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近況 2003年6月分


Thinkpadフリーズ

2日の東京農大の講義のため、パワーポイントの画像資料をテストしようとしたら、
フリーズ。前回はうまく動いたのに。

マイクロソフトのサポートセンターに電話して、細かな操作を繰り返したところ、
なんとか復旧、礼を言って電話を置き、再起動したら、ここでまたフリーズしてしまった。
パニックです。もう時間がない。サポート時間は終了してしまった。

画像はCDに焼いてあるので、最悪の場合、それだけ持ち込むことになりますが。
いや、原稿も書かねばならない。フリーズのままではまずい。
わたしはモバイルノートが使えることを前提に予定を組んでしまった。

それにしても、こんどはどちらのサポートセンターに電話するべきなのだろう。
マイクロソフトでよいのか? それともIBM?

明日9時半から30分ぐらいで復旧するだろうか。
フリーズしてるのに、スクリーンセーバーだけは動いているってのは奇妙な気もするが。

みなさん、パワーポイントは安定して使えています?



口の中に、ぽつりとできもの。過労か、栄養不足が、身体に現れました。
以前にも過労でダウンし病院に行ったときは、舌に真菌というカビが生えてた。
診てくれた女医さん、うれしそうに言ったものです。
「ほんものを見たのって初めてです」

03/6/30





天正5年説について情報

昨日の近況について、森俊弘氏からメールがきました。氏は『城郭史研究』にも
安土城天主復元案を発表されているかた。
掲示板のほうにも何度か書き込みいただいています。

氏からのメール。『信長公記』よりも古く信憑性があると言われている『安土日記』
の中にこういう記述があるとのこと。

「天正五丁丑八月廿四柱立 同霜月三日屋上葺合候」

これが、城郭調査研究所の年表の根拠でしょう、というものでした。
ありがとうございます、森さま。

わたしは、『安土日記』は研究書の引用でしか見ていないのですが
これは、安土城天主に触れた冒頭2行目にあたる箇所ですね。
(森氏も引用していました)

『信長公記』では、同じ部分「安土山御天主の次第」は、巻九(天正4年)に記述され、
工事過程は書かれていない。
こちらのここの記述だけとれば、天主は天正4年中に完成したと解釈もできるのだけど、
いくらなんでもそれは不可能です。


さて、天正5年説には根拠があることはわかりました。
でも、研究所年表では、天正5年11月は上棟。『安土日記』では11月は屋根葺き工事。

わたしも昨日はうっかり、上棟を事実上の本体完成と思ったけれど、
屋根を葺いてようやく本体工事が終了ですね。ずいぶん差があります。

しかしこれでも、やはり、昨日書いた疑問が残る。

1、安土城のように全山が石垣で構成されたような城の場合、石積みの工事は下から
順にやってゆくしかないはずだけれど、1年で天主台まで積むことがほんとうに可能か。

2、安土城天主ほどの規模の建物の内装に、1年6カ月もかかるだろうか。
安土城天主の壁画、障屏画、天井画がどれほど凝っていたとしても、
内装工事にこれほどの時間はかからないでしょう。

3、安土城天主の場合、何よりの見物は、その高さと、望楼からの眺めであったでしょう。
天正5年の11月にすでに屋根が葺き上がっていたなら、内装工事は途中でも、
信長は望楼まで誰かを案内したはず。せずにはいられなかったはずです。

でも7年1月に津田宗久に見せるまで、信長は1年2カ月も、案内を我慢していたことになる
(少なくとも、記録を残したり評判を広めてくれるような人物は案内していない)。
ありうるか。


『安土日記』、この部分の筆記者は京都所司代だった村井貞勝であるらしい。
当時の信長の家臣は、信長の安土城天主への移り住みの日付は
鮮明に記憶しているだろうけれども、工事過程についてはどうだろうか。
天正5年だろうと6年だろうと、さほど問題ではなかったのではないか。

『信長公記』では、天主の様子が天正4年の巻に書かれているのが、その証左。

というわけで、わたしはここでも通説(だとしたら)破りをやることになります。

03/6/28





安土城天主の建った年

『天下城』安土城天主の建った年をめぐって、ちょっと面白い話をひとつ。

わたしは、天主の工事が行われた年を天正6年(1578年)と措定して
叙述してきたのですが、校閲さんから、天正5年ではないか、との疑問。

校閲さんが根拠としたのは、○○県立城郭調査研究所の作成した年表だとのことです。
この研究所、ま、安土城研究では、権威ある機関ですね。

でも、天正5年では腑に落ちないので、その年表を送ってもらった。
当該部分、こう記されていました。

1577(天正5年) 安土楽市楽座(6月)
            安土城天主着工(5月)
                   立柱(8月)
                   上棟(11月)
1579(天正7年) 浄土宗と法華宗が安土浄厳院で宗論(安土宗論)
            安土城天主に移る(5月11日)



ちなみに、わたしが整理した安土築城過程は。
天正4年(1576) 1月、安土城築城開始、安土山開削始まる。
            4月、石積み開始
天正6年(1578) 4月、天主台完成
              5月、天主作事開始
              11月、天主建物本体完成
天正7年(1579)  1月、津田宗久に天主を見せる
             4月、内装工事、付帯施設工事完了
             5月、信長、天主に移る


○○県立城郭調査研究所の年表だと、石積み工事にはわずか1年。
建物本体工事に6か月(これは妥当)、なのに、内装と付帯施設工事には、
それからなんと1年6カ月かけていることになる。

それで、城郭調査研究所の年表をよく見てみると、これは最初に作成したひとが単に、
上記2行目に、天正6年と書き入れるのを忘れただけではないか、と思える。
右の記述が時系列に並んでいないのです。
でも、権威ある機関が作った年表ですから、この誤記が事実としてひとり歩きしているのではないか。

(この次これを書き写すひとは、5月と6月とをきちんと入れ換えることでしょう。
そうなると、この年表がおかしいことすら、もうわからなくなる。そして通説となる?)

