過去ログ
00年12月〜01年4月


咸臨丸はいつアメリカに着いたか?

昨夜、深夜二時半すぎに地震がありました。
ここは、わりあい地震の多い土地です。けっこう揺れは長く続いたけれど、
深度は3か4ということでした。

「武揚伝」上巻、ゲラ直し終了。最初から予想していたとおり、かなりたいへんな
作業になりました。歴史的事実の日付等で、これほど疑問がつけられてくるとは
思わなかった。史料(もしくは資料、記録)によってけっこうちがっている。
こういう場合、原則としては、一次史料、もしくはできるだけそれに近いものに拠ります。
榎本武揚の伝習所入学の日についてなら、人物事典等の記述よりは、
伝習所の名簿のほうを判断の根拠とするようもなのです。
でも、ものによっては編纂された二次史料のほうが良い場合もある。

たとえば、咸臨丸がサンフランシスコに到着した日付について、
校閲者は一日ちがうのではないかと指摘してきました。
校閲者が参照した史料は何かと見ると、これが勝海舟の書いた航海日記です。
編纂された史料は、アメリカ側の記録も照らし合わせて、その日付を
確定していますから、この場合は二次史料のほうが正解でしょう。
なぜ勝の日記では一日ずれているか、想像できることは、
日付変更線を越えたときに、勝が修正をしていないということです。

ここまで一次史料にあたってくれた校閲者の仕事ぶりには敬服しますが、
それにしても、こんどのゲラのチェック作業は、
作者と校閲者がたがいに手持ちの史料(資料・記録)を提示しあって、
それぞれの判断の妥当性を競い合う一対一の勝負、という感じでした。
ふうっ。

01/04/27




同期生がやってきた

昨日、午後の二時くらいに仕事場に電話がありました。
高校の同期生で、いま、当地に仕事の営業できているとのこと。
わたしはゲラの直しに没頭していましたし、顔も思い出せない。
卒業以来一度も会っていない人物です。
すぐにも訪ねてきそうな勢いだったので、あわてて時計を見て言いました。
夜にお目にかかりましょう。八時半に、ホテルにうかがいます。
約束の時刻に訪ねて、級友たちの消息だけを話題に、
お寿司とカニをごちそうになりました。ありがとう、大島さん。

聞くと、高校の同期生たちは、卒業二十周年の同窓会以来、ずいぶんまた
会うようになっているらしい。おおまかに札幌組と東京組とに分かれるのですが、
どちらもカラオケやゴルフの集まりをひんぱんに開いているようです。
でもわたしは同窓会には一度も出たことがありません。
そもそも案内をもらったのが、数年前の東京組の卒業三十周年の集まりのときが
はじめてだったような気がする。消息不明だったようです。
それにしても、この十年、同期生たちがつきあいを復活させてきたのは、
年齢のせいなのでしょうか。
若いときの記憶が少しずつ変質しているのかもしれません。

01/04/26




「武揚伝」上巻のゲラ・チェック、もう三日目

「武揚伝」の上巻のゲラ(校正刷り)が届いた日曜日からずっと、
これのチェックをしています。でも、語句の統一など、機械的に直せる部分を
直すだけで丸三日かかってしまった。
これから、疑問点として上がってきた部分の再確認とか、
前後の整合性を取るなど、やっかいな作業に入ります。あと二日は必要かな。
明日には、たぶん下巻も届くはずですが。

直しながら、自分がいかに時代小説・歴史小説を書くための基礎素養に欠けて
いたのかがわかりました。維新についての資料や啓蒙書を読むことと、
維新についての小説を書くことでは、まったくちがう知識体系が必要ですね。
むかし、それまで現代小説を書いていた笹沢佐保さんが
時代小説を書き出したとき、柴田錬三郎が言ったそうです。
「(登場人物に)江戸の町を三歩でも歩かせることができるか」
このエピソードを覚えていながら、「できるさ」と無謀にも書きだしてしまったのが
わたしというわけです。刊行されたときには、苦闘の痕跡などまったく消えて
いてくれたらよいのですが。

01/04/24



いよいよ新作にとりかかる、という宣言、のはずが


角川春樹事務所の警察小説シリーズの取材で、昨日また
札幌に出かけました。取材源秘匿の必要があるので詳しくは書けませんが、
北海道警察本部の関係者から直接取材です。
いやはや、当然ですが、圧倒的なリアリティでした。
(こういういい取材ができたときは、
自分がノンフィクション・ライターではないことを、少々くやみます)。
これで最終的に詰めきれていなかった部分も煮詰まりました。
2001年4月23日午前10時を期して、新作執筆開始です。

