚めても、まだ熱は引いておらず、ぎりぎりまでベッドの中にいましたが、
午後一時には、「男の隠れ家」の取材チームがやってきました。
弟子屈在住のライター西川氏と、標茶町在住のカメラマン加藤氏のおふたり。
薬のせいでぼうっとした頭のまま、取材を受けました。まともな受け答えができたろうか。
この二日間は、犬と馬の世話もおざなりです。
今朝、ようやく少し熱もさがって、こうしてPCに向かいあっています。
きょうはもう仕事をしなければ、どこかの連載が白紙ページということになります。
考えてみると、わたしのいまの仕事の状態は、かなり綱渡りだったのですね。
こんな状態ですので、この三日間、Eメールにも返信できずにいます。申し訳ありません。
01/02/22
「武揚伝」第二稿を上げて、ワインに薪ストーブ、という区切りの行事にするつもりでしたが、
散らかった仕事部屋を見ているうちに、
いつのまにか資料整理と部屋掃除ということになってしまいました。
仕事部屋には、榎本武揚関係の資料類が、九龍城状態で堆積していました。
今週水曜日には、「男の隠れ家」という雑誌の取材を受けることになっており、
部屋を片づけるにはいい機会。ということで、たまった資料を収納庫に運び込み、
収納庫のほうでも、本棚を一本空けるために本の移動作業。
「武揚伝」を書き出したときから、仕事場の様子は変わっていませんから、
書き出しから二年にして初めての大掃除ということになりました。
けっきょく日曜日の午後まで、部屋の片づけと清掃です。
というわけなので「男の隠れ家」で紹介されることになる整頓された書斎は、
ふだんのわたしの仕事場そのままではありません。
演出、というのともちがうとは思いますが。
01/02/19
第一稿完成後、すぐに直しにかかっていた「武揚伝」、ようやくきょう直しが終了。
最終的に原稿の枚数は2200枚くらいでしょうか。
書き下ろしの大作の場合、書き終わってみないと判断がつかない、という
点が多々あります。そのエピソードが作品にとって必要かどうか、
そのキャラクターは必要にして十分なだけの濃さで描かれているか、
背景の説明や情報の提示は、ストーリーに溶け込んでいるか、といった点です。
ともあれ第二稿完成。三稿は作らず、これで編集作業ということになります。
直した原稿をMOに落として、いましがた、ヤマトで中央公論社に送りました。
その足で隣り町のワインショップに行き、ボルドーワインを一本。
明日も来週も、まだまだ地獄の連載原稿が待っていますが、きょうはこれでおやすみです。
仕事の区切りには温泉に入るという手もありますが、
わたしはさほど温泉が好きではありません。
せっかく薪ストーブも設置したことだし、きょうは音楽とワインで頭を休めます。
じつは先日、左目に出血がありました。
モニターを見つめすぎて、目も疲労していたのでしょう。
いまホラー映画の吸血鬼のような目になっています。
痛くはないのですが、目も休めてやらねばならない。
3月に入ったところで、角川春樹事務所の北海道警察本部シリーズにかかります。
札幌に行ってくる必要があるかな。取材ということではなく、
ただ気分をそちらに向けるためですが。
01/02/17
立春も過ぎたというのに、この地方の寒気はますます厳しくなっています。
今年は寒い、というのが、このごろのあいさつの決まり文句。
一昨日の朝は、たぶんこの冬一番の寒気でした。
近所の酪農家さんの話では、朝、マイナス28度だったそうです。
どうりで、一昨日は車のエンジンがなかなかかかりませんでした。
旭川とか帯広ではさほど珍しくはない寒気でしょうが、
わたしはたぶんマイナス28度というのは初体験です。
だから仕事がどうだ、という話題ではありませんが。
01/02/13
ひとに会わずに仕事をしていると、「シャイニング症状」が出ます。
症状のひとつは、ひとに会ったときにはやたらにハイになるというもの。
一昨日、文芸春秋の編集者三人がやってきて、打ち合わせのあとは当然、酒宴。
歓談しながら、東京から持ってきてもらったワインをしこたま飲むという