担当編集さんに、○○県立城郭調査研究所に電話してもらいました。
この年表の、天正5年天主着工・完成、と読める記述、「6年」の抜けではないか。

最初はよく知らない職員が出たそう。
編集さんは研究員の名を訊いて、こちらにも電話。

研究員は答えたそうです。
「年表は内藤先生(名古屋大学教授、吹き抜け天主説を採る)の研究をもとにしています」
「信長については、よくわからないことが多いのですよ」

ではその記述の出典は、と編集さんが粘っても、答えてくれないそう。
最後にはこの研究員、
「自由に書いてくれてかまわない」と怒り出したそうな。

怒ることじゃないと思うが。
その研究機関が公表していることの根拠を訊いただけだよ。

「立柱」「上棟」という作事内容が具体的に記されているのだから、典拠はあるはず。
わたしは安土築城に関して、一次史料としては「信長公記」とフロイス以外
目を通していないので、同時代のこれこれの史料には天正5年と記されている、
ということであれば、納得するのですが。


だから、わたしは、天正6年という判断で書きます。

03/6/27




秘書業務委託、試験運用

秘書業務委託を、司法書士さんの事務所のご好意で1回お試し。
必要な用件をファクスし、買い物をお願い。買ったものを届けてもらって、
さらに投函すべき郵便物を渡す。

そのくらい自分でできるだろうって思わないでくださいね。
町まで(ということは、いちばん近いコンビニまででも)15キロの距離。
往復で最低30分。あちこちの駐車場に車を入れては用事をすませ、
また発進させてと、けっこうな時間を食う。何より、集中が切れる。
余裕があるときなら、もちろん、気分転換の意味でも自分でやりますが。



来月は講義と講演が合わせて3つ。そのための事務的なやりとりを
主催者側と連日やっているのですが、何か自分がこれまでとはちがった種類の
物書きになったような気分です。

じっさい、来月だけは、わたしは田舎にこもった偏屈活字派著述業ではないな。
ジェットセットは冗談にしても、腰の軽い、おしゃべり好きの物書きだ。

今月中に連載がふたつ終わっているという目算だったので、
こんな予定を組んでしまったのですが。だからいま地獄。破綻すれすれ。



空港の駐車料金問題、同じく道東に住む同業の知人から、賛同のメールがありました。
昨日は、自分は細かいことを書いているかな、という想いもあったのだけど、
同じ問題意識を持っているひとがいると知って心強い。


そういえばもうひとつ。先日の夜の訪問者。近所の農家さんではないのか、と、
友人が電話してきた。
仕事を中断して出てきたわたしの様子を見て、向こうもパニックになって、
何も名乗れず、用件も言えずに、退散したのではないかと。

相手がパニックになるほど、わたしの顔は鬼めいていたか。
でも、やっぱりあれは、セールスの苦手なセールスのおじいちゃん、と思うのですが。

03/6/26




秘書を雇うわけではありません

昨日の記述、誤解したひともあったようです。
わたしは秘書を雇うわけではありません。

秘書業務、メッセンジャー業務を、ある事業所に一部委託するのですが、
必要なときだけ、この事業所にわたしが電話し、担当者さんにきてもらう。
で、郵便局なり金融機関なり書店なりに行く用事を代行してもらうというかたち。

わたしの仕事場に電話をかけても、その担当さんが秘書として電話口に出るわけでは
ありません。メールの返事うんうんというのも、見栄で書いたのだって。



地元の新聞のコラムが、釧路空港の駐車場が有料であることの問題を
取り上げていました。この地方のほかの三つの空港(帯広、中標津、女満別)は無料。
不公平なのではないか、という主旨。

この問題を取り上げたはいいが、結論がだらしない。
「駐車場が有料なのは不公平とは言えないらしい。環境のことを考えて、できる限り
公共交通機関を使うべきなのかもしれない」

国が管理する空港の駐車場は、国土交通省の利権の場、という視点が欠如している。
それに、この広大な道東地方で、空港まで公共交通機関を使えるひとが
どれだけいると思っているのだろう? 
送り迎えしてくれる専業主婦か使用人がいる、というのも、特権階級の話。

わたしが当地に仕事場を設けた理由のひとつは、東京直行便のある空港があって、
しかも駐車場が無料だからでした。

千歳空港のように駐車料金が馬鹿高だと、あちらの地方では
田園地帯に仕事場を持つ、という生活スタイルは不可能だった。
車で空港に乗りつけて、何日間か仕事に出る、という暮らしはできません。