と、ここまで書いたところに、ヤマトの宅急便。
「武揚伝」上巻、ゲラが届きました。
こっちが先決でした。

01/04/22



モノがひとつ壊れるとき

ずっと使ってきた家庭用コピー機が壊れました。というか、寿命となりました。
使いはじめて二台目の品です。たぶん五年は使ったはずのもの。
法定耐用年数の範囲内とは思いますが、そろそろ買い換え時期でしょう。
ファックスで送られてきたゲラについては、普通紙にコピーしたうえで
直しを入れる、という使いかたをしているので、コピー機がないと
仕事になりません。というわけで、
きょう、同じシリーズの新製品を注文してきました。

でも、マーフィの法則ではありませんが、こういうものがひとつ壊れると、
必ずその周辺のハードウェアもひとつふたつ続いて壊れる。
つぎに壊れるのはなんでしょう。

すさまじい突風が朝から吹き荒れています。
ここが、幅数キロの狭い範囲で、
斜里岳から吹き下ろす風の通り道だと知ったのは、
仕事場を移して1年ほどたってからのこと。
ここが吹雪でも突風でも、東に走ると徐々に風は収まって、
二キロも離れた土地ではさほど風は吹いていないのです。

さきほどは、珍しく西のほうから丘をくだって、
仕事場にもどってきたのですが、こちらのほうの変化は劇的でした。
丘を下りきった(広い谷あいに入った)ところで、いきなり風が強くなる。
ふつうの部屋から突然、風洞実験のトンネルの中に放りこまれたような変化です。
風の流れがはっきりと目に見えたほど。

よりによってわたしは、この地方の特別風の強い土地に
わざわざ仕事場を建ててしまったわけで、
多少風は強くても展望を取る、という選択は誤りだったかもしれない。
晴れた日には、この意見も変わるのですが。

01/04/20



「武揚伝」刊行、少々延期

本日、中央公論担当者から連絡がありました。
「武揚伝」、校閲のほうでおもいのほか手間取ったため、戻しは遅れるとのこと。
付箋が1000枚以上ついてきたようです。
担当者の段階で判断できることについてはそこで解決すべく作業中。
きょうはもう4月17日ですから、5月刊行はかなりむずかしくなりました。
ここまできた以上、拙速ではやらずに、刊行時期を少し延ばしたいとのことです
やむをえないでしょう。となると、6月中旬でしょうか。

ページ数は、上下とも600ページ以上。でも「模倣犯」よりは薄い。

あらためて史料に直接あたって確認しなければならない点も出てきたようで、
この校正もかなりしんどい作業になりそうです。

きょうは、ちょっとつらい近況報告。

01/04/17



赤旗日曜版の「今週の、ひと」

今年の2月から、「しんぶん赤旗日曜版」に「黒頭巾旋風録」を連載しています。
媒体の性格と、「覆面をつけた正義の味方の活躍」という中身が
合っていたのでしょうか、読者からの反響がけっこう大きい。
編集部には「作者をもっと知りたい」という声も寄せられたとかで、
急遽、作者紹介記事が出ることになりました。
昨日、編集者とカメラマンが、仕事場に来訪、
あらためて連載作のテーマや、
ふだんの暮らしこのことなどについてインタビューを受けました。
記事は、4月29日号の「今週の、ひと」というページに掲載される予定です。

きょうは仕事場周辺、立っていられないくらいの強風が吹き荒れています。
空は晴れており、日差しは明るいのですが。

01/04/14



駐米日本大使館勤務だった読者からのハガキ

新潮社気付で、開戦時の駐米日本大使館勤務だったという読者から
ハガキが届きました。
「ワシントン封印工作」を読んで、当時の情景がよみがえったとのこと。
86歳になられるというかたです。こういうハガキはうれしい。

このかたは、主人公の大竹幹夫のモデルを、
自分の同僚で、いまシカゴ在住の人物だろうとも指摘してくれました。
わたしがモデルにしたのは、当時の大使館臨時職員で、
開戦後に大使館から消えた川本裕二という留学生ですが、
この人物がいまシカゴで存命とは知らなかった。

わたしは、「ワシントン封印工作」を書くにあたって、
当時大使館の三等書記官だった八木正男氏から取材していますが、
八木氏は、川本氏についての記憶をほとんど持っていませんでした。
消えた川本氏についての証言は、藤山楢一という外交官補だった人物の
回想記から得たものです。

日本人は強制送還、日系人は収容所送りになったという時代を、
このひとがアメリカでどう生きたか、どういう理由で大使館から消えたのか、
うかがってみたいものです。あるいは、回想録を読んでみたい。
わたしは、川本氏とアメリカ政府・司法当局との間で話がついての、
亡命だった、という解釈です。
その細部についての仮説が、「ワシントン封印工作」

