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近況 2003年2月


本物のYS11が200万円


昨夜、このページを更新したあと、また悪寒が始まって寝込んでしまいました。
風邪は抜けてはいなかった。いまはまたなんとかふつうの体調ですが。


当地の飛行場の横に、数年前から整備の始まった道立の公園があります。
「道立ゆめの森公園」付属の「翼とふれあいのゾーン」。管理は町役場。
ここに、遊具というのか、オブジェというのか、木で造った飛行機まがいの物が置かれている。
シルエットを見るとDC3を模したもののようだけど、なんであれ、ちゃちなものです。

遊具なら飛行機のかたちにすることはないし、オブジェなら創造性ゼロ。
あんなものを置くぐらいなら、廃機になった本物の飛行機を置けばいいのに、
と以前から思っていました。なんたって「翼とふれあいのゾーン」なのだし、
あれが子供向けのものだとしたらなおのこと、置くべきは絶対に本物でしょう。

というところで、きょう聞いた話(関係各位、事実誤認があればご指摘ください)。
ANKが、国産双発旅客機YS11の使用を終えるので、当地の役場に対して、
欲しくはないかと打診してきた。欲しいなら上げると。

もらうにあたってかかる費用は、空港まで飛んできたときの空港使用料と、
空港から公園まで移動する費用(フェンスをいったん壊したり、芝生を直したりにかかるらしい)、
合計でおよそ200万円。

2000万じゃない。YS11をもらうのにかかる費用が、200万円です。

なのに、町は、要らない、と断ったそうな。

本物のYS11よりも、あのちゃちな木製のオブジェのほうがいい、ということなのだろうか。
空港に隣接した、空港がテーマの公園なのに(展望台は、管制塔風のデザインだ)、
せっかく入手可能なYS11の本物が要らない?

200万円。
町に予算がないとしても、全国の飛行機ファンに寄付を募ったらすぐに集まりそうな金額です。
ひと口2万円。寄付者の名を真鍮のプレートに彫ってシートにつけてあげます、
という特典はどうです? 操縦席と航空機関士席は高くして。わたしもひと口乗りますよ。

いや、もっと単純に、
オーナーになってくれ、町の公園で保存してあげるから、と呼びかければ、
おれがひとりで買う、と名乗り出てくる飛行機ファンも、いそうな気がする。
だって、中古車一台の値段です。
町は費用をかけずに、あの機体を公園の目玉にすることもできたでしょう。

本州の空港などでは、あの機体をいつまでも保存しておく余裕はないでしょうから、
もし当地の公園に保存されたら、数年後には「現存する唯一(に近い)」YS11になるでしょう。
かたや、あの木製のオブジェは、ただの廃材と化す。
どちらに価値があるか、と問うのも、馬鹿馬鹿しいことです。

町の別の公園には、昔、当地を走っていたSL(こちらはよく知らないが、C11?)が、
そのまま展示されている。ヘッドライトが2灯ある珍しいタイプということで、
全国からSLファンが写真を撮りにくるそうです。
町役場にも、あのSLを残すと決めたセンスのあるひとはいるはずなのに。

わたしは今後、あの空港公園の脇を通って、飛行機もどきの工作物を見るたびに、
町が拒絶した本物のYS11のことを思い出すだろうな。

03/2/28




風邪をきわどくかわす


やはり風邪。昨日から頭が重かったのだけど、深夜から少し悪寒。喉の痛み。
風邪薬を飲み、加湿器の湯気に加えて、霧吹きでうちじゅうの湿度を上げ、
あとはベッドの中でじっと風邪が通り過ぎてゆくのを待ちました。
目を覚ますたびに霧吹きを繰り返しつつ、午後の二時すぎまで寝ていたら、
なんとかさほど熱も上がらないままに、風邪はどうにか行ってしまった(と思う。たぶん)。


仕事場建築関係の資料がつぎつぎに届いています。きょう届いたのは、建築模型のセット。
これで理想の仕事場の立体模型を作ってやろうと構想しているわけです。
以前、「マイホーム・デザイナー」という建築ソフトを買ったけれど、使いこなせなかった。
文章を打ち込むのとはちがって、数字で座標を指定してゆくというのは、わたしには
かなり難しいことでした。

わたしにはブロック造りの仕事場が合っているのではないかと、知人からメール。
それだけ「こもりたい」という意志を強く感じてくれているのでしょうね。

仕事のパニックが一段落すると、わたしに必要なのは、
離れの書斎と言うよりは、カウンセリングだったのではないか、という気もしてきます。
あの現実逃避、仕事で激しいストレスを感じているサラリーマンが、
自分でも何をやっているのか自覚がないままに万引きしたり、痴漢をしたり、
というのに似ているように思えてきました。

わたしの場合も、趣味の本や電話線から離れても、
また何かべつのものに向かうだけかもしれない。



今月中に、角川春樹事務所、先日の打ち合わせで方向性の出た話を整理して、
プロットにしなければならないのだけど、そこまでできるかどうか。。



種をもらったので、カスピ海ヨーグルト、牛乳に足して試作。
酸味が苦手なのですが、この酸味の少ないヨーグルトなら食べられます。
8〜10時間後、どんなヨーグルトになっていますか。

03/2/27




きょうはダウン

集英社『友近牧場サーガ』ゲラ直しを送るため、空港へ。
東京直行便が一便だけとなったため、航空貨物でも配達は明日。

このサーガ(とはもちろん冗談で言っているのですが)は、
明治元年の箱館から始まって、大正三年の虻田で終わる連作です。
二代にわたる馬飼いの物語。活劇小説であり、大河開拓ドラマ。