ことになりました。おかげで昨日は久しぶりの二日酔いです。
酒宴の前の打ち合わせでも、ハイが出ていたような気がします。
未来が明るく見える。自分の力を過信する。
今年、もうひとつ仕事を引き受ける余力って、ほんとにあったろうか。
01/02/10
仕事場のある土地では、新聞は郵便で配達されます。日曜日の新聞は、
つまり月曜日の配達になります。いま、日曜日のテレビ欄を見て驚きました。
中島三郎助についての特別番組が、昨日放映されていたのですね。
見逃しました。それにしても、中島三郎助がテレビで取り上げられるとは。
中島三郎助は、新作「武揚伝」の中でも、きわめて大きな位置を占める人物で、
わたしはかなり感情移入しつつ、その半生を書きました。
わたし同様テレビを見なかったひとのためにも、少し紹介しますと、
彼は浦賀奉行所の与力として、
ペリー艦隊と最初に接触した日本人ふたりのうちのひとりです。
黒船にショックを受けた中島は、その後長崎に海軍伝習所ができるとすぐに志願、
その一期生としてここに入学します。
このとき、中島は三十六才。当然妻子もありました。
留年して第二期生の榎本武揚と共に学び、
卒業後は、幕府海軍の軍艦の士官、
榎本武揚がオランダから開陽丸を回航してくると、この船の航海士となります。
やがて戊辰戦争勃発、中島は浦賀奉行所から同志を募り、
さらに自分の息子ふたりを従えて、榎本武揚と共に箱館に脱走します。
しかし五稜郭陥落の直前、中島たちが守っていた千代ガ岱陣屋は、
西軍の猛攻を受け、守備隊は壊滅、中島とそのふたりの息子は、
三人揃ってここで討ち死にするのです。
総攻撃直前、榎本武揚は中島の子供たちを分け、べつべつの陣地に配属しようとします。
どちらかが全滅という事態になっても、三人のうち誰かは生き残るように、
という配慮でした。しかし中島の息子たちは、この転属命令を断固として拒みます。
父親兄弟と離れて生き残ることこそ恥、ということでした。
その結果としての、父子三人揃っての戦死です。
戊辰戦争の無数の死の中でも、わたしにはもっとも印象的に感じられる死です。
中島三郎助は、日本の近代がはじまるその瞬間に立ち合った男であり、
有能な官吏であると同時に、知識欲にあふれた若い心を持った男でした。
そしてなにより、古武士のような倫理観を持ったサムライでした。
明治維新を扱った小説などでは、これまでほとんど取り上げられたことがありませんが、
テレビが特集番組を組むほど、その生涯が知られてきたのでしょうか。
そのきっかけが何なのか気になります。
わたしも「武揚伝」の刊行を遅らせてはなりませんね。直し作業は継続中です。
01/02/05
フジ・クリエーティブ・コーポレーションという映像プロダクションから連絡がきました。
「ステージドアに踏み出せば」を、NHKの「ドラマDモード」という番組に
企画として提案していたところなのですが、これが採用にならなかったということ。
同じようなオーディションの話が、吉本興行の若手たちの主演で、
すでに制作にかかっているのだそうです。
このプロダクションは、あらためてNHKの時代劇(45分×5−6話)の企画募集に、
「五稜郭残党伝」を提案したいと言ってきています。
映画化テレビ化の話というのは、10あってやっとひとつ実現するかしないか、
といったところでしょうか。もっと少ない、という話も聞きます。百にひとつとか。
わたしの場合、作品数の割りには映像化されているものが多いのかもしれません。
「五稜郭残党伝」は、94年に一回、若松孝二監督が映画化したいと希望し、
シナリオ・ハンティングまで進んだことがあります。
函館から始まったその取材旅行の初日、函館で監督やシナリオ・ライター、
プロデューサーとの打ち合わせに出席したことがありました。
このときは、ロケ地が北海道にはもう残っていない、ということで企画が流れました。
監督は、サハリンでだったら撮れるかもしれないと意欲を燃やしていたのですが
そうこうしているうちに、監督はロシアでも入国拒否名簿に載る立場に。
