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近況02年12月
昨日深夜、週刊新潮『天下城』送稿。これで仕事納め。
12月は実質3週間しかなかったようなものなので、きつかった。
かといって、来年も夏まではさほど楽にはならない。「近況」の退屈さは
まだしばらく続きます。
このきつさ、歴史・時代小説を3本並行して連載、というのが、
想像以上の負荷であったというせいもあります。読まねばならぬ資料が半端ではない。
しかもわたしには、ろくに事前の蓄積がないので、どうしてもその分野の「お勉強」から
始まってしまいますから。
そのため、今年後半は、小説はろくに読んでいません。
レンタル・ビデオ・ショップには、たぶん3か月に2回ぐらいのペース。
よき消費者でなければよき生産者にはなれない、とはわかっているのですが。
やり残したこと、終わらせることができなかったことで、
関係各位に平伏して謝罪せねばならぬことが三つ。
角川春樹事務所の書き下ろし『警官仕立て』(仮)
毎日新聞社書き下ろし『エイジャン・ノワール』シリーズの一本
集英社新書『馬を飼う生きかた』
申し訳ありません。今年も約束を守ることができませんでした。
とくに『警官仕立て』は、取材時期から二年たってしまい、冒頭部分を書いたものの、
この素材で書き続けることヘのテンションが下がっているのがわかります。
再取材に出かけるか、それともまだ冒頭部分しか書いていないわけだから、
思い切って素材を変えるか、を考えるべきかもしれません。
担当編集者さんも、この点を心配してくれているのですが。
一応カレンダーも新しいものになることですし、今年最後の「近況」は決まり文句で。
みなさま、よいお年を。
02/12/31
12月29日になったというのに、新年を迎えるための時間が作れない。
まだ大掃除もしていない。30日中に原稿をもう一本書き上げねば,正月休みも取れない。
また、いまだ年賀状も作ってもいなければ、当然書いてもいない。
今年も年賀(状)欠礼ですね。どうしても出さねば問題が起こる、というところには
書かねばならないだろうけど。
ネットスケープのトップページ、デザイン変更があったのですが、やたらに重くなった。
朝のサイト巡回がいらつくこといらつくこと。ネットスケープを使っているかた、気になりません?
「独想録」のほうに、『たそがれ清兵衛』についての感想アップ。
明日は、せめて仕事場の掃除くらいはしよう。
02/12/29
24日から東奔西走しておりました。数千キロ移動したでしょう。
マイレージもたまったにちがいない。
NHK『そのとき歴史が動いた』榎本武揚と箱館戦争の回、ゲスト出演。
NHK大阪の制作なので、大阪で収録。
榎本武揚が当時の日本の「国際法」の第一人者であったことに焦点を当て、
外交交渉によって箱館政府を『交戦団体」と諸外国に承認させた瞬間を取り上げます。
「共和国」という言葉は使われなかったけれど、そこに「独立政権」があったことは
前提にしての番組。ラジカルです。
打ち合わせているあいだに、どんどんわたしの話すことが多くなり、覚えることができるか
心配になる。収録が始まると、わたしは松平アナの顔を一応は見てはいるものの、
意識が向いているのは、つぎに喋ることだけ。
能面のような顔でただ言葉を発していただけでしたね。
箱館戦争についてとても大胆に切り込んだ番組になっているはずですが、
わたしはたぶん、痛々しいぐらいに緊張していたでしょう。
もしこの番組を偶然観た場合、憐れんでやってください。
その収録が終わったあと、すぐに東京に移動。夜に某社と打ち合わせ。
ついで翌日、私用で札幌へ。昨日(27日)朝の便で仕事場にもどるはずが、
大雪のため、早朝の丘珠発の便が欠航。すぐに千歳発の便に振り替えて千歳に移動、
ここで待つもこちらも欠航。取れたのは、きょう(28日)の午後の丘珠発の便だけ。