単行本としてのタイトルはまだ決まっておらず、候補としてまず『轍なき荒野』。
「轍」が読みにくい気もするので、
『帰らざる荒野』『帰らざる大地』『帰らざる者』などを検討中です。
収録されている短篇の中では、『眠り銃』というタイトルが気に入っているのですが、
これで全体を代表させるわけにはゆかない。
担当編集者さんは『帰らざる荒野』が気に入ったようで、これで決まりかな。


町でいくつか用事をすませて仕事場に帰ってきたら、眠くて眠くて、そのままベッドに
倒れ込み、4時まで眠っておりました。
もう仕事にはならぬとあきらめ、あとは雑事。
夜、近所へチーズとビーフシチューをごちそうになりにゆく。

まずい、ゲラを送って気が抜けたとたんに、風邪を引いたかな。


03/2/26




仕事の管理能力を喪失したか


日経マスターズ『英龍伝』原稿を送ってから気づきました。
担当編集者さんからは、先週のうちに原稿を入れて欲しいと要請されていた。
メールを読んでいたのに、まったく意識にありませんでした。
わたし、ちょっと深刻にまずい状態かな。


おかげさまで、離れの仕事場問題、友人たちからきょうもいろいろ提案や情報。

ある知人。
「ブロックなんて自分で積んだら。おれなんて、車庫は自分で積んだよ」
わ、わたしが自分でですか。
それをやると、いきなり庭にルーイン(廃墟)が出現することになりはしないかな。

彼は、「牧草運搬用のトレーラーを改装して小屋を作る予定なのだけど、どうだい?」
とも誘ってくれた。
お、車輪つきの小屋なら、合併浄化槽をまたぐかたちで(敷地の制約を無視して)、
設置も可能ですね。これは面白いかもしれない。

「たいへんなことになっていますね」と電話してきたのは某編集者。
わたしの頭の中の状態がわかってしまったのでしょう。
問題は、仕事場建築計画なんてことじゃなくて、仕事がパニックなのだと。
この理解は、ある面正しい。


明日、集英社ゲラを航空貨物で送ったら、ワインを買いにゆくことにしよう。

03/2/25




『英龍伝』送って、明日は集英社ゲラ直し


『英龍伝』第3回分送稿。
明日は一日わき目もふらずに集英社『友近牧場サーガ』のゲラ直し。
もうすでに四日遅れ。4月刊行は決まっているというのに。


離れの仕事場の件で、友人たちからいくつもの情報や提案。
みなさん、ありがとう。
わたし、すでに書いたつもりになっていたけど、合併浄化槽の件をきちんと書いたのは、
昨日が初めてだったのですね。


『推理作家の発想工房』という、世界のミステリー作家の仕事場を訪ねた写真集があります。
南川三治郎、文芸春秋。
この中に出てくるロアルド・ダールの仕事場が、じつはちょっと魅力的に見える。
母屋から百メートル離れたところに建つ、古い小屋です。灰色の煉瓦(石?)造り。
中の写真を見ると、ものすごく狭い。
超広角レンズを使っているので一見広く見えるけど、家具のサイズなどから判断すると
せいぜい3畳よりひとまわり広い程度。
しかもボロ。内装の壁紙なんて、雨の染みが浮いている。

でも、仕事をするために、ロアルド・ダールはあえてこのボロ小屋を使っている。
快適な仕事場を作ろうと思えばいくらでも作れるでしょうに、彼は仕事場には
快適さを望んでいない。じつにストイックな印象のある仕事場なのです。
これだよな、と妙に納得できます。


プラハで、黄金小路という路地にあるカフカのアパートを見たことがあります。
カフカの伝記的事実はよく知らないのですが、通っていた、と説明を聞きました。
旧市街にもカフカの住んでいたアパートが別にありましたが、
もしかすると、ちがう時期に住んでいたのかもしれません。

この黄金小路のカフカの部屋も狭かった。
石造りの古い長屋の一角。一階にDK。二階に仕事部屋(ふつうなら寝室)。
その仕事部屋は、6畳よりもひと回り小さいか、あるいはほとんど3畳に近いほどの広さ。
天井も低い。でも、やはり魅力的でした。石の壁で、簡素で、喧騒から遠ざけられている。

カフカの作風と生産量ですら、(説明が事実なら)「通って、こもる」仕事場が必要だった。


もしかして、石もしくは煉瓦の壁、というのは、ひとに集中力を与えてくれるのだろうか。
ログハウスを提案してくれるひともいるのですが、
これだと、いま同様にリラックスしすぎてしまわないか心配になる。


庭のずっと奥のほうに(合併浄化槽を避けて)、四畳半程度のブロック造りの小屋、
というのはどうだろう。ブロック造りについては全然知識がないのですが、
建築費がどのくらいのものになるか、ご存じのかた教えてください。


キットハウスの代理店に片っ端から資料請求しているのですが、
フラードームの代理店からきた資料では、八畳弱の一番小さいタイプの
フラードームのキットは59万8千円。
フラードームって、使い勝手はどうでしょう。これについても情報をお願いします。

03/2/24




引き続き『英龍伝』


昨日に続いてきょうも『英龍伝』。


敷地裏手に建てようかと思いついた書斎のコテージの件ですが、
去年も書いたあの問題にぶちあたります。
裏庭の真ん中に、大きな合併浄化槽がどんと埋まっているため、
建築位置がきわめて限定されるということ。
浄化槽からは四方に何本も管が延びており、裏庭のほうぼうにその点検口がある。
これらを避けねばなりません。