北海道の多くの市町村で、サテライト・オフィスの誘致とか、SOHO事業者を
呼ぶことが、地域振興策のひとつとして掲げられている。
だったら、その土地の空港の駐車場は無料であるべきです。
「この地方は、自動車と飛行機がひとを豊かにしてくれる土地です」と訴えるべきなのだから。

頻繁に飛行機を利用する住人は、わりあい経済力もあって、
活発に仕事をしているひとでしょう。
なのにいまのぼったくり航空運賃や、空港駐車場の有料化を認めれば、
その土地にとって本来歓迎すべき住人ほど、生活コストの高さに音を上げて
その土地を出てゆくことになる。


それにまた、あの新聞の記者は、本気であの結論を書いたのだろうか。
「環境のことを考えて、できる限り公共交通機関を使うべき」

これって環境の問題ですか? 
「住民の利便性を考えて、駐車場は無料であるべき」というのが、
結論であるべきだと思いますが。

この記者、そのうちに
「環境のことを考えて、牧草はトラクターを使わずに人手で刈ろう」
なんて言い出さないだろうな。


ちょっとカリカリしましたか。

当地、一番草の刈り取りが始まりました。

03/6/25




セキュリティ・プラン

仕事場の防犯対策を、先日、友人たちと話題にしたことがあります。
ある友人のアイデア。
「地元の警察には、自分が隠れオウムだと思わせる。すると、ひんぱんに巡回にきてくれて、
空き巣も近寄らなくなるんじゃないか」
悪くない案かもしれない。
それはともかくとしても、番犬よりも誤作動の少ない防犯システムを導入する必要があるな。

最近(でもないのかな)、東急ハンズでは、中国語の防犯ステッカーが売られているとか。
実物を見たことはないけれど、なんと書かれているのだろう。実用性はあるのだろうか。
同胞が住んでいる、とアピールするということなのかな。

ずいぶん以前、日本空手連盟(?)が、メジャーな試合の放映をめぐってNHKと喧嘩し、
会員に「受信料支払い拒否 日本空手連盟」と記したステッカーを配ったらしい。
ところがこのステッカー、防犯にいいというので、非関係者からもずいぶん欲しいという
希望がきたって話がありました。都市伝説ではないと思う。



仕事、というか、生活の一部の雑事を、アウト・ソーシングできそうです。
これまでも、牧場仕事の一部とか、草刈りなどは、業者さんにおまかせしてきました
(そうそう、講演のための画像資料作りも、友人にお願いしたばかりです)が、
こんどアウト・ソーシング化しようとしているのは、秘書業務またはメッセンジャー業務。

郵便局とか金融機関に行く雑事、急ぎの宅配便出し、買い物、
それに客の送迎なんてこともやってもらえそうです。当然、フルタイムではありません。

受託してくれるのは、町の中心部にオフィスがある司法書士さんの事務所。
となれば、秘書業務にも慣れた従業員さんがいるわけで、これはありがたい。
仕事の中身を整理して、委託できる部分、委託することで執筆仕事の能率が上がる
部分については、できるだけ手を離すようにしよう。
上に挙げただけじゃなく、もっと何かありそうだな。


私立探偵もののアメリカ映画で、ひさしぶりに仕事の依頼人を事務所に迎えることになった
探偵、秘書がいるように見せかけるため、ドアに秘書(架空)宛てのメモを残して、あえて
依頼人がやってくる時間に外出する、というシーンがありました。
ちょうど依頼人がきて、そのメモを見ているところに戻ってくる、というお芝居。
「あ、ミスなんとかも食事中かな」とかなんとか言いながら。
秘書などいない貧乏探偵だということは、依頼人にはすぐにばれるのですが。
あれは何の映画だったろう。


というわけで、わたしの場合も、これからはメールの返事など、
秘書のほうから行くかもしれません(見栄)。

そういえば、先日、船戸与一御大の仕事場が移ったと、秘書のT嬢から一筆添えられた
案内がきていた。船戸氏の秘書さんの場合は、電話の応対が仕事の中心なのかな。
それとも資料探しだろうか。


03/6/24




ナーバスになってました

昨日の不審者の記述、きょうになって読み返せば、やはり少しナーバスになっていましたね。
枕元には、護身用に、薪ストーブに使うデレッキ(鍛鉄製の火かき棒)を置いて眠ったけれど、
それほど脅えることでもなかったか、という気もします。
ま、福岡の一家四人惨殺のニュースがかなり意識されていたのだと思いますが。

ひょっとして、わたしはいま、少し鬱傾向か。

考えてみれば、この地方、自分が警戒されるという意識もなく、
夜に見知らぬ家をいきなり訪ねてゆくひとは多そうだ。


『天下城』は、8月のお盆前合併号の1号前で終了します。
8月第1週号ということになりますか。
予定より2か月オーバー。延びても大丈夫とわかってから、長篠戦については
たっぷり書かせてもらいました。


『くろふね』のほうは、少し計算ちがい。ひと月オーバーしているのに、
ラストが少し駆け足になります。
ペリー来航時の三郎助の行動をじっくり書いたためですが、
全体から見て、少し書き込みすぎたかもしれない。