それも、昼過ぎになっても飛ぶかどうかわからないという状態。年末にかかっていて、
もう陸路の交通機関もチケットなぞ取れるものではない。スリリングでした。
「悪天候のため欠航」の実情、飛行場で見ていますと、空は快晴でも平気で欠航と決めている。
問題は飛行場の除雪能力ですね。千歳空港公団は、成田より高い着陸料と空港使用料を取って
いるんだから、除雪機材ぐらい必要なだけ揃えるべきです。
10年に1回のような大雪害じゃないのだし。
あの公団、幹部は例のとおり、道庁天下りの役人。市場とか顧客とかという概念を知らない
連中です。安全マージンを余分にとって、無事故で退職金をもらうことだけが職業的テーマだ。
だから、無頓着に滑走路閉鎖もできるし、
もっと除雪体制を充実させて利便性の高い空港にしようという発想も持たない。
わたしの読者には公務員もいることを承知で言うけれども、
この手合いが国を食いつぶし、国を機能不全にしている。
北朝鮮は、トップさえ変れば社会が変ると信じ得る。でも、この国は不可能です。
旧ソ連とか、清国のように、無能なビューロクラシズムが国を一回崩壊させるのを待つしかないか。
午前中、『たそがれ清兵衛』を観ました。
感想は明日にでも書きますが、ちょっと泣けましたね。
40代、50代と見える男性観客も多かった。
泣けたけれども、わたしはこの映画の根本のメッセージは好きではない。
山田洋次の多くの作品について共通して言えることなのですが。
02/12/28
昨日の近況、まったく退屈な中身でしたね。視覚的にも、何も語るべきことがないのに
書いている、というのがわかる。ひたすら仕事をしておりました。
日経マスターズ『英龍伝』第1回。連載の最初は、どうしてもきつい。
ついで週刊新潮。
きょう、日中に散髪に行ってから、もどってきて手直し。夕刻、この二本を送稿。
戦前、江川太郎左衛門英龍は、強硬な軍備拡張論者として評価されていたらしい。
それで戦後、彼の賛美者たちは、英龍が軍国主義者と見られるのを恐れ、
口をつぐんでしまった。
結果として、英龍は、いまではあまり知られない人物になってしまったわけです。
でも、わたしの目に映る英龍は、おそらく榎本武揚にも影響を与えたにちがいない、
堂々たる民主主義者、幕藩体制改革論者です。
江川太郎左衛門英龍の資料を読んでいて発見しました。
英龍は日本の社会制度を論じるとき、明快に共和制への志向を記しているのですね。
「御国は北アメリカとちがい、急速には共和政治相整いがたく、さりとて
このままに放置候えば、やがて国乱れ、再度応仁の合戦の如く相成るは必定に候」
英龍の庵(書斎)は、『民々亭』と名付けられています。
中浜万次郎からアメリカの民主制度について教えられた英龍は、
『民々亭』を庵号としたというのです。
早い時期、鳥居耀蔵に嫌われ狙われたのも当然、という印象を受けます。
とまあ、そのような人物のことを取り上げて、連載開始です。
02/12/23
一昨日、寒かった日、最低気温はマイナス17度だったそうです。どうりで。
わたしの四輪駆動車、またヒーターがいかれたみたいです。ヒューズが切れただけかも
知れないけど、ファンに異音もしていたし、たぶんもっと重症。
でも、ヒーターは去年も故障しなかったろうか。
先月はバッテリーを交換したし、わたしの四輪駆動車は、ブラックホールだな。
いくら修理費をつぎこんでも、不具合が出尽くすということがない。
この車、ヘビーデューティ、メインテナンス・フリーというイメージがあるのだがなあ。
せめて4年乗れば減価償却したと考えられる、などとみみっちいことを考えているから、
けっきょく買い換えのタイミングを失って、高いものにつくのかもしれません。
いや、それでもやはり、いま買い換えるわけにはゆかんぞ。
02/12/22
まったく勘違いしておりましたが、きょうはもう金曜日でした。戦慄。