だから、そこそこの広さの土地がありながら、四畳半の小屋すら建てるのが難しい。


この仕事場の施工を監督してくれたのは、地元の友人のMさんなのですが、
このひと、仲間うちでも「美的センスの欠落したひと」と評されている

わたしに言わせると、センスが欠けているのではなく、
彼は鈴木宗男後援業界的美意識の持ち主なのですね
(あ、ご本人にも直接何度も言ったことなので、陰口ではありません)。

彼は、起伏地よりは平坦地がよく、自然の木が生えているよりも更地がよく、
自然の地形を生かして家を建てる、なんてことよりも、
砂利や土を盛って地盤を造成するのが正しい、と思い込んでいるひと。
アメリカ中西部の農家のたたずまい、とか、イギリスの風景式庭園、なんて言ったって、
絶対にわかってもらえない人物。

そうだと知ったのは、監督をまかせて、この仕事場の工事が始まってしまってからのことです。
当地にやってきたわたしは、わたしが絵を描いて打ち合わせたことと
あまりにもちがっているので、呆然としてしまった。

言葉が通じていたと思い込んでいたのに、
肝心な部分は理解されておりませんでしたね。
わたしの抗議は、「これが常識でしょう」と却下された。

始まってしまった工事を、止めるわけにもゆかない。
この土地では自分の理想の実現は不可能だったのだとあきらめ、
なんとか自分をだましだまし生活を続けてきました。
ところが、昨年とあるお宅を訪ねて、わたしが美しいと感じるような住宅景観が
この土地にもきちんと存在することで衝撃を受けた、
ということは、昨年の夏に書きましたね。

合併浄化槽の位置についても、彼は、いまからでも掘り起こして、
敷地の隅に移すことは可能だと言います(もちろん費用はかかる、かなり)。
つまり、あの位置である必然性はまったくなかったということです。
でも、ふつうのひとは最初から、浄化槽なんてものをわざわざ庭の真ん中に
埋めようとは考えないよな。

そもそも建物の裏手にあたる場所にフラットな空いたスペースがあれば、
たいがいのひとはそこに芝生の庭を想像するのではないだろうか。
いや、花壇とか家庭菜園とかを想定するひともいるでしょう。
彼の場合、その空き地は、し尿処理スペースに見えた。


ああ、考え出すと、また溜め息。
繰り返している愚痴ですが、わたしの精神の健康のためです。
笑って読み流してください。

03/2/23




『英龍伝』書きつつ離れの書斎について妄想


きょうから『英龍伝』(日経マスターズ)第3回分。

これを書きつつ、離れの書斎のことをいろいろと。
書斎やコテージについての写真集は、ずいぶん多く持っているのですが、
最近よく眺めているのが『タイニーハウス』というムック。
原著はレスター・ウォーカー、87年。ワールド・フォトプレス2002年10月刊。

ソローの小屋とか、バーナード・ショーが裏庭に建てた書斎とか、ある建築家のスタジオとか、
低コストで建てられたコンパクトな建物が紹介されていて、見ていて飽きません。
で、ふと気がついた。
こういう本が手を伸ばせばすぐのところにあるというのが、やっぱりまずい。
3行書いては、こういう本を引っ張り出す、では仕事が進むはずがない。


とりあえず冬の寒さ対策なしのあばら家でもいいから、
この夏は集中するための小屋を建てたほうがいいようです。
予算50万でなんとかできないものだろうか。
生産効率20パーセント向上、月間生産枚数200枚回復が「確実なら」、
このぐらいの出費は惜しくはない。
問題は、それが確実かどうかわからないというところですが。


サイトを検索していて、物置としてミニログを建てたひとの体験に行き当たりました。
キット価格40万、基礎工事はべつにして、男三人が一日で建てたそうです。
これは参考になる体験でした。でも、基礎工事の手間を考えると
工務店か大工さんにすっかりお願いしたほうがよいだろうか。

こんな妄想で時間を費やしつつ、きょうも終わる。

03/2/22




『エトロフ遥かなり』ビデオ化

NHKから連絡がきました。ビデオ化の要望の多かった『エトロフ遥かなり』、
VHSビデオ・ソフトとして発売です。全4巻、各巻120分、価格は各3800円。
発売予定は、今年5月23日。

個人が全巻揃えるのはきついかもしれませんね。
近くの公立図書館がビデオ・ライブラリーにも力を入れているようなら、
図書館に購入をリクエストするのがよいかもしれません。


ちょっと旧聞ですが、ぜひ記しておきたい情報。
週刊東洋経済が、ブックレビューのワイド版として、2002年通期のベスト経済書100冊を
選ぶアンケートを取りました。回答者は、経営者、エコノミスト、アナリスト。
対象となる本は、経済書か社会科学書。

この100冊に、なんと『疾駆する夢』が、小説ながら健闘、堂々の14位でした。
同誌の誌面では、アサヒビール社長の池田弘一氏、シャープ社長の町田勝彦氏の
コメントが載っています。
このご両氏はじめ、アンケートで推してくれたかたがた、あれを文芸書としてではなく、
経済書として読んでくれたということになりますか。これはこれでうれしいことです。

けっして売れている本ではないけれど、届くべきところには届いているのですね。
週刊ポストの編集部も、メーカーの広報部などに働きかけてくれたのかな。



生産能力が落ちている件、その理由を考え続けて、この仕事場が少し居心地よく
なってきたせいか、と思い始めました。本がある、音楽がある、インターネット環境も
充実してきた。ちょっと気晴らしする材料にはこと欠きません。
気晴らしがそのまま腰を落ち着けての現実逃避になってしまう。