メディア関係者で、この件をもっと詳しく知りたいというかたは、
佐々木までご連絡ください。

01/04/09



原稿はどこまで進んでいるか

角川春樹事務所、春樹社長から、原稿はどこまで進んでいるかという
直接の電話がありました。
あ、まだ収監されていなかったのかと一瞬喜びましたが、
ということは、体調がまだおもわしくないということ。収監に耐えられないと、
裁判所が判断しているということです。少し心配になります。

それにしても、この近況のページ、担当編集者各位に向けての
業務連絡用のつもりもあったのですが、全然チェックはされていなかったようです。
社長じきじきの電話で、少々狼狽してしまいました。
まるっきりさぼってる、とでも思われていたのでなければよいのですが。

01/04/6



新作は小樽が舞台となるか


角川春樹事務所の警察小説シリーズ、その取材のために札幌に出かけ、
北海道新聞の道警本部担当の記者さんに話をうかがってきました。
主に、道警の組織と機構、人事についての情報なのですが、
やはり関係者(ウォッチャー)から聞く話は、
絶対に活字資料からは得られない深みと、
ディテールの豊かさがあります。いい話が聞けました。

翌日(昨日)は、小樽へ足を伸ばし、街を歩きまわってきました。
小樽を舞台にしようかと、構想が固まりつつあります。
「夜にその名を呼べば」で一度舞台にしたことのある街ですが、
「中産階級しかいない」と言われる札幌に較べ、陰影があります。
小樽の市民には失礼な言いかたになりますが、
60年も前に都市としての絶頂期を過ぎ、
いまは長い衰退の途上にある、という街の性格も、
警察小説や犯罪小説の舞台には似つかわしい。
ロシアン・マフィアの影、密貿易、あからさまな人種差別と、
都市としての負のアイテムにもきわだった特徴があります。
また、港があり、坂道があり、古い建物があって、
視覚的にも叙述意欲を刺激してくれる街です。
そういえば「不毛地帯」という映画では、小樽の金融街の一角が、
戦前の銀座、という設定で画面に出てきました。

小樽を歩いていて考えたことのひとつ。
古い建物の多いエリアに、
「メルヘン交差点」と名付けられた放射状型交差点があります。
この名を意識しながら周囲を眺めると、
ふしぎなことに、せっかくの本物の石造建築群も、
テーマパークのはりぼての建物のように見えてくるのですね。
どんなひとたちが何を期待して名付けた名かは知りませんが、
この愛称はせっかくの都市景観をじつに安っぽいものに見せてしまう。
余計なお世話ですが、歴史的な地名か、
自然に使われていた呼称をそのまま生かしたほうがよいでしょうに。

01/04/04



弟子屈に暮らすひとたち

きょう、弟子屈(てしかが)の次郎牧場に昼食を食べに行ったあと、
そのすぐ近くに住む西川栄明さんのお宅を訪ねました。
西川さんは、「男の隠れ家」でわたしを取材してくれたかたで、
四年ほど前に大手出版社を辞めて弟子屈に移住、いまはノンフィクション作家として、
またアウトドア・ライターとして活躍されています。
先日は宝島新書で「結婚の新しいかたち」というルポを出したばかり。

行ってみると、西川さんのお宅は、
白樺とハルニレの自然林の中に建つログハウスでした。
わたしの仕事場が「大草原の小さな家」なら、
さしづめ西川さんのお宅は「大きな森の小さな家」(「小さな」は修辞です)。
建物といい、環境といい、カヌーまで自作する暮らしぶりといい、
西川さん自身が、たとえば田舎暮らしやログハウス関連雑誌の
取材対象になってもふしぎはありません。

お昼を食べた次郎牧場(乗馬療法の牧場)も、
オーナーのYさんご家族は、大阪から移住してきたひとたち。
ご主人は大阪で事業を続けており、弟子屈と大阪とを行ったりきたりしています。
(わたしとYさんとは、少し前からのおつきあいです)
ちなみに、古い離農農家を北欧ふうに改装したYさんのお宅は、
「緑の牧場の赤い家」というところでしょうか。

ごく狭い範囲なのですが、弟子屈のその地区には
面白い生きかたをしているひとが増えつつあるのかもしれません。

01/03/31



集英社「コバルト」が創刊100号

昨夜、集英社コバルト編集部の編集長Tさんから電話。
「コバルト」がこのほど創刊100号、コバルト文庫も発刊25周年なので、
「コバルト」で記念特集を組みます、とのこと。
ついては短いエッセイを、との依頼でした。
わたしは「オール読物」新人賞を受けたあと、コバルト誌上でよく書かせてもらい、
文庫も三冊出してもらっています。
「コバルト出身作家」と呼ばれることにも抵抗はありません。
で、エッセイの件、快諾。

編集長のTさん(女性です)とは、デビュー直後からのおつきあいです。
担当編集者の多くは3年から10年前後で異動してしまうので、
これほど長いおつきあいがあるのは、いまや彼女だけ。
79年からですから、考えてみるともう22年になるのですね。

