journal
03年11月分
北海道新聞コラム、ゲラ直し。
歴史読本エッセイ、ゲラ直し。
ペンクラブ会報、中国旅行報告。
『日本はなぜ旅客機をつくれないのか』(前間孝則、草思社)読了。
技術系のルポなので、わたしにはけっこう歯ごたえあり。
H2Aロケット打ち上げ失敗が報じられたきょう、読了。
著者の主張は、けっきょくこう要約できるでしょうか。
日本の国家戦略の中に航空機産業をどう位置づけるか、というグランドデザインがなく、
政府も官僚も野党も、航空機産業界の経営陣も無能。
こんなことでは、旅客機をつくれるわけがない。
わたしは航空機産業界の現状をこのルポで初めて具体的に知りましたが、
いささか寂しくなる。日本の駄目な部分が、この産業には集中してしまっているのだと
感じます。著者は最近、たしか「こうすればつくれる」という、いわば回答篇の
本を出したはずですが、もう手遅れなのではないだろうか。
中国の有人衛星打ち上げについて、石原都知事は「日本はその気になれば1年で
打ち上げられる」と発言しました。このひと、 日米経済摩擦が激しかったころも、
FSX開発計画について「アメリカ人は日本の開発計画を聞いて、そんなすごい戦闘機が
作れるのかと仰天したんだ」と、日本の技術水準をさんざん称賛しておりました。
でも、仕様書に書いてあることと、実際にそんな飛行機を作ることはちがう。
なにをアホなことを言っているのかと、あのときも感じておりましたが、本書は
彼をこう切り捨てています。
「石原のFSXに対する認識は、防衛庁制服組の主張をそのままオウム返しで
述べているにすぎず、日本の航空機産業に対する理解度も低いレベルでしかなかった」
日本が技術大国、科学技術先進国である、という妄想から、もうそろそろ覚めたほうがいい。
気温が上がりました。日中、冬用のアノラックでは汗をかくぐらい。
12、3度はあったのでしょうか。夜、星空がきれいです。
03/11/30
友人から教えられました。最近刊行された山本一力氏のエッセイ集の中に、
ケネディ暗殺の日、これを報じた号外を配達した、という文章が記されているそうです。
やはりあの体験は、新聞配達をしていた少年には、鮮烈な記憶として残ったのですね。
営業停止の掲示板のほうに、あつかましい書き込みが一件、つけ加えられています。
じつは同じ内容のメールも先日受け取っていたのですが、無視しました。
この人物、同じ文面のものを、誰彼かまわず送りつけているのでしょう。
誰に送ったかも忘れて、こんどは掲示板にあの書き込みです。
無差別に送るのではなく、ほんとうに絞った相手にのみ出していれば、何パーセントかは
好意的な反応も返るかもしれない。でも、この方法では、相手を不快にさせるだけ。
逆効果です。この手のひとたちって、どうしてそれがわからないのだろう。
どっちみち閉鎖する掲示板ですので、あの書き込みは削除せずに、
そのまま載せておきます。
03/11/29
昨日(27日)は、札幌。「札幌広告業協会」のみなさんの前で講演。
わたしは二十代のなかば、札幌の広告代理店に勤めていたことがあり、
札幌の広告業界はいわば古巣、社会的な故郷です。
じっさい、講演の聴衆の中には、いくつも知った顔がありました。
最初、講演のテーマを勘違いしており、北海道の産業創出あるいは地域興しという
テーマを語るものだと思い込んでおりました。
そのための準備をしていたところ、前夜になって、
幕末・維新史の中の魅力的なサムライたちの話をぜひ、ということだとわかった。
広告業界的なテーマとは関係がなくてもよいのだと。
ならば画像資料もあります。急遽、プロジェクターを用意してもらって、
画像を映写しながら、榎本武揚、中島三郎助、土方歳三、江川太郎左衛門らについて、
語らせてもらいました。さすが、少し慣れてきましたね。
いや、相手はプレゼンテーションの得意な広告マンたちでした。
やっぱり、へたくそ、と思われたかな。
この札幌行きで泊まったホテルは、アルファ・サッポロ改めホテル・オークラ。
とても気配りのきいたサービスのあるホテルでした。わたしは札幌の主だったホテルには
だいたい泊まったことがあると思うのですが、ここのサービスのレベルは最高かもしれない。
たぶんチェーン全体のものなのでしょうね。
ただ、部屋でPCをネットにつなごうとしたら、LANモデムは有料。1日1500円。
メールのチェックだけに1500円は痛い。接続はあきらめたのですが、
講演のあとPCショップに出かけたら、衝動的にAir-Hが使いたくなり、
PCカードを購入してしまいました。
これまでThinkpadがきちんと端末として使えたことがなく、
もう、その都度接続のことで悩みたくないという気持ちがあったものですから。
でも、冷静になって考えてみると、いまのわたしは、Air−Hをひんぱんに使うほど
旅行はしない。これはちょっと元が取れそうもない買い物だったな。
昨日の夜は、講演主催者である友人たちと食事。
業界の素敵な女性をふたりまじえて、イタリア・ワイン。
二次会では、『こんな夜更けにバナナかよ』の著者、渡辺一史さんを紹介されたのだけど、
この時点ではできあがっていて、何を話したのかろくに覚えておりません。
きょうは二日酔い。
03/11/28
日経マスターズ『英龍伝』最終回送稿。
北海道新聞コラム『干し草通信』次回分送稿。
やっと、ひと仕事終了、という気分。散髪に行く。