仕事場の母屋とはべつに、仕事部屋を、ということを考えます。
裏庭に四畳半ほどの広さの小屋を建てるというのはどうだろう。
電話線は引かず、PCはスタンドアローンで使う。資料は最小限のものだけ持ち込む。
仕事中に本を読みたくなっても、距離があるから、面倒くさくて母屋まで戻らなくなる。
結果として、集中する時間が長くなる…。

サイロを建てたい、とも、じつは夢想していました。ブロック造りの本の塔。
地下と一階にあたる空間は本棚で周囲の壁を埋めつくす。
最上階の小部屋が仕事場。
ここは、ロフトからグレーチングのブリッジを渡ってしか入ることができない。
ブリッジという、心理的バリアの大きな構造物があいだにあるせいで、
やはり母屋にはそうそう簡単に戻ることはなくなるでしょう。

裏庭、もしくはサイロのてっぺんに仕事場を設けると、無神経な客にも
応対せずにすむ。いくらチャイムを鳴らしたって聞こえませんから。

環境のせいにするな、という声が、どこかから聞こえてきそうですが。

03/2/21



札幌で打ち合わせ


角川春樹事務所の担当編集者さんと、札幌で打ち合わせ。
あまり何度もここまで(東京から遠くて航空運賃も高いところに)きてもらうのは恐縮なので、
札幌で打ち合わせの席を持つことに。

わたしにとっても移動するのは気分転換になる、と考えて予定を組んだのだけど、
気分転換している場合ではなかった、というのは先日書いたとおりでした。
きつい。


メールの返事は、明日午前中に書きます。


先日書いた、わたしが案内する箱館戦争ツアーの件、某旅行代理店担当女史と
何回かのeメールのやりとりのあと、けっきょくお断りすることにしました。
期待したかたも何人かはいるかと思いますが、すみません。

募集の方法について、先方はこう言ってきた。
この告知についてはわたし(佐々木)が、自分の連載紙面、刊行物、
それにこのサイトを通じてやって欲しい。募集する人員は30〜40人。

わたしは、連載と刊行物での告知はできない(広告媒体ではない)、サイトだけでの募集であれば
それだけの人数が集まるかどうか不安、旅行代理店の側でも告知してはどうかと提案したのですが、
こういう返事でした。

募集の方法ですが、基本的に先生にお集めいただくように
お願いしたく思います。私どもでは募集の方法を持ち合わせて
おりませんし、どのような方が対象になるのかも分かりかねます。


対象が誰か分かりかねる、ときました。
わたし、一瞬、この企画はわたしのほうから持ち込んだものだったかと
経緯を錯覚するところでしたね。
企画した側が対象がわからないと言っているのに、わたしにわかるわけがありません。
30人40人という参加者集めにも、責任は持てない。
で、お断りということに。

先日、この件を書いたとき、あるひとからこう言われた。
「団体旅行客を相手に、何日も過ごせますか。すごいストレスですよ。やめたほうがいい」

団体旅行客を相手に切れる前に、団体旅行客を扱う相手に切れた、というところでしょうか。
早めの段階でお断りできてむしろよかった。

03/2/20



ボロボロです

前夜3時に『くろふね』60枚送稿。
わたしは、自分の生産能力の見直しをしたほうがよさそうだな。
集中力が落ちているのだろうか。だとしたら、これは体力が落ちているせいか?

きょうは寒い。夜9時の時点で、窓の寒暖計はマイナス15度。
予報では、この地方、最低気温はマイナス21度になるとか。

久しぶりにビールを飲んでいます。

03/2/17



たかが1時間程度のことではあるが


昼間、はずせない用事で、わたしは仕事場から1時間離れた町におりました。
ここでちょっと予想外のことが起こり、ある人物の自宅へ招かれることに。
昼食を出すといいます。わたしは、すぐにでも仕事場に戻りたかったのだけど、
招待者、それに仲介者には少し恩ができていた。招待は断りにくいというシチュエーション。
しかも友人の車に同乗していったので、単独行動は不可能だった。

それでも私は婉曲表現は使わず、誤解のないように言いました。
「時間がないので、お昼は結構です。ドライブインにでも行きませんか?」
仲介者は言う。「何も迷惑じゃありませんから、行きましょう」

仕方なく招待を受けたのですが、食事についてはここでもきっぱり断った。
「時間がありませんので、何も要りません。お茶だけごちそうしていただけませんか」
「ま、そう言わずに」と、昼食が出る。着いたときにはすでに支度が始まっていたのです。
続いてデザート。さらにいろいろ珍しい料理。

やがて、凍らせたシャケの燻製も出てきた。
「解凍できたら召し上がってください」
あ、もう駄目。限界。
わたしは膝立ちになり、上着に手をかけ、食い逃げの無礼を承知で言います。
「解凍を待っている時間はありません。もうけっこうですから」
相手が機嫌を損ねてもしかたがないという口調になった。

でも、辞去できるまで、そこからさらに20分。ヤケになりましたね。
なんだかんだで、仕事場戻りは予定よりも1時間半遅れ。この地獄のタイミングで。


あれだけ直接表現でこちらの意志を伝えてもわかってもらえないとしたら、
わたしはどうしたらいいのだろう?