いまコバルトから新作を出すことにもついても、とくに違和感はないのですが
(98年には、「ステージドアに踏み出せば」を出しています)、
コバルトのパーティに行くと、わたしは完全に浮きます。
何年か前、パーティのあと、女性作家さんたちに誘われて
ディスコ(クラブ?)に行ったことがあります(氷室冴子、島村洋子、
岩井志麻子といった、豪華かつ強力な面々でした)が、
翌日以降、業界じゅうから冷やかされました。
冒険小説も書いている身としては、たしかに似合わぬ行為でした。

01/03/28



上野でサクラを見るなら

正月明けの「ひとりごと」のページでも書きましたが、住まいのある
東京・台東区の谷中・桜木地区では、総合地所・長谷工が建てようとしている
14階建て「マンション」をめぐって、住民たちが計画の変更を求める
運動を起こしています。
昨日は、また両社に計画変更を求める住民集会がありました
(わたしは出席はできませんでしたが)。総合地所・長谷工は、
法的には問題なしとして、いまだ話し合いには応じる姿勢を見せていません。
この週末あたり、上野公園や谷中墓地などにお花見を計画しているかた、
ぜひ散策かたがた、この言問通り沿いの建設予定地も見ていってください。

住民たちの希望は、けっしてむちゃくちゃなものではありません。
少なくとも大京観光は受け入れただけの、節度のあるものです。
話し合いには応じられないと、かたくなに突っぱれば突っぱるほど、
「あそこは経営危機だ」「なんとしてでも早く金が欲しいのだ」という
評判が広まるのでは?
長谷工も総合地所も考え直すべき時期だと思うのですが。

住環境をめぐる話題が、二日続いてしまいました。

01/03/27



悩んでないで現地へ飛べ


角川春樹事務所の北海道警察本部シリーズ、
3月上旬から書きはじめる予定でしたが、細部が煮詰まらないままに、
もう3月も終わり。こういう場合、うんうん唸っているよりも、
いちばんいいのは現地へ飛ぶこと。つぎに関係者に会うことでしょうか。
得られる情報もさることながら、気分がすっとそっちに向けられる場合が多い。
ブースター・ロケットに点火するようなものですね。

先日、北海道新聞のかたに、必要であれば道警本部担当の者を紹介しますと
言われていたので、お言葉に甘えて話をうかがうことにしました。
本来なら北海道警察に直接取材すべきなのでしょうが、なにせ
警察機構を賛美する小説にならないことははっきりしているので、
真正面から取材の申し込みはしにくい。「新宿のありふれた夜」では、
警視庁の広報を通じて新宿署の取材を申し込んだのですが、
さんざん不愉快な想いをさせられたあげく、
けっきょく取材拒否に遭ったといういやな体験もあります。

というわけで、来週はまた札幌に行くことになりました。


べつの話題。

きょうは雨。暖かい雨が勢いよく降っており、どんどんと雪が融けています。
雪原から湯気が立って霧となっており、あたりの視界は二百メートル以下。
なのに、こういう日のための安全設備(ということになっている)、
道路両脇の自発光式大型視線誘導標は、点灯していません。
昨夜はギラッ、ギラッと点灯していたのに。

霧とか吹雪の日には確実に点灯するように、そして、
晴れた夜には無意味な点滅はしないようにと、
このあたりの試験区間ではセンサーを取り替えたはずなのですが、
それにも欠陥があるのでしょう。
この設備のために、北海道土木現業所は、全道でもうずいぶん
工事費をつぎこんでいるはずです。
ある地方公務員に、役所には費用対効果という意識が薄いのでは、と言ったとき、
彼はきっぱり言いました。
「そういう概念は、そもそもありません」
その例証のひとつを、わたしは毎晩、仕事場の外に見ています。

01/03/26



下北沢の小出版社のこと


ひとりごとのページで、フリースタイル、という小出版社のことを書きました。
きっと女性中心でやっているところだろうと。
ところがこのサイトを読んだ知人からメールがきて、
男性がやっています、とのことです。

たしかに奥付には発行者・吉田保とあるのですが、
名義だけかと思いました。というのも、
この出版社のマークというのが、小さな女の子ふたりを描いた線画なのです。
仲のよい女性編集者ふたりが共同ではじめた小出版社、と想像しました。
それになにより、下北沢に事務所を持つセンス、というのは、
女性編集者のもののように思えます。
男性編集者が出版社をおこすとすれば、その事務所の所在地としては、
なんとなく新宿とか早稲田あたりの地名が思い浮かびますから
(この感覚、二十年ぐらいずれているかな)。