そのあとTSUTAYAに寄って久しぶりにソフトを借りたら、旧作ということで1本95円。
お、ここもデフレですか。それとも価格破壊なのでしょうか。
仕事場にもどってきて、部屋の清掃。
デスクの上を整理していたら、またまた請求書が続々と発掘されます。
8月の請求なんて、わたしは処理したのだろうか、それともそのままなのかな。
対応があとまわしになっていた手紙もいくつかあって、これにも返事を書く。
いよいよ懸案の書き下ろしにかかります。
いや、じつはその前に、ひとつだけやりたいことがある。仕事場の模様替え。
まず、床に直接山積みになっている本を整理しなくてはならない。
仕事場の整理がつかないのは、書棚の絶対数が足りなくなっているからです。
いろいろ考えましたが、できあいの書棚を買うよりは
造りつけにしてしまったほうがいい。
それで、工務店さんにきてもらって打ち合わせ。
いまの書棚と本の山を、一度すっかり移動させてから工事ということになりました。
ただ、ひとりの手には余る量です。酪農ヘルパーさんにきてもらって、
移動を手伝ってもらうことにしようかな。ヘルパーさんの時給は、いくらぐらいなのだろう。
03/11/25
日経マスターズ連載『英龍伝』最終回。明日、細かなところに手を入れて送稿。
例のとおり、最後はちょっと駆け足になりましたか。
主人公の江川太郎左衛門英龍は、『武揚伝』を書きながらも、
なぜこんなに知名度が低いのか不思議になっていた人物です。
もっと評価されても然るべきひと。人格の清廉さも、このひとの魅力のひとつ。
これで『武揚伝』『くろふね』に続き『英龍伝』と、幕末三部作は構想どおりに
書き上がりました。
『英龍伝』単行本化は、夏ごろかな。
三部作を書き上げたことで、歴史小説については少し時間を置きたくなることでしょう。
北海道新聞コラム『干し草通信』も書き直し。明日送稿。
グリーン・ツーリズムの研究会のために、熊本大学の佐藤誠先生が
当地に滞在中です。きょう、ホーストレッキングに出かけると聞いたので、
日中、トレッキング会場の牧場までごあいさつに。
すると、先生はいま、高野孟さんらと共に、山梨県で「ホースマンビレッジ」という
乗馬文化を普及させる施設を作ろうと運動中なのだとか。
加わって欲しいと頼まれたので、オーケーしました。
フリーダム・ライディング・クラブの田中雅文さんも、この運動のメンバーだといいます。
田中さんとは、面識はないけれども、あちこちで微妙に接近遭遇している。
ま、乗馬を趣味とする世界はとても狭いというせいもあるのですが。
掲示板をウェブログに移したこと、時期尚早だったかなと、ちょっと反省しています。
むしろ日記(コメントできない)をウェブログに移しして、
掲示板はわたしのホームページの奥にそのまま残すべきだったかもしれない。
昨日(23日)の朝の気温はマイナス8度でした。寒くなっています。
03/11/24
1963年、わたしは中学1年生だった。新聞配達をしていた。
その日は土曜日だったけれども、勤労感謝の日で休日。
わたしはいつもどおり朝6時前に起きて、家を出た。
その日は、テレビ史上初めて、日米間でリアルタイム実況放送するという日だった。
何週間も前から、この日のアメリカからの放送のことが話題になっていた。
その中継放送自体は、朝7時から始まるのではなかったろうか。
なんとか間に合うように配達を終わらせたいと願った。
でも、受け持ちぶんの新聞を配達し終わって新聞店に戻ったのは、7時少しすぎだ。
史上初めての日米間実況中継の開始には間に合わなかったのだ。
新聞店の店主が言った。
「10時に、もう一度きてくれ」
休日だったから、それは可能だった。
日米同時中継を楽しみに家に戻ると、父が起きて、テレビを見ていた。
父は言った。
「ケネディが暗殺されたよ」
アメリカからの放送は、大統領の暗殺を知らせてきたのだという。
最初、父はそれを信じることができなかったそうだ。
あまりにも絶妙なタイミングでの重大ニュースの勃発だ。
911事件をテレビ・ニュースで目撃した気分にかなり近いものだったろう。
わたしもテレビの続報にかじりつき、10時にもう一度新聞店にもどった。
集まっていた配達員たちも、みなその話題で興奮していた。
ほどなくして、号外が届いた。「ケネディ大統領暗殺さる」の大見出し。
店主はこれを配達して欲しいという。
わたしたち配達員は、その号外をいま一度、講読者さんのところに届けるため、
新聞店を出た。
1963年、11月23日朝のことだ。
確認してみると、ケネディの死亡が確認されたのは、アメリカ東部時間の22日午後2時半。
日本時間では、23日朝の4時半だ。アメリカ政府の公式発表は、死亡確認から
およそ2時間後ということだったのだろう。
あの号外を配達したことは、新聞少年だったわたしの、ちょっとした自慢。
「ケネディ米大統領が暗殺された時刻、自分がどこで何をしていたかを
鮮明に記憶しているひとは多い」
フォーサイス『オデッサ・ファイル』の冒頭。
昨日は大荒れ。雪こそ降らなかったけれど、突風が吹きまくりましたね。
上湧別行きは中止して、きょうにしました。きょうは当地、快晴。
上湧別の雪が心配だったけれど、あちらも快晴の好天でした。
03/11/23
北海道新聞のコラム『干し草通信』、次回分書いてしまったのだけれど、
読み直してみると、地域性の薄い話題だったように思える。