仲介者も、招待者も、まじりけのない善意。全面的な好意。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
でも、わたしは今後、このひとたちには脅えるようになるだろう。

このひとたちは、たぶんわけがわからない。
あんなに親切にしたのに、どうして彼はわたしたちを避けるようになったのだ?
自分たちって、そんなに嫌な種類の人間か?

いや、もちろんそんなことはない。ただ、ちょっと。

03/2/15




きょうは鬼


仕事がはかどらないときにかぎって、新しい話(歴史小説ではなく)のプロットなどが
ふいに浮かんだりする。そのメモを取り、あれこれいじくったりしながら、『くろふね』。

きょうは部落のお通夜があったのだけど、こういう状態なので欠席。
わたしの顔は、きょうは鬼だな。あるいはゾンビか。

03/2/14



また寒気、マイナス18度


昨夜は寒かった。夜中に何度か目が醒め、これは風邪を引いたかと思ったのですが、
寒気がもどってきていたせいでした。今朝6時の気温がマイナス18度だったそうです。
寒かったわけだ。


『くろふね』継続。
久里浜での国書受け渡し式の様子を、これまでまだ日本人が書いたことのないくらいに
生き生きと描写してやろうとしているのだけど、おかげで進まない。
日米双方の記録を突き合わせつつ書いているのですが、
時間経過、時間の前後に、資料によって微妙な差がある。
これはほんとうにこの日のことなのか、という記述もあったりします。
どれを採用するか、どれがもっとも自然か、という部分で悩みつつの作業。


斉藤美奈子『趣味は読書。』(平凡社)を読んでいたら、
『冷静と情熱のあいだ』辻仁成、江国香織を評した、共感できる記述にぶつかりました。
斉藤美奈子は、まずこれが日本文学伝統の「妊娠小説」であることを指摘したうえで、こう書きます。

「ちなみにドゥオモで再会した後、ふたりは懲りずに同衾する。(中略)…とかホザいているけど、
避妊はしたの? また妊娠しても知ーらない」

じつはわたしも、格好いい男女が登場する小説で、その男女が最初にベッドインするとき、
きちんと避妊についての会話なり描写がないと、とても気になる。
それを書いては美学が崩れる、ということはあるかもしれないけれど、避妊についての態度は
その男女それぞれのキャラクター、そのふたりの関係を、端的に示すものではないか?
成人女性はピルを飲んでいるのが当然、という社会じゃないのだから。

いくら小説の中とはいえ、大の大人ふたりがいきなり盛り上がって、
薬局にもコンビニエンス・ストアにも行ってる暇はないというとき、
前後の見境なくセックスという設定はなあ。男女ともそのとき完全に理性を失ってました、と
いう話ならともかく、なんらかの会話があったとか、こうしたとか、
あるいはまったくしなかったとか、それをきちんと書いて欲しい、とつい思ってしまうのですね。

もちろんそれが、きちんと日常生活感覚を持った男女、として描かれている場合とか、
ふつうの健康さをもった男女の関係についての小説なら、こうは感じません。
問題は、とにかく格好いい男女の格好いい関係の話のときだな。

わたしのこの感覚はおかしいだろうかと思ってもいたのだけど、斉藤美奈子を読んで少し安心。

03/2/13




『シャイニング』は『惑星ソラリス』である説

日曜日から、キューブリック『シャイニング』は、タルコフスキー『惑星ソラリス』と似ている、と
ずっと考えてきたのですが、いまやわたしは『シャイニング」は『惑星ソラリス』である、と
確信を持って言えるようになりました。
その論拠を下に。

共通点を挙げると。

舞台。
『ソラリス』のほうは、孤立した宇宙ステーション、以前科学者がひとり精神異常をきたしたと
診断される。ひとり自殺。
『シャイニング』は、冬のあいだ孤立するホテル。以前に管理人が発狂、自殺。

主人公
『ソ』妻を自殺させて深い自責の念にとらわれている男。
『シ』実の息子に暴力をふるった過去を持つ男。

基本的アイデア
『ソ』人間の罪の意識が、死んだはずの人間を実態化する。
『シ』狂気が、ホテルの怨霊たちを呼び起こす。

主要な小道具としての鏡
『ソ』鏡のイメージ多数
『シ』若い女、と見えたものが、鏡の中では腐乱死体。
(この女のエピソード、キングの原作では鏡は出てこない)
そのほかにも、鏡はいくつも登場(バー、洗面所等)。

ボールが廊下を転がってくるシーンの強い類似性(8日の近況参照)

ラストシーンの印象の類似性
『ソ』カメラが引いてゆくと、主人公の記憶(意識)はソラリスに取り込まれたとわかる。
『シ』カメラがパンしてゆくと、主人公の狂気はホテル(の怨霊たち)に取り込まれたとわかる。
(このラストも、キングの原作とは大きくちがうところです)


縮めて言うと、キューブリックはキングの原作を読んだとき、あ、『ソラリス』がやれる、と
思ったのではないだろうか。小説『ソラリス』をそのまま映画化しなかったのは、
すでに68年に彼は、『2001年宇宙の旅』を映画化していたからでしょう。
そう何本も宇宙ものはやれない。


ついでに言うと、タルコフスキーのほうも、キューブリック『2001年宇宙の旅』に
触発されている、と思えます。美術(セット)の印象がとてもよく似ている。
また、HALの反乱で主人公の宇宙飛行士が宇宙船の外へ排出される部分は、
「妻」排出のエピソードとして裏返しに表現されている(これは原作にもあるシーンですが)。