それで、この出版社のホームページをのぞいてみました。
フリースタイル
http://webfreestyle.com

なるほど、想像ははずれていました。
もっとも、男性がやっているかそれとも女性か、
と考えること自体が、無意味と言えば無意味でしたね。

片岡義男、下北沢の事務所、女の子を描いたマーク。
このことからすぐ女性編集者を想像してしまったわたしは、
たぶんたいへん通俗な偏見にとらわれているのでしょう。

01/03/22



週刊ポスト「ルマンの章」の大詰め

週刊ポスト連載中の「疾駆する夢」、ただいま「ルマンの章」を
書いているところですが、これもいよいよ大詰め。昨日は二回分送って、
担当編集者から「意外な展開でした」と電話をもらいました。
企みがうまくいっていたようで、こういうときは思わずにんまりしてしまいます。

日本の自動車産業の五十年史、という構想で書きはじめた小説ですので、
記述のスタイルはどうしてもクロニクル的なものになります。
でもいま、ルマンの五日間のパートを書いていて、自分には年代記よりも、
演劇的(戯曲的)構成の物語のほうが向いているのではないか、
と思いはじめています。言葉を換えれば、そっちのほうが得意か。
でもこれは単に、原稿を二週分送ったという高揚感のせいでしょうか。

昨日はファクスしたあと脱力して昼寝。午後からビデオ・ショップに行き、
ビデオを三本借りて、昨日のうちに二本観てしまいました。
「判決前夜」法廷もの。家族もの。リーアム・ニーソン、メリル・ストリープ、
エドワード・ファーロングの出演。
「将軍の娘」原作はネルソン・デミル。
警察シリーズにそろそろかからねばならないので、
気分をそちらに向けてゆかねばなりません。それで、このところビデオは、
「犯罪もの」「捜査もの」、とくに「地方」「小都市」が舞台という作品を
意識的に選んで観ています。
「将軍の娘」は、原作がおもしろかったからですが。

01/03/20



札幌で鳴海章氏と対談

帯広在住の作家、鳴海章さんと札幌で対談しました。北海道新聞の企画。
鳴海さんは気取りがなくて、どちらかと言うと豪傑タイプの物書き。
話はしばしば不適切な方面に脱線します。最初は少々面食らいました。
話好きなひとなのでこっちもつられておしゃべりになり、
全体では大いに盛り上がったのですが、はたして記事にできるだけの
中身であったかどうか心配です。

対談のあとは、北海道新聞のご接待。二次会の途中で失礼して、
友人たちが飲んでいる酒場に出向きました。
深夜をまわったところで携帯電話が鳴り、ふたたび北海道新聞のひとと飲むことに。
お座敷ふたつかけ持ちで落ち着かず、
双方に申し訳ないことをしてしまったような気がします。
わたし自身は、とても楽しかったのですが。
今朝はさすが、飲み過ぎたという気分で目覚めました。

01/03/16



やっと寒波が去ったようだ


きょうは快晴。風がないので、体感気温はいつもよりもずっと高く感じられます。
たぶんきょうの最高気温もせいぜいマイナス5度か6度だったでしょうが、
0度前後にも思える暖かさでした。
あるいはじっさいにそのぐらいまで上がったのか。
もしかすると、記録的だった今年の寒波も、去ったのかもしれません。

こんな日には、外に出るべきです。運動不足も続いていますし。
というわけで、近所の育成牧場まで行って、スキーで歩き回ってきました。
クロスカントリー・スキーは、ジョギングなみに運動量の多いスポーツです。
1時間少々、起伏のある牧場を歩き回っただけなのに、
ダウンの下の衣類は三枚、汗でぐっしょりと濡れてしまいました。
きょう一日で、ひと冬ぶんの汗をかいたようなものです。
(犬の散歩にもスキーですが、歩く距離はさほどではありません)

それにしても、きょうのように風さえ吹かなければ、当地の冬は最高なのですが。

01/03/13



上京中のあれやこれや


第二回のキューバ取材のため、あらためてキューバ大使館を訪ねてきました。
以前に書いたとおり、昨年は報道ビザの発給を拒否されており、
このままでは月刊プレイボーイの連載がどうにも締まらないものになると、
困っていたところでした。

こちらの窮状を知った知人が、八木啓代さんという、キューバ音楽の
シンガーを紹介してくれました。キューバについての本も何冊も出しているひとで、
キューバにたいへん詳しく、強いコネクションも持っているかたです。
このかたに同行してもらい、広報担当官と直接面談。
担当官からは、「月刊プレイボーイ」の特派記者としてのビザはやはり出せないが、
フリーランス・ジャーナリストとしてのビザは、
たぶん出せると思う、と言ってもらえました。ほっと安心です。
報道ビザで入ると、先方の受け入れ団体からいろいろと便宜をはかってもらえるらしく、
取材対象の多い、そうとう忙しい取材旅行になりそうです。