それで、昨日、突然思い立ちました。上湧別の煉瓦造り建物群を観に行こうと。
この煉瓦造り建物群、『Eastside』というローカル・マガジンが特集しており、
気になっていた。いつかコラムの話題に取り上げたいとも思っておりました。
町の資料館に問い合わせると、建物めぐりのための地図も用意してあるという。
地図があるということは、訪れるひとも多いのでしょう。
やはり見て回るだけの価値があるものだということです。
心配なのは天気。昨日の段階では、週末は紋別郡は曇りときどき晴れという予報だった
のだけれど、きょうになると、明日は吹雪だという。網走、北見は雪という予報ではないので、
遠軽のあたりから気候が変ってしまうのでしょうか。
行こうと決めるのがちょっと遅すぎたかも。日も短くなったこの季節に、あえて
上湧別まで走ることはなかったのだよな。天気が安定しているうちに行っておけばよかった。
出無精の物書きは、しばしばこういう失敗を犯します。
明朝、様子を見よう。
03/11/21
知り合いの女子学生さん(獣医の卵)からメールがありました。
大学の馬術部でずっと乗っていた馬がとうとう引退することになった。
余生をのんびり過ごさせてやりたいのだけど、引き取ってもらえないだろうかと。
この女子学生さん、3年前に当地で野生動物の治療の研修を受けたひと。
わたしもこの研修機関のセミナーで、道東の自然について話しておりました。
そのときから、彼女はその馬の余生のことを心配して、わたしの小さな牧場を見に来たとき
引き取ってもらえるだろうかと打診してきた。わたしもそのときは、飼っている馬は
1頭だけだったので、いいですよと返事をしていた。でも、いまは3頭。
馬小屋のキャパシティも放牧地の広さも限界です。
でも、彼女の気持ちはとてもよくわかる。自分の可愛がっていた馬を、
年老いたからといって、食用馬として市場に出すのはつらすぎることです。
馬仲間に声をかけて、なんとか受け入れたいと思っております。立候補、歓迎。
馬は19歳のセン馬。とても温厚な性格だそうです。
きょうは、四輪駆動車のタイヤを交換。夜から天気が崩れるようです。気温はさほど下がらない
らしいけれど、もうこの時期、いつ雪が降ってもおかしくはないので。
掲示板をべつのプロバイダーに移しましたが、この移行は、あるコミュニティに加わった、
ということでもあるのですね。わたしのサイトの奥にあって、わたしの読者以外は
目にしていなかったときとは違う。言葉づかいにも注意する必要が出てきたようです。
これまでは「荒らし」のないことが自慢でしたが、今後はそれも心配しなければ
ならなくなったのだろうな。
03/11/20
根室支庁他の主催による、『地域環境フォーラム2003in別海』という催しがありました。
わたしも当地のホース・トレッキング活動についての発表者として、この集まりに参加。
このところ、ひと前で話すときは必ずThinkpadを持ち込んで、画像を見てもらいながら
話を進めることにしています。これだと、話の下手さは、画像の情報でカバーされますので。
でも、きょうは事前にセットしておいたPCがうっかり強制終了されて、
いざ話し出そうとしたときに画像が出ない。話をしながら再起動を繰り返し、
ファイルを呼び出そうと必死。焦りました。
なんとか発表を終えて気がつくと、わたしは、パニックになっていたせいで、
テーマとは無関係に、ただ時系列で活動を説明していただけだった。
参加者のみなさん、こいつは何を話しているのかと、苛立っていただろうな。
『ユニット』映像化の話、編集部にもうひとつきたそうです。
こちらの企画には、すでにキャスティング案まで添えられていたとか。
宮永祐子の役には、わたしも好きなとある女優さんの名。お、なるほど。
自分では想像していなかったけれど、この案には惹かれます。
どの企画が通るにせよ、映像化、俄然楽しみになってきました。
03/11/19
某プロダクションから、『ユニット』映像化の打診。
出版社の著作権管理のセクションに交渉をお願いしようと担当さんに電話すると、
某テレビ局からもすでに一件ありとのこと。さらに、問い合わせ電話もふたつ。
映像化の話は、10本入ってひとつ実現するかどうかです。
こんどの話も、どうなるかわかりません。
困るのは、仮押えのままずるずると正式決定を引き延ばされること。
「こっちの企画が通るまで、よそからの話は断ってください」と要求されて、以前ならば
承知していたけれども、わたしもすれました。
「正式に決まるまでは、オープンにします。どこからの話にも、どうぞ企画を
進めてください、と答えますよ」と言うことにしています。
こんどの場合のように、出版社にそのためのセクションがあれば、交渉はそちらに
おまかせ。ビジネスライクに進めてもらう。きょうの件は、NHKのO氏を通じての
話とのことで、実現すればいいなと思うのですが。
それにしても、現代を扱ったものは低予算で制作できるせいか、問い合わせも活発です。
『武揚伝』『くろふね』なんて、ううむ、やはり億の単位でかかるだろうな。
『天下城』なら、10億とか20億という数字になるか。
日刊ゲンダイで、『ユニット』を紹介していただくとき、登場人物のイメージ・キャラクターを
訊かれました。真鍋篤は椎名桔平(字は正しいですか?)と答えましたが、
あとはとくに役者さんの顔をイメージしてはいません。
みなさんなら?