どうでしょうか、この説。


引き続き『くろふね』

03/2/11




週1の馬の日


週1回は乗ると決めて、きょうは馬の日、第2週。

乗る前に、インストラクターのMさんと一緒に、1頭の馬の蹄を削りました。
ヤスリをかけるだけならひとりでもできますが、ヤットコのような大きなカッターで蹄を削るのは、
わたしの場合、ひとりでは無理。ふつうは馬の身体に対して後ろ向きになり、
馬の脚を自分の股のあいだにはさんで押さえつけ、ヤットコを使います。
わたしはこれがまだできないので、馬の脚をMさんに持ってもらった。
これが難なくひとりでできるようになると、馬飼いとしては中級レベルになったと
いうことになるでしょう。

Mさんは、馬術部では削蹄作業はやったことがなかったそうです。部では、削蹄はもっぱら
プロの削蹄師さんまかせ。男子部員も、少し手伝う程度だったとか。
力が必要な作業だし、事故も心配、たしかにこれは「男の仕事」ですね(問題発言か?)。


『ジャック・ブル』というHBO製作の西部劇があります。ジョン・キューザックの主演。
ジョン・キューザックというと、なんとなくニューヨーカー・イメージの強い俳優ですが
(そう感じているのは、わたしだけかな)、この西部劇の中では、ワイオミングの馬牧場の
ボスを演じて、さまになっておりました。

冒頭の削蹄シーンなど、演技としてだけでは、ああも板についたものにはならない
(恐ろしくて、腰が引けてしまうでしょう)。
彼にそれまで削蹄の経験があったかどうかは別としても、
かなり馬と牧場生活には慣れていることが窺えました。
もしかすると彼は、モンタナあたりに、牧場を持っているかな。


『くろふね』神奈川新聞、第6回送稿分にかかる。
久里浜での国書受け渡しセレモニーの場面。


わたしがガイドを務める『箱館戦争史跡めぐりツアー』、実現すれば8月末の
週末にかけてのことになりそうです。このサイトでも告知して欲しいとのこと。
それだけではどれだけひとが集まるか心配ですが、いまは個人の持つサイトも
すでに『メディア』としては認知されているということなのですね。

03/2/10




『惑星ソラリス』を観た


タルコフスキー『惑星ソラリス』をようやく観ました。
いやはや面白かった。これならハリウッドが、英語版を作って世界マーケットで売ろう、
と考えるのも無理はありません。
ただ、気の毒なのはソダーバーグ監督ですね。どう作ったって、
酷評されるのは目に見えている。

正直言うと、前半は確かに長い。映像は美しいけれども、かなり思わせぶりで、
映画館で観るのはつらいでしょうね。
わたしは前半はプレイヤーを何度か止めて、冷蔵庫を漁ってしまった。

それにしても、この面白さ、原作の改変の巧さのせいでしょう。
製作当時、レムのファンは、通俗な映画化だと怒ったりはしなかったのでしょうか。


改変の最大のポイントは、ステーションに現れるハリー(主人公ケルビンの死んだ妻)を、
人格を持った存在としたこと。
原作のほうは、ハリーは人格を持たない非生物でした。質量はあるのに、
血液を検査すると、原子核のレベルまできて最後には何もなくなる。
非生命体であり、非実体です。

これに対して映画では、ハリーは人格を持った実体。
自分のアイデンティティに悩み、ケルビンが愛してくれないと、自殺未遂をはかって、
最後にはステーションから去ってゆくような、いじらしい存在です。
生体組織の分析は行われず、実在は疑われない。
観客は、主人公だけではなく、ハリーのほうにも感情移入して観てしまう。

ハリーを演じたのは、ナタリア・ボンダルチェク。
『戦争と平和』のセルゲイ・ボンダルチェク監督の夫人ですね。わたし、ソ連の女優さんでは
彼女が好きで、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』のほか『送られなかった手紙』も
観ているな。古い話ですが(ソ連映画が、きちんと商業的にも成功していた時代が
あったのですね)。


主人公ケルビンもまた、原作とはちがい、他者と関係を取り結ぶことの下手な、
その分だけ切実に、周囲との関係の再構築を求める男に設定されています。
原作ほど冷静・合理的ではなく、それゆえに最後は原作とはちがって、
同僚科学者に「自分は残る」とはっきり宣言することになるわけです。

観る前は、ラストをこう想像していました。
ケルビンはソラリスを発つ。観客は誰もが、彼は地球にもどったと思い込む。
ところがどんでん返しがあって、ケルビンはソラリスから出てはいないとわかる、のだと。

そうではありませんでした。ケルビンがソラリスに残ったことは最初から疑いようのない描写。
ラスト・シーンの視点は、ソラリスを去ってゆく同僚科学者たちのものです。

この作品、キューブリック『シャイニング』に影響を与えている、と思えるシーンがありました
(いや、全体が『シャイニング」だと言えば言えるのですが)。
ケルビンがステーションに着いて、最初に怪しい存在に気付く部分。廊下の先からボールが
転がってきますが、拾って見上げると、廊下の先には誰もいない。
キューブリックも、同じことを『シャイニング』でやっておりました。
これはキングの原作にはなかったはずのシーンで、キューブリックはたぶん
タルコフスキーにちょっと敬意を表したのでしょう。


ゲラがふたつ届いて、またまたそっちの仕事はきちんと頭に入っていなかったことに
気づきます。
集英社『友近牧場シリーズ』ゲラ直しは21日まで。
書評、志水辰夫『生きいそぐ』原稿は23日まで。
まずい、それまでに2日、取材を入れてしまった。