連載も終わらぬうちに、こういう反省ってまずいか。

03/6/23




また闘病記が始まるか


根を詰めると、身体のどこかが不調となる。
吐き気、頭痛、胃痛の出る頻度が、このところまた高まってきています。
休め、という身体からのサイン、とは承知。
でも、締め切りのあるものはどうしようもないものなあ。



夜8時半ころ、階下で玄関のドアが開いた気配。窓から見ると、車が停まっています。
でも、チャイムは鳴らなかったし、呼ぶ声も聞こえなかった。
玄関に出て外を懐中電灯を照らすと、車に向かっていた男が顔を隠すように
(ライトがまぶしかっただけか?)名乗るでもなく引き返してくる。
名乗らないのですよ。わたしは身構える。
この状況、場所が場所なら、「フリーズ、ズドン」だよ。

玄関先まで戻ってきた男は、ステップに袋を下ろして開ける。
そこまでくると、セールスかとも思ったのだけど、相変わらずはっきりした口上はない
(何を売っているとか、何は要らないか、とか)。

何も買いません、と先回りしてお断りすると、わりあい素直に帰っていった。
ちょっと不気味。正直言えば、怖かった。ほんとにセールス? 
袋の中身は、何か米菓子とインスタント食品のようだった。

うちの中にいた犬は、いつもとちがって何も吠えない。表の公道をオートバイが通っても
吠えるくらいに無駄吼えの多い犬なのに、こういうときに限って吠えないとは。
お前をうちの中で飼う理由のひとつは、侵入者に対する用心のためなのだよ。
先日、無駄吼えで叱られたことを、よりによってこのときに思い出したか?

わたし、ちょっとナーバスになっているかな。
この男、小柄な老人。歯が揃っていないように見えた。作業服と作業帽姿。
帰り際になって、計根別の農業高校の前のI食品、と言っていた。
自分はそこの社員、という名乗りでもなくて、消火器セールスの言う「消防のほうからきた」という
ニュアンスに近く感じましたが。
もし何かあったとき、誰か近況のこの記述を思い出してください。

先日の土建会社の従業員のように、ほんとうにセールスの苦手なセールスマンの
可能性もあるとは思うけれども。

03/6/22





六本木ヒルズの図書館

今週の週刊新潮(6月26日号)に、六本木ヒルズにできた会員制図書館が
紹介されていました。24時間利用可能。個室ワークスペースがある。
蔵書2万5000冊(これは図書館としては貧弱)。

会員制図書館には以前から興味があって、日本にもできないものかと
期待していました。専門書が揃っていて、しかも仕事もできる空間として。

たしかコリン・ウィルソンが物書きとしてデビューしたときのこと。ある会員制図書館への
入会を勧められ、申請が通って彼はとても喜んだ、というエピソードを読んだことがあります。
うろ覚えです。べつの作家のことだったろうか。

ま、六本木ヒルズにできたものは、研究者や作家が共同で設立したものではなく、
森ビルという民間ディベロッパーが作ったもの。その点、志はやや俗ですが。

それでも、このコンセプトはいい。サイトものぞいてみましたが、利用条件次第では、使えそうです。
入会金30万、会費月6万、という利用料も、都心にワンルームを借りて仕事場とすることを
考えると、さほど高いものではない。

問題点、あるいは心配すること。
1、個室ワークスペースが15。この数で十分なのだろうか。時間予約かしらん。
2、蔵書は、東京学、都市・建築学、ビジネス書が中心らしい。リファレンスはどの程度か?
3、自分の資料を持ち込み、保管できるのだろうか。
4、利用者のタイプと質。
土地柄、ジャーナリスト、ビジネスマンの会員が多いのだろうかとは思いますが、
会員の質とタイプを将来にわたって維持できるのかどうか。
5、管理。携帯電話でしゃべりまくりの利用者を、毅然として追い出すことができるか、
なんてことですが。


これと同じようなコンセプト(24時間オープン、という部分は大事)で、
設備も同じ程度の会員制図書館が、もし神保町にできるのなら、わたしはすぐに入会するな。
どこかのディベロッパーが本気で考えてくれないだろうか。



「趣味的生活」のファイルに、最近の写真を2点アップしました。

03/6/20




完全オフの日

『ユニット』担当編集者さんと、午前中にもう一度仕事場で打ち合わせ。
昨日直した原稿について、疑問点の解決など。
そのあと、馬場で乗馬を体験してもらう。乗馬のあと、隣町までドライブして昼食。

編集者さんを空港まで送ったあと、Y温泉へ。ボロボロでふらふら。
仕事場に戻ったところで、ばたりとベッドに倒れてしまう。昼寝1時間。
目を覚ましたところで、無理に起きて雑用。


ふだんお酒の買い置きはないのですが、きょうはたまたま友人がくれたビールがある。
冷蔵庫で冷やして、一本飲む。もう何もできない。完全にオフ。


前にも書いた当地の農業試験場ビルの保存問題、NPOを作って保存に乗り出すとか。
二階部分は、賃貸スペースとして民間に貸すことになったそうです。

当初のシンポジウムでは、わたしは
「当地にふさわしい民間企業等を誘致し、そのオフィスとして貸したらどうか」と提案した。
ところがこの提案、まるで主旨を理解していない、という言い方で叩かれた。
「不動産屋に預ければよいって問題じゃない」ってふうにも言われたな。