上京中、大薮春彦賞(徳間書店)の授賞パーティにも出席してきました。
同時にSF大賞の授賞式も行われたので、会場の雰囲気は、推理作家協会や
冒険作家クラブのパーティとは微妙にちがっておりました。
SFの若い作家さんたちは、コスチューム・プレイふうののりで出席しているのですね。
(以前、冒険作家クラブも、1930年代上海、というテーマでパーティを開いたことが
ありますが)、
その夜は編集者たちにはつきあわず、ひとり新宿方面に流れて、
古い友人たちが集まる酒場で深夜まで飲みました。
そのあと眠ってからも、頭の中は活発に働いていたような気がします。
ふた月ぶりの上京だったので、かなり興奮していたのかもしれません。

キューバ大使館に行くので、大江戸線という新しい地下鉄路線に
初めて乗りました。不思議な経路を走る路線ですね。
地上の東西南北の感覚を路線にあてはめようとすると、なかなか重ならない。
帰路、路線図をじっくり見たにもかかわらず、反対方向行きの列車に乗るという
ミスをやってしまいました。ま、よくやるといえば、よくやることなのですが。

01/03/05



鳴海章さんと初対談

先日北海道新聞から依頼があった、鳴海章さんとの対談が、正式に決まりました。
3月15日前後、札幌で。「四季対談」という企画の一環だそうです。
鳴海章さんとは、担当編集者が何人か重なっていたり、
東京でも出没する場所が似通っていたりと、よく接近はしていたようなのですが、
会ったことはありません。推理作家協会や冒険作家クラブのパーティでも、
会ったことはないな。これはこれで珍しい。それとも単に、紹介を受けたことが
ないというだけかな。

鳴海章さんはいま、出身地の帯広にもどって仕事をしているそうです。
このあたりはわたしの暮らしぶりと似ていないこともありません。
北海道新聞も、この点に興味を持って対談の企画を考えたようで、
提示されたテーマは「東京で活躍した後、いま北海道で文学活動を続ける意義」。
でも、わたし同様に鳴海氏も、
あえて北海道を拠点として文学活動を続けている、
なんて意識は持っていないでしょう。
あ、でも、創作塾のようなことをはじめたいとも発言していたような気がするし、
鳴海さんにはその意識はあるのかな。いずれにせよ、対談が楽しみです。

01/02/26



50メートルの不覚


19日の夕方、買い物に行ったとき、スーパーマーケットの駐車場から
店までの50メートルを歩いているだけで身体が冷えきってしまいました。
(たぶん、この冬一番の寒気の日だったでしょう)
ダウンジャケットを着て、防寒対策も万全のはずだったのですが、それでも寒い。
店に飛び込むと、すぐ衣料品売り場で厚手の靴下を買って、重ねてはいたくらいです。
でも、あの50メートルを歩いただけで、しっかり風邪をひいてしまいました。
その夜から、熱があがって、ダウンです。

翌日丸一日眠っていれば直ったのでしょうが、午後に予定の来客があって、
それもかなわず。あまつさえ、元気な行商のおばちゃんに、叩き起こされる。
昨日目覚めても、まだ熱は引いておらず、ぎりぎりまでベッドの中にいましたが、
午後一時には、「男の隠れ家」の取材チームがやってきました。
弟子屈在住のライター西川氏と、標茶町在住のカメラマン加藤氏のおふたり。
薬のせいでぼうっとした頭のまま、取材を受けました。まともな受け答えができたろうか。
この二日間は、犬と馬の世話もおざなりです。

今朝、ようやく少し熱もさがって、こうしてPCに向かいあっています。
きょうはもう仕事をしなければ、どこかの連載が白紙ページということになります。
考えてみると、わたしのいまの仕事の状態は、かなり綱渡りだったのですね。

こんな状態ですので、この三日間、Eメールにも返信できずにいます。申し訳ありません。

01/02/22



二年ぶりの部屋掃除

「武揚伝」第二稿を上げて、ワインに薪ストーブ、という区切りの行事にするつもりでしたが、
散らかった仕事部屋を見ているうちに、
いつのまにか資料整理と部屋掃除ということになってしまいました。

仕事部屋には、榎本武揚関係の資料類が、九龍城状態で堆積していました。
今週水曜日には、「男の隠れ家」という雑誌の取材を受けることになっており、
部屋を片づけるにはいい機会。ということで、たまった資料を収納庫に運び込み、
収納庫のほうでも、本棚を一本空けるために本の移動作業。
「武揚伝」を書き出したときから、仕事場の様子は変わっていませんから、
書き出しから二年にして初めての大掃除ということになりました。
けっきょく日曜日の午後まで、部屋の片づけと清掃です。