03/11/18
きょうは北海道、これまで初雪が降っていなかった地方でも初雪だとか。
当地、平地は雨ですが、さっき晴れ間てから見えた北の山の麓は、
二合目あたりから白くなっていた。明日は、やはりタイヤ交換だろうか。
『北朝鮮1960、総連幹部・最初の告発』(関貴星、河出書房新社)を読む。
59年から始まった北朝鮮帰国運動の欺瞞を、在日一世の著者が62年の時点で告発した
レポート。著者は、60年に平壌を訪れ、このときの体験と帰国者からの手紙をもとに、
当時「地上の楽園」と宣伝されていたこの国の虚妄を暴いた。
本書は、その復刻版。宮崎学が監修している。
昨年来の北朝鮮情報の激増で、中身は目新しいものではないけれども、62年の時点で
すでに関係者は北朝鮮帰国運動の悲劇的結末を見抜いていたという事実には、
ちょっと言葉もなくなります。
思い出すことがひとつ。
60年代の前半だろうと思う。わたしが新聞を読めるようになったころだから、
たぶん61か62年ころ。
当時、NHKの子供番組で、いまのグッチ裕三のような役を演じていたお兄さんがいた。
角刈りで、けっこういかつい顔だちの青年。名前は覚えていません。
このひとが、在日朝鮮人であることを告白し、番組を降りて北朝鮮に帰ることを決めた。
そのときのインタビュー記事を新聞で読んだ記憶がある。
祖国のために働きたい、という意味の決意を語っていたと思う。
新劇の劇団員だということも、その記事で知った。
子供心にわたしは、彼の判断はおかしくはないか、と感じたような気がする。
人気のテレビ番組を自分から降りる、という部分が、不思議に思えたのかもしれない。
格好つけてる、と感じたのだとしたら、自分がちょっとませていたと思うけれど。
それとも北朝鮮についての情報が、少しは出てきた時期だったのか。
あのお兄さんは、その後どうしているだろう。
この一年の北朝鮮報道の中にも、彼の消息に触れたものはなかったはずだ
(目にした限りでは)。
北朝鮮の放送局で働けたのだろうか。あるいはお芝居を続けられたろうか。
わたしと同世代ぐらいの日本人で、彼のことが気になっているひとは
少数いると思うのですが。
03/11/17
昨夜はご近所さんのバーベキューハウスに呼ばれて、シカ肉のシチュー(当地は
ジビエの季節になりました)とパエリアをごちそうになる。お酒はビールとワイン。
さほどの量は飲んでいないはずですが、今朝は二日酔い気味で目覚めました。
このところ、弱くなった、というよりは、自分の適量が不安定になった、という
思いがあります。以前同様に飲めるときもある。全然だめなときもある。
結果がどうなるか、飲んだ量では予測がつきません。
『隠された証言、日航123便墜落事故』(藤田日出男、新潮社)を読む。
85年8月の日航ジャンポ機の御巣鷹山墜落事故に関して、事故調査委員会は87年、
圧力隔壁が破壊されて垂直尾翼が吹き飛んだことが事故原因と結論づけた。
この最終報告には、出た当時から関係者のあいだで疑問の声が上がっており、
著者は、当時日航のパイロットだったひとりとして、報告に具体的に反論しています。
著者たちも、さまざまな機関で実験を重ねており、圧力隔壁の破壊はなかった、とする
結論には説得力があります。著者は、フラッター破壊説を採る。
わからないのは、事故調査委員会はなぜ、そこまで徹底して、早い段階から、
真相隠しに動いたのかということ。
ボーイング社の経営を守るため、アメリカから日本政府と運輸省に圧力があったことを
本書は匂わせるのですが、それでボーイング社が潰れるほどの重大な真相とも思えない。
著者はいわば「陰謀説」を唱えているわけですが、
真実はもっとばかばかしいことなのではないか、という気がしないでもありません。
薬害エイズ事件のときの、安部英という特異なキャラクターの存在のような。
技術的な論証の部分は迫力がありますが、何人かの関係者と接触するあたりの
描写は、妙に小説的というか、文学的です。
昨夜は突風が吹き荒れました。冬が目前だな。今週中に、冬タイヤに交換しよう。
03/11/16
『ユニット』の紹介記事が、出始めました。
先週の週刊新潮。数日前の日経新聞、北上次郎氏のコラム。
昨日の日刊ゲンダイ。
これ以外にも気づかれた方、ご一報ください。
ウェブログを始めたので、これにともなってPCにもいろいろ手を入れています。
当然、プロの手も借りているのですが、予想していた以上に細かなトラブルや、
予想もしない事態の出現で、バタバタしました。ちょっとぐったりです。
ウェブログを立ち上げたので、今後は読者の意見なり感想なりを求める話題については、
ウェブログのほうに書こうと思います。
また、時評系の発言はこれまで、できるだけ避けてきましたが、
鈴木宗男問題のように、きわめて身近な話で、しかも話題として退屈しないものなど、
多少は書かないでもありませんでした。これも今後はウェブログのほうかな。
こちらの近況のほうは、本来の開設目的どおり、仕事の関係各位に対するレポート、
という位置づけでやってゆきますか。
北海道新聞コラム『干し草通信』、第7回、アップ。
『歴史読本』エッセイ4枚、書き出すも終わらず。
とか。
それと、以前「独想録」というタイトルをつけていたページのような中身。
読んだ本の紹介も、これまでどおりこちら「近況」の中で。
ウェブログのサービス・プロバイダーである(という表現でオーケーか?)