けっきょく実現しなかったのです。
「五稜郭残党伝」が映像化されるときは、撃たれて死ぬ討伐隊員の役でもいいから、
ぜひ特別出演したいものです。馬に乗って登場するのが、夢なのですが。
01/01/25
仕事も詰まっているし、なにより天気は荒れていました。
風も強いし、道路は凍結してつるつる。寒気も厳しかった。
こうなると、ろくに仕事場から出ません。ふと気がつくと、先週の日曜日に
友人四人がやってきたのを最後に、社交生活がありませんでした。
13日間、ろくにひとに会っていないのです。
この13日間に、町まで買い物に行ったのが三回。
宅急便がきたのは、やはり三回ぐらいでしょうか。
ここ数日、妙に雑踏が恋しくなっていましたが、そのせいですね。
今夜は町に出る用事ができました。そのあと、寄り道することにしましょう。
やはりひとは、コンパニオン・アニマルだけを相手にしていては、
生きてゆけないのですね。それとも、この仕事場の環境が特殊すぎるのでしょうか。
きょうは快晴、午後になって風も収まり、気温も上がってきています。
明日から雪だという予報ですが。
01/01/19
必要ないと思っていたデジタルカメラでしたが、
ホームページを立ち上げてみると、
ときどき欲しくなるときが出てきました。
スキャナーで画像を取り込むという方法では、
ものによってはやはり画質の悪さが気になりますし。
それでとうとう買ってしまいました。
カシオのLV−10。わずか31万画素。
日経新聞に「文房具」として紹介されていた商品です。
文房具、という分類がなるほどと思えるだけの、
簡便な映像メモツールですね。
これを、カメラ、と考えると、機能不足が気になるでしょう。
秋葉原のLAOXコンピュータ館で9980円でした。
(ただし、零度以下の温度では使えない。
この季節、北海道の仕事場の屋外では、使用不可能です)
試し撮りを一枚、小さく紹介します。
デスクまわりです。

2メートル離れると、ストロボの光量が不足気味に見えますね。
01/01/12
年明け早々、オール読物(文芸春秋)に
「愛犬自慢」ふうのテーマのエッセイを送ったばかりなのですが
直後に、飼い犬がもう一匹増えることになりました。
死んだ父が可愛がっていたアイヌ犬です。
父が死んだあと、札幌の親戚が引き取ってくれたのですが
その親戚も老齢となり、朝夕の散歩がつらくなってきたそうです。
それでわたしに、そちらで飼ってくれないかと打診がありました。
わたしの仕事場の環境のほうが犬にとっても幸せだろうと言います。
たしかにそうにはちがいない。
主人を亡くした犬をふびんに思ってこれまで飼っていてくれたのですし、
健康や年齢という理由があるなら、やはりわたしが交替すべきでしょう。
アイヌ犬は神経質で生涯一主人タイプの犬です。
いまからわたしにまたなついてくれるかどうか、ちょっと心配なのですが。
01/01/08
謹賀新年。
ことしの仕事の予定は、以下のとおりです。
「疾駆する夢」
週刊ポスト連載中
戦後の焼け跡の上で自動車生産を夢見た男たちの物語。主人公はいよいよルマンに挑戦。
「キューバの血、ハバナの夢」
月刊プレイボーイ連載中
フィデル・カストロの評伝。カストロとチェ・ゲバラたちはついにキューバ逆上陸。
「黒頭巾旋風録」
赤旗日曜版、2月中旬から連載開始
幕末の北海道を舞台にした、いわば「怪傑ゾロ」「鞍馬天狗」
「警官仕立て」(仮題)
角川春樹事務所書き下ろし
警察小説シリーズ第一弾、北海道警察本部の一刑事が主人公
タイトル未定。
毎日新聞社書き下ろし、アジアン・ノワール・シリーズのうちの一本
新書も一冊書きます。
「北の大地で考える」(仮題)
集英社新書。北海道の田園生活、動物と暮らすということ、さらにやや文明論的な考察。
雑誌短篇の予定。
小説新潮、連作「わたし」シリーズ
小説すばる、連作「友近牧場サーガ」
雑誌連載
別冊文芸春秋、リニューアルの02年1月号から現代史サスペンス
01/01/01
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