03/2/9



『失われた景観』という新書


松原隆一郎という都市工学の教授の書いた『失われた景観』という新書を読みました。
PHP研究所の発行。刊行は去年の11月末です。

これは日本の景観がいかに醜く、なのに国民全体、そのことについての認識が
あまりにも薄いのか、それを問うている啓蒙書です。
全編、絶望と深い徒労感に満ちており、論旨ばかりではなく、その絶望と徒労感にまで
わたしは全面的に共感します。

著者の認識をいくつか引用すると。
「けれども私は、清潔で新しくはあっても秩序のないことにかけてはこれほど突出している
景観を持つ国は、世界に類を見ないと感じている」

「景観が荒廃しているという共通の認識がないことじたいについても、絶望的な
気分にさせられてしまう」

「ロードサイドの均質で醜い街並み」

「そもそも景観の荒廃そのものが行政にとって意識されているかすら、明確ではないのである」

(外国人研究者の文章の引用として)
「(日本は)世界でもっとも醜いかもしれない国土」


著者のこうした評価は、しばしば猛反発を受けるらしい。
たしかにわたしが同じようにもらしても、想像以上の感情的な反応が返ってきます。
自分の原風景や住環境が醜い、と指摘されるのは、我慢ならないことなのでしょうが、
そのひとたちの美意識では正直なところ、どうなのかと思う。
そこはほんとうに美しく感じられるのか? それとも、醜いのは承知なのか?


著者は、本書中で、各地の景観保全の取り組みや美しい景観創造の運動についていくつか、
かなりの力を振り絞って紹介しているけれども、空しい、という想いのほうが先に立ちます。
市民の鈍感さとコマーシャリズムの強欲さの前には、こんな運動など何の役に立つかと。


そういえば、国立の高層マンション撤去訴訟、あの裁判を報道したマスメディアの論調は、
おおむね、市民が私企業の活動をここまで制限していいのか、というものでしたし。


スペインもイギリスもイタリアも、もっとも経済が繁栄した時期に美しい国土を造り、
その後はその美しい国土自体を資源として観光立国に成功しました。
でも日本は、経済が二流に落ちたあとは、荒廃した醜い風土が残っただけ。
観光立国ど望むべくもないでしょうね。


この近況については、そうとうの異論反論覚悟です。

03/2/8



信長の顔問題、その後

週刊新潮連載『天下城』の挿絵、成人した後の信長の顔をどう描くかという問題、
いったんは肖像画にとらわれず、総髪髷の現代的な信長にしようと決まりました。
でも、その後、挿絵の安久利徳さんはいろいろ試してみたらしく、けっきょく露頂・後方髷で
描くことに。上がってきた挿絵を見てみると、これはこれで、やはり信長です。
合理性・冷徹さ・威厳を兼ね備えた、現代人の目から見てもダンディな成人・信長と
見えます。

露頂・後方髷の信長が格好悪く見えるようになったのは、もしかすると、
あの髪形がまるで似合っていなかった緒方直人のせいかもしれない、という気がしてきました。
役者の顔の造作と、メイクの技術次第では、露頂・後方髷の信長でも、十分に「絵」になりますね。


『屈折率』文庫版、三刷り決定。
部数はともかく、わたしの作品でこれほど動きが早いというのは、珍しいことです。
みっともないことは承知で、ここで報告。
文庫版は恋愛小説というよりは経済小説の側面を強調します、という
担当編集者さんの方針が、ずばり正解だったようです。


穏やかな天気が続いています。
クロスカントリー・スキーもこれから。


3/2/7



証拠がないのは隠した証拠?


時事的な話題はできるだけ避けるようにしていますが、細かなことはときどき書いて
見たくなります。で、国会の話。

床屋で髪を刈ってもらっているとき、床屋のテレビは
衆議院予算委員会の中継を放送していたのですが、そのとき耳にした川口外相の発言。
「(イラクで大量破壊兵器が)発見されなかったのは、隠しているからです」

すぐに思い出したことがありました。査察が入る前に、ニューズウィーク誌が、
ブッシュは査察後にきっとこう言うだろう、というマンガを載せた。
「発見できなかったのは、フセインが隠したからだ」(だから戦争だ)

川口外相の発言は、このマンガそのまま。

これは、小説家ならば使ってもいい論法です(「くろふねノート」にも書きましたが)。
わたしは『ベルリン飛行指令』のエピローグで、この論法を使って、
ストーリー全体を閉じたことがある。
「記録が残っていないのは、いかに機密保持が完璧になされたかの証明である」

だけど、政治家が使ってよい論法ではないでしょう。
「証拠がないのは、証拠を隠滅したという証拠だ」
ジョージ・オーウェル的世界の論理ではありませんか?