アイデアを求められたから提案したのに、思いがけない反応でしたね。
わたしはその場に出ていったことを深く反省したものです。
二度と余計なことに口出しはするまいと誓った。

けっきょく、スペースの半分は民間に賃貸、ですか。
くだらないところがテナントでなければいいけど(鈴木宗男後援会事務所とか)。



親しくしていたニセコのペンションのオーナーが亡くなりました。
3年前に離婚、まだ子供の娘さん3人も奥さんが連れて出て行った。
そのあとひとりで経営を続けていたのだけど、数日姿が見えないのを不審に思った
近所の同業者が、死んでいた彼を発見したそうです。トイレで倒れていたとか。

51歳。トイレで倒れていたということは、脳溢血でしょうか。
ひとごとではありませんね、この死に方。

離婚の事情についても、わたしはやはり同性である彼のほうに同情するけれど、
女性にはちがうように見えているのかもしれない。

3人の娘の親権全部が奥さんのほうに行った、というのも、
彼には納得できない部分だったろうな。

03/6/19




更新の余力もなく


ご心配おかけしました。ひたすら原稿を書いておりました。
ふつうに原稿を書いているときは、原稿の執筆は進まなくなっても、まだこのサイトを更新する
余力はあります。むしろ、のっているときほど、ここに書く量が多くなるかもしれない。
でも、この数日、まるでその力もありませんでした。明日は、近くの温泉に行きたい。

きょう、担当編集者さんが来訪。『ユニット』直し渡し。ゲラの直しではなく、オリジナル原稿の
直しでした。終わってみると、ゲラを出してもらってからの直しでも十分だったかなと思いますが。

連載時にもかなり法律問題については慎重を期したつもりでしたが、
まだ誤認は残っていそうです。プロットに関わるような大きなミスがなければよいけど。

03/6/18




進まぬ、深刻

『天下城』2回分送稿。

ほかの原稿が進まない。深刻です。

03/6/13





コンサートで余計なものは

『天下城』ゲラ直し戻し。
今回の問題は、安土山に運び上げられたという「蛇石」と呼ばれる大石の伝説。
『信長公記』では、天主台まで運ばれたことになっているのですが、最近の発掘調査では
天主台の下にはそれらしき大石は埋まっていないことが確認された。
さて、ではその石はほんとうに山頂まで運ばれたのか、ということがひとつ。

また『信長公記』では、山頂まで運ばれた時期が天正4年の4月と読めないこともない
記述なのだけど、わたしは同じ記述をちがうふうに読んだ。天正4年4月の信長の
行動の記述の部分にそれは記されているけれども、「蛇石」の運び上げの時期は
もっとあとだろうと。
それで、校閲さんが疑問を出してきたのですが。


『冒険者カストロ』のような評伝の場合は、史料を並べて、その違いを比較分析するという
方法を取ってもいいでしょう。でも小説の場合はそうはゆかない。
こんな史料があるけれどもわたしはこっちを採りますと、
小説中で「筆者」がしゃしゃり出て解説などしてはいけない。
また、生の情報をごろりと提示するのも、野暮です。
あくまでも物語の叙述の中で、情報なり史実解釈を伝えてゆかねばなりません。

歴史小説であった『武揚伝』の場合は、若干ルール破りの記述があるのですが、
この『天下城』では、それをやってはおりません。長篠の合戦の解釈にしても、
通説はこうだがわたしはこの解釈を採る、といった書き方は排除している。

ですから、通説を信じこんでいる読者とか、解釈が複数あることを知らない読者には、
わたしの小説を読んで、このひと間違ってる、と感じられる危険が常にあります。


でもなあ、途中で筆者がしゃしゃり出てきて情報を解説する小説って、美しくない。
やたらに司会者がしゃべり過ぎるコンサートみたいなものでしょう?



酪農ヘルパーさんに頼んで、馬小屋のボロ掃除。若いヘルパーさんが3人だったので
そのあと、ちょっと乗馬を体験してもらう。
ボロ掃除の手間賃の代わりには、7月で車検の切れる15年落ち軽四駆をあげました。
ディーラーに引き取ってもらっても値はつかないけれど、彼らなら有効活用してくれる。
ただし、いまのブラックホール車が故障したときは、代わりはなし。



午後から天気が崩れ、夜から当地の酪農家さん待望の雨。
週末も、あまり天気はよくないようです。本州はもう梅雨入りだったっけ?