「チャンネル北国tv」には、かなりの数のユーザー(これも、呼称はこれでよいか?)が
いるので、なんとなく自分のウェブログの「活発度」を競いたい気分になっています。
いやいや、まずいなあ。
本業がこのとおりあちこちに不義理状態なのに、そっちのほうに
エネルギーを割きたくなるなんて。
べつの話題。
先日来、携帯電話をauに乗り換えるよう勧められています。
仕事場はドコモの範囲ギリギリ。かかってきても、すぐ切れる状態なのですが、
auはこの地方の郡部に強いらしい。先日の地震のときも、最後まで
通話制限をせず、多くのひとや機関が、au頼りで連絡を取り合ったのだとか。
データ通信の場合の速度に関しても、誰かに、いいよと勧められたな。
いっそモバイルPCも、auで通信するようにするか(これはちょっと見栄ですが)。
03/11/14
予告していたとおり、掲示板を新しいサーバーに移しました。
Weblog形式です。新しもの好きの名に恥じぬよう、頑張って参加した次第。
どうぞ、どんどん書き込んでいってください。
ほんとうは、管理人のほうが積極的にテーマを提示してゆくべきなのでしょうが、
当面はオープン・テーブルで、どんな話題の書き込みでもかまわないということにしましょう。
ページを開くには、左のガイドバーの「カフェ&バー、直接店内へ」をクリック。
この新掲示板を立ち上げるために、ブラウザをNetscape4.78から、7に変えました。
モバイルPCで見ているときは感じませんでしたが、7になると、文字の標準表示サイズが
大きくなって、まるでIEの画面ですね。慣れないためか、妙に間が抜けて見える。
いや、子供っぽく見える、という感じでしょうか。
その分だけ、情報量が少なく見える、という印象もあるな。
文字サイズが大きくなったせいか、逆に行間はきつくなりました。長い文章が
とても読みにくい。いちいち表示サイズを変えてやるのは、ばかばかしく面倒だし。
Netscape7を、雑誌付録のCD-ROMからインストールしたのですが、
プレビュー・リリース期限切れというメッセージが出る。古すぎた付録だったようです。
バージョンアップ版をダウンロードして上書きしてやったのですが、
まだ起動のたびにこのメッセージが出て、うるさいったらありません。
これを完全に消す方法って、ありますか?
そんなこんなで、きょうはほとんど一日中PCの前。
『十七歳、悪の履歴書』(作品社、渥美饒児)を読む。
あの「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」を、加害者たちの視点から描いた
ノンフィクション・ノベル。
わたし、この「ノンフィクション・ノベル」という表現にはいまだなじめないのだけれど、
「歴史小説」と言うのと同じことかな。
徹底して登場人物たちの内面に入り込んで描くけれども、ストーリー全体は、
現実に起こったことから離れない小説、ということになりますか。
15年前の事件ではありますが、著者が書くように、
その後「突如として増えはじめた少年犯罪の象徴的事件」と言えるでしょう。
思い出せば、わたしもこの事件に衝撃を受けて、被害者の父親が加害者たちに
復讐に出る、という短篇を、あの当時すぐにひとつ書いていた。
この短篇は短編集には未収録です。でも、何かのアンソロジーには収録されたような
気がする。思い違いだろうか。
いずれにせよ、あのころから、わたしには少年犯罪と身内による復讐、ということが
テーマのひとつだったようです。
03/11/13
当地も寒くなりました。
一昨日の明け方は、マイナス6度まで下がっていたようです。
快晴続きなので、余計に寒いのでしょう。毎晩、寒空に月がきれいです。
きょうは来訪客の多い日。
ひとりは、近所の離農農家を別荘としているK氏。
恒例の仕事で、今年もこの時期、当地に滞在。
昨日見た離農農家のことを話すと、すぐに乗ってくれます。
こういう趣味の者同士、やはりなんとなく近づくものです。
細かく気分を上下させることも多い日。
読者から『武揚伝』の誤植の指摘。わかっていた点なのですが、やはり指摘には落ち込みます。
同じ読者から、1カ所、事実誤認ではないか、という指摘もあり。むむ。
『武揚伝』文庫版カバーにも誤植が見つかり、頭をかいています。カバーについては、
わたし、いっさい目を通していなかった。これも、むむ、です。
道警のとある刑事さんから、『ユニット』の御礼。取材させていただいたかたです。
稲葉警部事件が表沙汰になる前の取材でしたが、この刑事さんの抱いていた疑念について、
わたしが作家的想像力について書いた部分を評価してくれておりました。
ほとんどノンフィクションに近いと感じると。これは励みになる手紙でした。
この季節、ふつうのひとは年賀状の準備を始めるのでしょうが、わたしは忘年会の準備に
取りかかりました。ときおり、企画にはまったく関わらなかったために、
あまり居心地のよくない忘年会なり飲み会を体験します。
ならば多少面倒でも、自分にとって心地よい集まりをプロデュースしようと。
こういうことって、ふだん世の雑事から縁遠く生きている物書きにとっては、
けっこう脳細胞を活性化してくれる刺激的な体験となります。
前にも予告しましたが、近日中に掲示板を別サーバーに移します。
いわゆるBlog(Weblog) 的なものにしようと思っているからですが、ソフトの都合で、
Netscape4シリーズでは画面が正しく表示されません。わたしもこの機会に、
7シリーズに変えようと思っております。
ブラウザとしてNetscape4シリーズだけをお使いのかた、ご迷惑をおかけします。