というわけなので「男の隠れ家」で紹介されることになる整頓された書斎は、
ふだんのわたしの仕事場そのままではありません。
演出、というのともちがうとは思いますが。

01/02/19



「武揚伝」直し終了

第一稿完成後、すぐに直しにかかっていた「武揚伝」、ようやくきょう直しが終了。
最終的に原稿の枚数は2200枚くらいでしょうか。
書き下ろしの大作の場合、書き終わってみないと判断がつかない、という
点が多々あります。そのエピソードが作品にとって必要かどうか、
そのキャラクターは必要にして十分なだけの濃さで描かれているか、
背景の説明や情報の提示は、ストーリーに溶け込んでいるか、といった点です。
ともあれ第二稿完成。三稿は作らず、これで編集作業ということになります。

直した原稿をMOに落として、いましがた、ヤマトで中央公論社に送りました。
その足で隣り町のワインショップに行き、ボルドーワインを一本。
明日も来週も、まだまだ地獄の連載原稿が待っていますが、きょうはこれでおやすみです。
仕事の区切りには温泉に入るという手もありますが、
わたしはさほど温泉が好きではありません。
せっかく薪ストーブも設置したことだし、きょうは音楽とワインで頭を休めます。

じつは先日、左目に出血がありました。
モニターを見つめすぎて、目も疲労していたのでしょう。
いまホラー映画の吸血鬼のような目になっています。
痛くはないのですが、目も休めてやらねばならない。

3月に入ったところで、角川春樹事務所の北海道警察本部シリーズにかかります。
札幌に行ってくる必要があるかな。取材ということではなく、
ただ気分をそちらに向けるためですが。

01/02/17



マイナス28度。寒い。


立春も過ぎたというのに、この地方の寒気はますます厳しくなっています。
今年は寒い、というのが、このごろのあいさつの決まり文句。
一昨日の朝は、たぶんこの冬一番の寒気でした。
近所の酪農家さんの話では、朝、マイナス28度だったそうです。
どうりで、一昨日は車のエンジンがなかなかかかりませんでした。
旭川とか帯広ではさほど珍しくはない寒気でしょうが、
わたしはたぶんマイナス28度というのは初体験です。

だから仕事がどうだ、という話題ではありませんが。

01/02/13



シャイニング症状の危険

ひとに会わずに仕事をしていると、「シャイニング症状」が出ます。
症状のひとつは、ひとに会ったときにはやたらにハイになるというもの。
一昨日、文芸春秋の編集者三人がやってきて、打ち合わせのあとは当然、酒宴。
歓談しながら、東京から持ってきてもらったワインをしこたま飲むという
ことになりました。おかげで昨日は久しぶりの二日酔いです。

酒宴の前の打ち合わせでも、ハイが出ていたような気がします。
未来が明るく見える。自分の力を過信する。
今年、もうひとつ仕事を引き受ける余力って、ほんとにあったろうか。

01/02/10



中島三郎助という武士がいた


仕事場のある土地では、新聞は郵便で配達されます。日曜日の新聞は、
つまり月曜日の配達になります。いま、日曜日のテレビ欄を見て驚きました。
中島三郎助についての特別番組が、昨日放映されていたのですね。
見逃しました。それにしても、中島三郎助がテレビで取り上げられるとは。

中島三郎助は、新作「武揚伝」の中でも、きわめて大きな位置を占める人物で、
わたしはかなり感情移入しつつ、その半生を書きました。
わたし同様テレビを見なかったひとのためにも、少し紹介しますと、
彼は浦賀奉行所の与力として、
ペリー艦隊と最初に接触した日本人ふたりのうちのひとりです。
黒船にショックを受けた中島は、その後長崎に海軍伝習所ができるとすぐに志願、
その一期生としてここに入学します。
このとき、中島は三十六才。当然妻子もありました。

留年して第二期生の榎本武揚と共に学び、
卒業後は、幕府海軍の軍艦の士官、
榎本武揚がオランダから開陽丸を回航してくると、この船の航海士となります。

やがて戊辰戦争勃発、中島は浦賀奉行所から同志を募り、
さらに自分の息子ふたりを従えて、榎本武揚と共に箱館に脱走します。
しかし五稜郭陥落の直前、中島たちが守っていた千代ガ岱陣屋は、
西軍の猛攻を受け、守備隊は壊滅、中島とそのふたりの息子は、
三人揃ってここで討ち死にするのです。

総攻撃直前、榎本武揚は中島の子供たちを分け、べつべつの陣地に配属しようとします。
どちらかが全滅という事態になっても、三人のうち誰かは生き残るように、
という配慮でした。しかし中島の息子たちは、この転属命令を断固として拒みます。
父親兄弟と離れて生き残ることこそ恥、ということでした。
その結果としての、父子三人揃っての戦死です。
戊辰戦争の無数の死の中でも、わたしにはもっとも印象的に感じられる死です。