03/6/12




静内博労殺人事件

競走馬の産地、静内で、武豊の親族だという牧場主が殺されましたね。
このひとが周囲と起こしていたトラブルのいくつかが報道で紹介されていましたが、
あ、例の「牧場主」とはこのひとだったの、と思ったのはわたしだけかな。

ローカルのメディアが、これまで何度か報じておりました。
静内の二十間道路といういわば観光地の管理をめぐって、
この道路に隣接する牧場のオーナーと静内町役場とが、泥沼のトラブルになっているということ。
たしか牧場主の側のいやがらせも、サクラの木(道路の並木の一部を構成してはいるが、
牧場主の私有地内にある)を切り倒す、というところまでエスカレートしたのではなかったろうか。

観光客の連れてきた犬のせいで競走馬が怪我をした、と、町役場から1200万円だか、
賠償金を取った、という一件もひどい話です。
放牧地にエゾシカやキタキツネが現れるような土地で、
サラブレッドが犬ぐらいに驚いて暴走し、怪我をしたりしない。

テレビのニュースでは、地元のひとが「関西のひとだから、怖い」(この言い方も、
偏見に満ちていますが)とか、「トラブルの多いひとだった」という感想をもらしている。

二十間道路をめぐるトラブルも、この「牧場主」というのがそもそも地元のひとなら、とうに
合意なりルールなりを作っていたはずで、そんなにこじれるのはなぜなのか不思議だった。

でも納得。地元のひとが「関西のひと」(関西出身のひと、ではなく)と言うくらいだから、
この牧場主、地元のひとたちには「地元のひと」とは意識されていなかったのでしょう。
わりあい最近、あの牧場を買収して、オーナーとして乗り込んできたのではないかな。

関西の馬業界関係者、博労、となると、たしかに怖い(偏見です)。
静内町長、その賠償金って、ゆすられたってことじゃない?



『天下城』いよいよ大詰め。
歴史小説、時代小説を書くことは通説に対抗することだ、と最近認識しているのですが、
自分はこういう説を採って書いている、というようなことは、関係各位にも細かくは
説明していませんから、ときどき周囲を不安にさせてしまうらしい。
今後の課題。

03/6/11




移動する仕事場、入手

モバイル・ノートの設定、けっきょく専門家の手を借りることに。
japanistというIMEが親指シフト・キーボードを認識しない問題については、
なんのことはない。キーボードに付属してきたバージョン1が、
WindowsXPに対応していないからだとわかりました。
それで、持っているjapanist2002で設定しなおし。できた。
親指シフト・キーボードが使えるようになりました。

発見ひとつ。japanist2002と、ほかのワープロソフトとの組み合わせだと、いままで
OASYS2002を使うときに腹立たしく感じていたカーソル移動時の「鈍さ」がありません。
これなら使える。ストレスなしで。


物理的に隔離された仕事場が欲しい、という切実な欲求は、
離れ建築案、地下室改装案、母屋をフェンスで囲む案へと発展し、
最終的には、モバイル・ノートを「移動する仕事場」とする案にまで至ったわけです。

親指シフトが使えるようになったことで、わたしはきょう以降、必要なときは、
いつでも自分を隔離できる。ホテルとかペンションが使えるようになりますし、
最悪の場合は、四輪駆動車とテントを使うこともできる(ま、使わないだろうけど)。



文芸評論家の縄田一男氏が、静岡新聞に『帰らざる荒野』の書評を書いてくれました。
知り合いの編集者さんからファクス。
少し長くなりますが、評価の切り口がとてもうれしいので引用させていただきます。

「かつて、ミステリーを中心とした一群の志ある作家たちが、わが国にアメリカ固有の
文学形式を移植せんと腐心を重ね、見事に開花させたことがある。すなわち、
和製ハードボイルド小説の誕生である」
中略
「今や日本人がハードボイルド小説を書くことの違和感は完全に払拭された、と言っていい」

「しかしながら、アメリカにはそれ以上に日本人が書くには困難と思われる分野があった。
それがハードボイルド小説の源流であったとされる、ウエスタン小説である。
佐々木譲は『雪よ荒野よ』などをはじめとして、この困難な課題─ウエスタン小説の
日本への移植を試み、成功しているほとんど唯一の作家と言ってよいのであるまいか。
それも日本人をアメリカ西部へ旅立たせるという安易な手を使うことなく」中略
「日本人のみが登場する生粋の和製ウエスタン小説を連打している。これを快挙と
いわずして何といおうか」



以前、わたしの北海道ウエスタンは、「まるで小林旭映画」と評されたことがある。
荒唐無稽という意味なのか、無国籍という意味なのか。
わたしは、社会制度や風俗については、かなり考証をしっかりと書いているつもりなのですが。

そう言えば、先日も書いた『先生、馬に乗って裁判所に通うんですか?』の中に、
こんな一節があった。

「(北海道日高地方の浦河の裁判所には、月に一回だけ地裁苫小牧支部から
判事がやってくるのだと聞いて)
今度は私のほうが絶句した。(中略)
昔よく見た西部劇のシーンが甦った。巡回判事が駅馬車で田舎の町にやって来るという─」

これが、本州以南のひとのふつうの感覚だろうか。もしかすると、北海道以外の読者には、
北海道の社会について、わたしがまったく西部劇的虚構を書いていると受け取られているのかな。
『エトロフ発緊急電』では千島のとある駅逓を舞台にしたけれども、
あんな制度があったのですね、と驚く声が多かったことには、こちらも驚いたものだった。

03/6/10




ビールが頭にちらつく日

きょうは午後の早い時点で、一日のノルマ(一応10枚)が達成可能とわかる。
天気もいいし、気温は上がったし、脳裏にちらつくものは、ビールの大ジョッキ。
缶ビールを買いに行こうかとも考えたけど、けっきょこちらからく友人を誘って、
街で飲むことに。6時半、原稿が10枚できていることを確認して、街へ。
街で飲んだのは、ほぼ三週間ぶりかな。念のために書くけれど、帰りは代行運転です。