03/11/12
近所の酪農家さんに案内されて、サイロが2本建っている離農農家を観に行ってきました。
その酪農家さん、離農農家の探訪がわたしの趣味であることを知っていて、
ここは知らないでしょうと、きょう誘ってくれた。
行ってみて驚きました。その離農農家は、わたしがここで土地探しを始めたころ、
車で走っていて廃屋が目についたので、その脇に降り立ったことがある場所です。
そのときも案内されたひとに、ここもいい、と意思表示していましたが、
「ここが?」と怪訝な顔をされ、持ち主には売る意志がないはずと言われて、
候補からはずしたところ。
そのときは夏だったので、木立の奥までは入り込めず、
奥にサイロが建っていることも気がつかなかったのでした。
下草も枯れたきょう行ってみると、カラマツとトドマツの防風林の奥に、
宅地(営農施設用地、1町歩ぐらい?)が拓けていて、
適度な起伏と自然林もある(ふたつとも、わたしが当初から強く望んだものですが、
その時点では条件を満たす売り地は見つからなかった)。
敷地の端には、家のシンボルとなるようなハルニレの巨木も立っておりました。
おそらく樹齢100年以上。こんな木は、どれだけお金を積んでも入手不可能です。
雑事から隔離された仕事場を建てるには、最高のところと見えます。
敷地の中を歩きながら、あのとき、なぜもう少し慎重にここを検討しなかったか、
だんだん悔しくなってきました。
わたしはあのとき、仕事場を手に入れることに、とてもとても焦っていたのだろうな
(たいへん複雑な事情がいろいろからんでおりました)。
しばらくは自分の居住環境についてはあれこれ考えない、と決意しておりましたが、
ぐらつきます。そんなことをやってる余裕はないだろう、と考えるいっぽうで、
ひとは美しい庭を作ることに一生を費やしてもよいのではないか、とも思うのです。
自分の美意識の貫かれた美しい小世界を造ることは、
十分に男子一生のテーマになりえます。
あ、この場合の「男子」は、「社会人」程度の意味です。
(美しい小世界などと言わず、自分の手でこの世界を変えてやる、と何故言えないのか、
という主張もあることは承知)
安曇野に住む丸山健二も、営々と「白い庭」を造り続けているとかで、
テレビでドキュメンタリーを少しだけ観たことがあります。
あの番組中の氏の姿には(そして白い花で埋まった庭にも)鬼気迫るものを感じましたが、
それがやりがいのある事業であることは理解できます。
(氏の庭を埋めつくす白い花は、否応なく骨を連想させました。もしかすると氏は、
自分の墓所を自分の手で造っている、ということなのかもしれません)
さあて、一生懸命仕事をするべき動機がもうひとつ増えたぞ。
03/11/11
新しい作品にかかるときは、お芝居で言う「役作り」に近い手続きをとるようにしています。
その作品世界に入り込むための、雰囲気作り、気分作り、と言い換えることもできるでしょうか。
テーマ音楽を決め、ビジュアルの資料もたっぷり眺めて、デスクの周囲にもさりげなく
小道具など(ゼロ戦のプラモデルとか、地球儀とか)を飾るのです。
地図とか現場の写真、登場人物の写真なども壁に貼ったりする。
角川春樹事務所の『警官仕立て』(仮題)は、いったん書き出して中止していましたが、
中断した理由は、あのときはほかの連載があって、物理的に苦しかっただけではなく、
この「役作り」がうまくゆかなかったせいでもありました。
あの時期、わたしは完全に、戦国の土木技術者・戸波市郎太であり、
浦賀奉行所の与力にして造船技術者・中島三郎助でしたから。
ですから仕事にかかる前は『スターウォーズ組曲』を聴いて、戦乱の時代、激動の時代に
自分の意識を飛ばしていたのでした。その合間を縫って、北海道警察のベテラン刑事に
なるのは難しかった。
あらためて『警官仕立て』を書き出すにあたって、テーマ音楽の選曲から始めています。
じつはまだテーマ曲を決めきれていないのです。
これもいままで書き進めることができなかった理由のひとつでしょう。
こんどの作品は、ジャズが合うだろうと思って、夕方からコルトレーンを流し続け。
でも、まだしっくりくるもの選ぶには至っていないのですが。
もっと幅を広げて探したほうがよいかな。
そういえば角川春樹御大ご自身の監督作品ではなかったろうか。
『キャバレー』だと思いましたが、『レフト・アローン』がテーマ曲だった作品がありましたっけ。
きょうは手紙をまとめて書いたり、郵便物を作ったり、航空券の手配と、雑用多し。
そのほかに本の整理、牧場の雑用。いろいろまだまだ終わっていません。
初雪が降るまでにやっておかねばならないことも多い。間に合うだろうか。
03/11/10
終日、スキャナーとパワーポイントで資料作り。
来週、当地の「地域環境フォーラム」というイベントで、発表者のひとりとなっているのです。
さいわい映像資料が豊富なので、映像で日米比較をしながら、発表しようと考えている次第。
モバイルノートとパワーポイントを使うようになって、わたしはこういう仕事(作業)が、
けっこう好きになってしまったようだな。
昨日の麗江の写真、友人から、開けないとの指摘あり。ファイルの名が日本語なので、
半角英数字に直して転送しなおしたら、と勧められました。
わたしのブラウザ(Netscape4.7)では問題なく開けるのですが、念のために勧めどおりにしたところ、
IEでもでNetscape7.0でも開けるのに、逆にNetscape4.7では開けなくなってしまった。
みなさんのブラウザでは、あの3点の写真、きちんと表示されていますか?