それがどうした?、と、ブッシュも川口外相も言いそうだけれど。

03/2/6



志水さんの新作紹介


某週刊誌から、志水辰夫(敬称略)の新作短編集の書評(紹介)依頼。
それを専門にしていない者にとって、書評というのはかなり手こずる仕事です。
でも志水さんの新作となれば、断るわけにはゆかない。
ゲラが届くのを待ちますが、待てよ、最近志水さんは『負け犬』という作品も出さなかったろうか。
わたしの本棚にはないので、これも買ってきて読んでおかねばなりません。

志水さんは現在札幌在住。ホームページはここ。


昨日書いた「日本の小説」というアンソロジーは、文芸家協会が毎年発行しているもので、
前年に発表された短篇の中からだいたい30本ぐらいを選んで収録しています。
上下二段組のボリウムのある本で、たぶん図書館向けに編集されているものでしょう。

わたしは、92年版、93年版にも収録されています。
ただし、どちらも現代風俗小説と呼ぶべきジャンルの作品だった。
『借りた明日』は、西部小説ふうの作品で、しかもシリーズ中の一本。
ですから今回の収録(集英社はOK)は、たいへん意外という感じがします。


町に買い物に出た帰り、子馬の次郎の調教をお願いしている牧場にまわって、
様子を見てきました。ちょうど角馬場で調馬索を使って調教のさなかだった。
次郎は初期馴致が十分ではなかったようで、最初はむちゃくちゃに臆病だったとか。
ようやく、いま、ひとに身体を触らせるようになった状態。
急いでいるわけではないのですが、ひょっとしたらこの夏ぐらいには、
ベテラン・ライダーであれば乗れるまでには調教ができているかもしれない。

03/2/5



立春はきょうだった

勘違いしていました。昨日は節分。立春はきょうだったのですね。
いずれにせよ、当地ではこの時期から、天気は春に向かってゆくのですが。

『惑星ソラリス』のDVD届きました。2時間46分、いつ時間が取れるか。
早回しで観るべき映画ではないでしょうから、この映画の感想を書けるのは、
少し先のことになるかもしれません。


日本文芸家協会編の「日本の小説2003」に、拙作『借りた明日』を
収録したいとの連絡。小説すばるの昨年4月号に掲載された短篇です。
じつは昨日書いた『友近牧場シリーズ』のうちの一篇ですが、
独立した短篇としても評価されたということですね。

単行本は4月刊行予定だし、この場合、どうなるかな。
単行本とこの短編集とでは、読者はまるで重ならないと思うのですが。

03/2/4



立春を過ぎると寒気は劇的にゆるむ


この寒冷地でも、立春を境にして天候は劇的に変化します。いきなり寒気がゆるみ、
日差しが強くなる。もちろんこのあとも、多少寒気がもどることはあるのですが。

きょうはそんなふうに劇的に空気と日差しが変った日。で、久しぶりに馬に乗りました。
この日の好天は数日前から予測できていたので、突然思いついたわけではないのですが。

馬に乗るのは、今年初めてです。考えてみたら、ほぼふた月ぶり。
放牧地を除雪してもらい、大きな丸馬場を作っての乗馬でした。

きょう乗馬につきあってくれたのは、隣町の酪農家の娘さんで、
札幌の某農科大学では四年間馬術部にいたひと。乗馬のレベルは国体級で、わたしは
彼女の前ではじつに素直な生徒になる。いや、馬たちも、彼女が乗るときは、
「人格」が変ったかと思えるくらいに素直で軽くなる。

朝の10時から乗り始めて、切り上げたのがお昼。このころには気温はたぶんプラス1度ぐらい。
汗ぐっしょりとなっていました。

今年はせめて、週に1回は馬に乗ろうと目標を立てています。
プールに行けないのなら、乗馬を気分転換と健康維持の手段として使うのがいちばんいい。
生活にメリハリをつけるという意味でも、週1ぐらいの乗馬は欠かすべきではないな。
このふた月ばかりの生活を考えると、放っておけばわたしはとめどなく
書斎に沈没したままになりそうなので。


小説すばるに掲載された連作『友近牧場シリーズ』、そろそろゲラが届きます。
北海道のとある馬牧場一族の物語。箱館戦争から始まり、大正期まで続く、
「北海道開拓史」とも読める連作。
単行本としてのタイトルを考えねばなりません。
4月刊行予定。

03/2/3



『ソラリスの陽のもとに』の謎2

掲示板のほうにも少し書きましたが、問題のラスト、あまり明快ではありません。
ただ、実作者としての立場から考えると、レム自身は、
主人公ケルビンはソラリスを去った、
という設定で書き進めていったのではないかと思います。

主人公ケルビンが「恋人」を作り出すのは、トラウマになっている深い罪悪感のせいですが、
残ってしまっては、その苦悩は「消える」。恋人が生き返ったわけでもないのに、
「恋人」との人生が始まります。作品全体のトーンから言って、作者が主人公に、
その安易な幸福を与える結末にしたとは思えない。主人公はそれを受け入れるほど、
軟弱な男としては設定されていない。

また、 ラスト近くで、同僚科学者スナウトが、残る、と宣言しており、
作者が、主人公にも、すでに意外性のなくなったこの結論を受け入れさせるのは妙です。

三つ目に、レムはたぶんカトリックだと思うのですが、だとすれば、この作品で
主人公が造物主となる(自分の記憶がヒトを創造する)という結論は
最初から排除されていたのではないか思います。
しかし主人公は奇跡を信じる。奇跡を信じ得る力こそが人類だと、
ラストの独白で婉曲ながら語られていますので、となると主人公はソラリスに残る
必要がありません。主人公は地球に帰り、孤独に耐えつつ奇跡を期待する道を
選び取ったのでしょう。


ただし、地球への帰還シーンでこの作品が終わらなかったのは、主人公のその決意の
危うげさ(人類の弱さ)をも、作者は語りたかったからでしょう。
迎えの宇宙船がくるまでのあいだに、結論が変り得る可能性を含みとして残したうえで、
作者は最後のピリオドを打ったのだと思います。


べつの読み方も聞いてみたい。異論・反論やわたしの読み落としの指摘なども
多々あるでしょうから、ぜひ掲示板に書き込んでいただきたいものです。

03/2/1


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