午後に、突然の来訪者。出てみると、作業服姿の三十男。隣りの隣りの街の土建屋さんの
従業員。「仕事が全然ないんです。何か小さな仕事でもありませんか」という営業。

見るからに営業は不慣れそうなひと。いや、ひとと話すのがそもそも苦手のようです。
庭のテーブルで、少しだけ話を聞かせてもらいました。小泉の公共事業削減の影響をまともに
受けて、その町では今年度、土建業者の仕事がろくになくなったという。
それで商売の範囲を広げて、ここまで営業に回っているのだとか。
かなり厳しい状況のようです。

この町では、建設業者、土建業者さんが、農作業代行業に転身したり、
会社組織で酪農業に進出という例が出ているのですが、全部の業者がそれをやれるわけでもない。
ほんとにたいへんだろうと思うけれど、逆に言うと、この地方がいかに公共事業に
依存していたかがわかる。それにしても、小泉改革というのは、そこまで劇的に進行していたのか。
道路公団改革なんてのも、その後のことは耳にしていなかったのですが。


ひょっとしたら、、鈴木宗男は復活するか。


矢臼別演習場では、恒例、夏の実弾射撃訓練が始まっています。
ここは着弾地点にわりあい近い(20キロぐらいか)ので、けっこう地面がずしんずしんと響く。
犬が脅えて落ち着かない。

03/6/9





寒い、今年も冷夏か

寒い。木曜に啼いたカッコウは、センサーがおかしくなっていたのではないだろうか。
昨夜は、「きょうは薪ストーブに火を入れた」と友人からメールがありました。
わたしも、きょうの昼間、ストーブで薪を二本焚いた。初夏はどこに行った?


弟子屈の出版社から「EastSide」という雑誌が、不定期で発行されています。
北海道東部地方のローカル・マガジン。
http://city.hokkai.or.jp/~hibulk/

編集センスがよく、テーマの取り上げ方にも、記事の方向性にも、共感するものが
あるので、出るたびに買っています。写真もいい。
失礼ながら、北海道の郡部で発行されているとは思えないくらいに垢抜けしています
(比較対照する雑誌をいくつか思い浮かべて書いていますが)。
これはプロの編集者の仕事。「ソトコト」という雑誌の雰囲気にも近いかな。

また、あくまでもよその土地から移ってきた移住者の視点で、
土地に過剰適応することなく作っている雑誌、という印象があります。

今号の特集は、「家が仕事場」
北海道東部地方で、SOHOスタイルの仕事を持って暮しているひとを取り上げている。
中に、地図製作者という女性と、天文台向けソフトの開発者という人物が
紹介されておりました。このような高度な専門職があって、そんな仕事をしながら、
この地方で生活しているひとがいるのですね。少し驚き。

記事の中の一本は、上湧別という町の、レンガ造りの建物群。
レンガ工場があったせいで、町内にはまだ63棟のレンガ造りの建物が残っているのだとか。
レンガ工場の跡が気に入って東京から移住してきた歯医者さんもいるという。
上湧別には行ったことがありませんが、ぴくりぴくりと反応してしまいます。
たぶんここから3時間くらいで行けるはず。夏には行ってみることになるでしょう。


日中、牧柵の修理という肉体労働。30分ほどで息が上がり、腰痛も出ます。
ちょっと情けない。


『天下城』送稿。そのほか、あとまわしにしていた細かな仕事をまとめて。


03/6/8




原稿書きとはべつに、馬飼いとしての仕事も


東京農大の講義と、横須賀市での講演のための画像資料作りを、友人に依頼。
各種資料やわたしが撮った写真などをそっくり預ける。CDに焼いてもらい(CDの場合は
なぜか「焼く」なのですね)、当日パワーポイントで大画面に映写のつもり。
ここで、モバイル・ノートが活躍するわけです。


馬の削蹄作業。
老馬のほうの裂蹄がだんだんひどくなってきて、削る程度のことでは追いつかなくなってきた。
白い蹄は弱い、と言われているのですが、この馬の場合もその通り。
四本の脚のうち、白い蹄だけ裂蹄がひどい。馬の場合は、立っていられなくなったら死ぬしか
ありませんから、これはけっこう深刻なトラブルです。

削蹄師さんがあちこちにあたって、牛の蹄治療に使う薬品を入手した。
二種類のジェルをひび割れの部分に注入すると、五分ぐらいでジェルが固まって、
裂蹄を埋め、蹄と同じような硬さの防護皮膜を作る。
歯科技工士さんが使うセメント(?)みたいなもののようです。
最後にサンダーをかけて治療終了。これで、とりあえずは安心できる、と思う。


モバイル・ノート、もののついでに、モニター用にもらったコンパクト親指シフト・キーボードを
つないでみました。付属のJapanistというIMEを使うことになるのですが、
やってみると、この設定がどうしてもできない。
どうやっても、親指シフトからの、かな入力にならないのです。
キーボードを認識していないのではないか、とも思える。