連日、好天が続いています。空気は身震いするくらいに冷たくなっているけれど、
この季節は嫌いではありません。もう一回ぐらい、馬で遠乗りに行けるかな。
03/11/9
簡単に。
今度の旅行で中国作家協会が案内してくれた場所のハイライトが、
雲南省の世界文化遺産指定都市・麗江(リジァン)。
雲南省は小数民族の多い土地ですが、この街はナシ族の王府があったところ。
民族服を身につけたナシ族の女性を多く見かけます(男性の服装は、
一般の漢族のものとまったく変わらない)。
街の中には水路がいくつもめぐり、石畳の道は迷路のように入り組んでいる。
至るところに外国人を対象にした小民宿「客銭」があって、少しバリ島のウブドという
村を連想しました。こういうところで、1、2週間滞在する、という休暇も悪くないでしょう。
写真1、水路と街なみ
2、水路の洗濯場
3、石のアーチ橋
追加写真
4、屋根と壁
5、坂道
じつは、ネガフィルムから、新しいスキャナーでこれらの写真を取り込むとき、
ファイルの形式をJPEGにし忘れました。きょう一日かけて中国旅行の写真を保存したのに、
その作業はすべて無駄。最初のときにもやった失敗でしたが、時間が開いたので、
すっかり忘れていました。JPEGを標準設定にしておいてもいいんじゃないか、CANON。
03/11/8
北海道野生生物基金の機関誌『モーリー』編集部から、ひと月前に送った原稿の
ゲラがやっと送られてきました。
ところが、なんと、写真キャプションのチェックだけにしてくれ、本文には手を入れるな、とある。
わたしはゲラに対して、手を入れるな、と指示されたのは初めてです。
たしかにテキストデータをフロッピーディスクで送るよう求められていたので、
送ったものは完成原稿であるはずですが、それでも手を入れる箇所は絶対に残っている。
キャプションのほうは直せるのですから、印刷上、技術的に不可能ということではなくて、
要するに編集部が面倒だということでしょう。
この雑誌、北海道新聞社が発行元ですが、編集しているのはたぶん、野生動物保護団体の
編集についてはアマチュアのひとたちです。
断りきれない義理があって引き受けた原稿ですが、編集部からの要求は
最初から妙に偉そうで、一方的なものだった。かなり神経を刺激してくる原稿依頼。
そして、きょうのゲラについても、戻しの期日をきっちり指定してある。
予告なしにゲラを送られて戻しの期日を指定されても、
それに対応できるかどうかはわかりません。
そのとき相手は不在かもしれない、とは、この編集部のひとたちは想像できないのだろうか。
これが先週のことだったら、いったいどうなっていたのだろう。
こういう編集部とは、もう無縁に生きてゆきたい。疲れます。
先生先輩各位、わたしは、このつぎはお断りです。
と、また、いずれ消すことになるかも知れない怒りの文章。
これもトランキライザー代わりですので、見苦しいかもしれませんがご容赦を。
原稿依頼で思い出したこと。
先日、ファクスで依頼がきたけれども、どう対応すべきか、何も記されておりませんでした。
諾否を電話しなければならないのか、それとも先方からかかってくるのを待つのか、
文面からはわからない。
そのままにしておいたら、旅行中にふたつ、留守電が入っていた。
でもその留守電にも、どう対応したらよいのか、指示がない。
このサイトを読んでくれているようなので、
eメールで、返事が欲しいと書かれてくれば確実なのですが
(少なくとも、今度の場合、10日待てば返事が入った)。
先方には、無視された、と思われているのだろうな。
こちらからすぐ電話するのが常識なのだろうか。
『歴史街道』、「最後のサムライ」特集、
『ブリュネたちが見た榎本武揚の理想』10枚、送り。いや、11枚になってしまった。
03/11/7
こんどの旅行は、わたしにとって3度目の中国です。
最初は97年で、上海、南京、武漢、重慶と回り、つぎが98年で、北京と西安を
旅しました。どちらも角川書店『鷲と虎』のための取材旅行でした。
ですから、こんどの旅行で、北京も上海もそれぞれ二度目ということになります。
北京空港に降りたってからは、中国ペンクラブ(作家協会)にすっかりお任せで、
自由時間もなし。かなりの強行日程の旅行でした。
前の2度の旅行のときもぼんやりと感じたのですが、東アジアにはまちがいなく
国境を越えて生活感覚を共有する世代が育ってきているように思えます。
中国でいま一番読まれている日本人作家は、村上春樹だそうです。