中島三郎助は、日本の近代がはじまるその瞬間に立ち合った男であり、
有能な官吏であると同時に、知識欲にあふれた若い心を持った男でした。
そしてなにより、古武士のような倫理観を持ったサムライでした。
明治維新を扱った小説などでは、これまでほとんど取り上げられたことがありませんが、
テレビが特集番組を組むほど、その生涯が知られてきたのでしょうか。
そのきっかけが何なのか気になります。
わたしも「武揚伝」の刊行を遅らせてはなりませんね。直し作業は継続中です。

01/02/05



テレビ化企画流れの連絡


フジ・クリエーティブ・コーポレーションという映像プロダクションから連絡がきました。
「ステージドアに踏み出せば」を、NHKの「ドラマDモード」という番組に
企画として提案していたところなのですが、これが採用にならなかったということ。
同じようなオーディションの話が、吉本興行の若手たちの主演で、
すでに制作にかかっているのだそうです。

このプロダクションは、あらためてNHKの時代劇(45分×5−6話)の企画募集に、
「五稜郭残党伝」を提案したいと言ってきています。

映画化テレビ化の話というのは、10あってやっとひとつ実現するかしないか、
といったところでしょうか。もっと少ない、という話も聞きます。百にひとつとか。
わたしの場合、作品数の割りには映像化されているものが多いのかもしれません。

「五稜郭残党伝」は、94年に一回、若松孝二監督が映画化したいと希望し、
シナリオ・ハンティングまで進んだことがあります。
函館から始まったその取材旅行の初日、函館で監督やシナリオ・ライター、
プロデューサーとの打ち合わせに出席したことがありました。

このときは、ロケ地が北海道にはもう残っていない、ということで企画が流れました。
監督は、サハリンでだったら撮れるかもしれないと意欲を燃やしていたのですが
そうこうしているうちに、監督はロシアでも入国拒否名簿に載る立場に。
けっきょく実現しなかったのです。

「五稜郭残党伝」が映像化されるときは、撃たれて死ぬ討伐隊員の役でもいいから、
ぜひ特別出演したいものです。馬に乗って登場するのが、夢なのですが。

01/01/25



ひとにほとんど会わずに13日目


仕事も詰まっているし、なにより天気は荒れていました。
風も強いし、道路は凍結してつるつる。寒気も厳しかった。
こうなると、ろくに仕事場から出ません。ふと気がつくと、先週の日曜日に
友人四人がやってきたのを最後に、社交生活がありませんでした。
13日間、ろくにひとに会っていないのです。

この13日間に、町まで買い物に行ったのが三回。
宅急便がきたのは、やはり三回ぐらいでしょうか。
ここ数日、妙に雑踏が恋しくなっていましたが、そのせいですね。

今夜は町に出る用事ができました。そのあと、寄り道することにしましょう。
やはりひとは、コンパニオン・アニマルだけを相手にしていては、
生きてゆけないのですね。それとも、この仕事場の環境が特殊すぎるのでしょうか。

きょうは快晴、午後になって風も収まり、気温も上がってきています。
明日から雪だという予報ですが。

01/01/19



文房具としてのデジタルカメラ


必要ないと思っていたデジタルカメラでしたが、
ホームページを立ち上げてみると、
ときどき欲しくなるときが出てきました。
スキャナーで画像を取り込むという方法では、
ものによってはやはり画質の悪さが気になりますし。

それでとうとう買ってしまいました。
カシオのLV−10。わずか31万画素。
日経新聞に「文房具」として紹介されていた商品です。
文房具、という分類がなるほどと思えるだけの、
簡便な映像メモツールですね。
これを、カメラ、と考えると、機能不足が気になるでしょう。
秋葉原のLAOXコンピュータ館で9980円でした。
(ただし、零度以下の温度では使えない。
この季節、北海道の仕事場の屋外では、使用不可能です)

試し撮りを一枚、小さく紹介します。
デスクまわりです。

2メートル離れると、ストロボの光量が不足気味に見えますね。
01/01/12



犬がもう一匹増える


年明け早々、オール読物(文芸春秋)に
「愛犬自慢」ふうのテーマのエッセイを送ったばかりなのですが
直後に、飼い犬がもう一匹増えることになりました。
死んだ父が可愛がっていたアイヌ犬です。

父が死んだあと、札幌の親戚が引き取ってくれたのですが
その親戚も老齢となり、朝夕の散歩がつらくなってきたそうです。
それでわたしに、そちらで飼ってくれないかと打診がありました。
わたしの仕事場の環境のほうが犬にとっても幸せだろうと言います。
たしかにそうにはちがいない。
主人を亡くした犬をふびんに思ってこれまで飼っていてくれたのですし、
健康や年齢という理由があるなら、やはりわたしが交替すべきでしょう。
アイヌ犬は神経質で生涯一主人タイプの犬です。
いまからわたしにまたなついてくれるかどうか、ちょっと心配なのですが。

01/01/08




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