でも、解決はたぶん案外簡単なことなのだろうな。
富士通のサポートセンターに問い合わせるのは、これまで悪口を言ってきた手前、
なんとなくしにくい。なんとか自力解決をはかろう。

03/6/7




おかしな表記原則


北海道新聞のコラム、今回はヨサコイ・ソーラン祭りに少し触れたのですが、
心配していたとおり、このイベントの名称の表記について、記事で取り上げるときの原則って
ものに引っかかってしまった。
必ず「YOSAKOI ソーラン祭り」と表記しなければならないのだそう。

でも、ローマ字と日本文字混在のこの表記って、おかしくはないですか。
もちろん主催者が、ロゴタイプ(ビジュアル・デザイン)として、
ローマ字日本文字混在の表記を使うのはいい。
でも、メディアがニュース記事の中で、あるいはわたしが自分の文章中で、
なぜこの不自然な表記を使わねばならないのだろう。

固有名詞だから? 主催者がそう決めたから?
それは理由になりますか。

外国語は、ふつうはカタカナという日本文化の表記スタイルに直して使う。
外国の固有名詞も、日本文字と日本語との組み合わせで表記する。
音に意味がある場合は、カタカナで、意味を重視の場合はその部分を日本語化して表記する。
外国の文字をそのまま使う場合もないではないけど、たとえば「アーノルド・シュワルツネッガー」を
半分カタカナ、半分ローマ字で記すという表記のスタイルはありえない。

原語でどう書くのかは知らないけれど、
「カンヌ映画祭」も固有名詞です。それを、原語で(主催者の求める通りに)表記した
日本語の新聞の記事なんてわたしは見たことがない。
あるいは、オリンピック大会も、メディアはよく「五輪」と記すのです。

北海道新聞だけではなく、このところのメディア全体の問題なのですが、
広告代理店あたりの理不尽な要求やマーケティングに押し切られているのではないだろうか。
同業者のエッセイなどに、「東急bunkamura」と縦書きされているのを見たりすると、
つくづくその書き手に同情してしまいます。いいじゃないか「東急文化村」で。

ヨサコイ・ソーラン祭りの公式ポスターには、「YOSAKOI SORAN CARNIVAL」と、
英語名が書かれている。外国のメディアなどには、この名称で紹介しているということです。
つまり、このイベントの名称は、音や使用する文字と不可分のものではない。
なのに日本のメディアだけが、縦書き文章中でも、ローマ字日本文字混じり表記を強要されている。

根本的には、ローマ字入りのこのイベント・ネーミングに無理があるのです。
そのほうが格好いいという美意識なのでしょうが、ネーミングとロゴタイプとは別物です。

それに、英語名を日本語に直したものだと考えれば、
「ヨサコイ・ソーラン祭り」という表記だって、ありだ。

ま、突っ張っても無駄だと思うので、コラムは書き直し。
わたし、このお祭り自体には、けっこう共感も感じているのですが。


でも「東急bunkamura」という表記を強制されるんだったら、わたしはこう書きます。
「渋谷円山町ラブホテル街の入り口にあるバブルな複合劇場ビル」



モバイル・ノート、なんとか最低限のソフトをインストールしたけれど、
つぎはインターネット接続の設定。
こういう集中力を必要とする作業って、気分が落ち着いているときでないと、
なかなかできないのですよね。

03/6/6





書けない日

きょうの生産枚数3枚。こんな日もある、と達観してはいられないのだが。

昨日は霜注意報。きょうはカッコウが啼いていた。これで、もう後戻りのない初夏。
快晴。新緑。今週末は、地元の小・中学校の運動会。でも、参加はできないな。
地元の住人も参加しないことには、プログラムが成立しない土地柄なのですが。

03/6/5




いつまでも果てなきゲラ直し

6月2日、『武揚伝』文庫版第1巻分、ゲラ直し戻し。
戻してから、あっ、と、直し残しに気づいた。
というか、直すべきかどうか悩んでいた部分、直すべきだと判断がついた。
再校ゲラが上がったときに、直そう。編集者さんには、また迷惑をかけることになるが。

6月3日、川崎の市民アカデミー、『30年代の映画』についてのリレー講義で
ジョン・フォード『怒りの葡萄』について語る。
DVDに落とした映画から、要所要所を抜き出して上映しつつの講義。
わたしも、こういうことには少し慣れてきたな。


札幌で書評新聞を発行している知人から、イベントへの協力を求められました。
わたしが生きる業界の、それもかなり身近なところのことですから、
やらないわけにはゆかない。7月は、わたしはジェット・セットになるな。
モバイルノートが活躍しそうです。


カムチャッカ・ツアー、参加は断念しました。行きません。

03/6/4




鬼になれば、なんでもできる

『武揚伝』、新解釈で直し終了。
ただ、現在『くろふね』『英龍伝』と、同じ時代を扱った作品をふたつ連載中なので、
歴史的事実をチェックするだけではなく、この二作品との整合性のチェックにも、
時間が取られましたね。
こっちではAのものが、こっちではBでは具合が悪い。


Windows98を入れているほうのPC、寿命がくる寸前です。このところ、
頻繁にフリーズ。動作が不安定。デフラグをかけても、機能回復しません。
いいタイミングでモバイルを買ったことになるかな。
まだ設定もしていないのですが。


03/6/1


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