村上春樹を楽しむためには、ある水準以上の都市的生活が基礎になければならないはずです。
具体的に言えば、個室、水洗トイレと、個的な趣味を楽しむための経済的なゆとりです。
中国の大都市、とくに北京と上海には、村上春樹を読んで楽しめる世代(あるいは階層)が、
すでにマスとして存在しているのでしょう。
また今回会った中国の作家たちも、年配の数人を除いて、名刺にはみな携帯電話の番号と
eメールアドレスを印刷していました。
5年前は、ガイドさえ携帯電話は持っていなかったものですが。
ところが、中国の経済力や中国市民の生活について、
いったいいつの時代の話をしてるのだ?と突っ込みたくなる発言って、多いのですよね。
帰国して、石原都知事の発言などを知ると、このひとたちにはたぶん
アジアでいま何が起こっているのかということなど、何も目に入っていないのだと思えます。
あのひとたちは、中国や韓国を侮蔑しきって汚い発言を繰り返していますが、
それではいずれ強烈なしっぺ返しを食らうことになるでしょう。
経済大国の地位から転落しつつある日本にとっては、
中国、韓国を友邦とする以外に、生きてゆく途はないのに、と思うのですが。
ふと思いつきましたが、東アジアの保守層というのは、野球業界のようなものです。
台湾、韓国にも、国家の肝入りで造られた野球リーグがあります
(現在、人気はどうなのでしょうか)。
日本の野球リーグを含め、この業界の関係者たちは、
アメリカ・メジャーリーグの圧倒的な強さを承認したうえで、
自分たちもなんとかその世界の末端に連なり、同化したいと切実に望んでいるようです。
それはこれらの国の保守的指導層の世界観と、彼らの構想する国家目標とに、
ぴたり重なっているように感じられます。
でも東アジアの若い世代は、もうそんな国家目標などお笑い種としか感じていないでしょう。
はっきり言えば、アメリカ野球に憧れるようなセンスはダサい、ということになりますか。
彼らは、村上春樹を楽しみつつ、東アジア全体を、自分の生活感覚が通じる
地理的・文化的範囲と把握して、ここに新しい関係を作りつつある。
その意味では、先日のワールドカップは(評価はいろいろありましたが)、やはり
つぎの時代のありようを予見させるイベントだったと言えるのかもしれません。
中国(人)・韓国(人)を嫌悪する保守層には、たぶん5年後の東アジアは
かなり居心地の悪いものになっているはずです。
そうそう、上海の街では、金城武の新作映画の看板があちこちにかかっておりました。
『向左走、向右走』というタイトルです。芸能の分野ではとうに、東アジアの若い世代は
自分たちの文化圏に、共通のアイドルやスターを手に入れているということですね。
中国旅行の話題は、今後も少しずつ。
お知らせ。
このサイトの掲示板を、近々べつのサーバーに移します。
掲示板を、いわゆるBlogとして、時評系の話題(地域の話題が中心となりますか)も
語れるような場としようと考えています。
03/11/06
北海道の地ビールの先駆け、オホーツク・ビールの水元代表と会う。
氏が持参した4種類の地ビールを飲ませていただきました。
4種類ともすっきりした飲み心地ですが、わたしの好みは、エール・タイプだな。
飲みながら、世界のどの国のビールがうまいかまずいかという話題になりました。
氏は、たぶん北朝鮮のビールはうまくないだろうと言います。痩せた土地、荒れた農地では、
収穫される大麦のたんぱく質含有量が増えるので、ビールの味を落とすのだとか。
ポーランドのビールがまずかった理由も、それだろうか。
あわただしく出発したので、仕事場はゴミの山状態。この整理と清掃に、
数日かかりそうです。
明日までに、『歴史街道』の原稿1本。
03/11/5
留守をしておりました。
先日書いたように、日本ペンクラブと中国ペンクラブとの交流事業に参加、
北京、昆明、麗江、上海と旅行していたのでした。
刺激的な旅行でした。旅行の具体的なところについては、ぼちぼちと報告します。
PCのメーラーを開けたら、着信ファイルが無限に増殖してゆく状態です。
ウィルス感染なのでしょうか。日曜日以降の分のメールは、開くこともできない。
アンチウィルス・ソフトで治療しようとしたところ、このソフト(VIRUS DOCTOR)さえ、
なぜか消失している。以前、システム復元のときに消してしまったようです。
なんとか復旧しましたが、留守中にたまったメールの数が多すぎて、すぐには
全部にお返事できません。緊急の用件は、電話かファクスで佐々木に再確認ください。
03/11/04