締め切り当日になってこれを言ったら、絶対に信用してもらえないでしょうが。
黒沢明『七人の侍』、DVD買ってしまいました(単品です。ボックス・セットには
さほど欲しくない作品も混じっているので)。
付録の小冊子を読んで、先日わたしが書いたことで誤りがあったことを発見しました。
記録は整理されてはいないのですが、この冊子の記述から、公開の年と長さを記すと。
1954年 4月 封切り 3時間40分(短篇等含む、一回分の長さ)
1954年 9月 海外版(短縮版)封切り たぶんこれが2時間50分のバージョン
これ以降、海外版が一般的には上映されていたのでしょう。
わたしは、このバージョンを名画座で最初に観ている。
1967年 6月 海外版再公開
1975年 9月 完全オリジナル・ノーカット版公開 3時間30分
このときすでに3時間半のバージョンだったようです。わたしの記憶ちがい。
1991年 11月 完全オリジナル版再上映
わたしはこれを試写会で観た。そのときのコメントは新聞広告の一部に使われました。
さて、3時間半の時間を作るのは難しいから、わたしはたぶん、パート1、ひと集め、の
部分を繰り返し観ることになるのだろうな。
今夜は寒い。マイナス13度あるいはそれ以下。
02/12/20
日中はちょっとした吹雪でした。雪がやんだのは午後遅く。
暗くなって空を見上げると満月。あたり一面新雪で満月というのは、悪くない情景です。
掲示板のほうで遠野さんが書いてくれたので、ふたたび『226』の話題。
映画は、せっかくクーデターを扱っていながら、焦点の定まらぬ、
まるでサスペンスのないつまらないものになっていました
(これは、脚本の笠原和夫の責任ではありません)。
でも、ひとつだけよかったもの。
ガッツ石松。
憲兵隊の下士官の役でした。
ほかの男優たちが、ずいぶん気張って陸軍軍人を演じている中、
出番の少ないガッツ石松は自然体でした。
ガッツ石松は、スピルバーグの『太陽の帝国』でも、憲兵隊下士官役で登場しています。
これも、日本人俳優の中では唯一の救いと思えるぐらいに、自然体でいい。
告白すると、わたしの作品中に出てくる磯田憲兵軍曹は、この両作品のガッツ石松のイメージです。
『太陽の帝国』は『226』の一年前の作品ですから、スピルバーグが『226』を観て、
ガッツ石松の採用を決めたということはないと思いますが。
ちなみに。
『太陽の帝国』の日本人出演者のオーディションは、帝国ホテルで秘密裏に行われたそうです。
スピルバーグ作品ということで、かなりの人気男優たちがこっそりオーディションを受けた。
でも、彼らが落ちたことは明かせないので、このオーディションのことは
いまでも業界の秘密なのだとか。ゴールデン街情報です。
02/12/19
昨夜は友人宅で忘年会。というか、新築ログハウスのおひろめパーティ。
この時期、二日酔いになるわけにはゆかないので、出席者の中でも最初に腰を上げて
仕事場に帰ってきたのですが、今朝気がつくと、頭にこぶができていて、痛い。
どこかにぶつけたようですが、いつどこで、という記憶がありません。
道は圧雪状態ですので、滑って転んだのだと思うのですが、記憶にないということは、
昨夜わたしは泥酔状態か? たしかに今朝目を覚ましたとき、わたしは昨夜、犬を排尿に
連れ出したかどうかも思い出せなかった。
退屈きわまりない日常と、ハイテンションのオフの日との、段差がありすぎますか。
もう少しテンションのレベルを平準化すれば、飲んでブラックアウト、ということは
なくなるかもしれない。この場合、日常のテンションをいくらか上げるのがよいか、
お酒を飲む日は酔わぬように努めるべきか。
どう考えても、後者は、無理だろうな。
国立市の明和地所の高層集合住宅問題、明快な判決が出たものです。
これなら、谷中のあの長谷工の高層集合住宅についても勝てるのではないか。
明日の新聞にはたぶん詳しい経緯が記されると思いますが、住民運動の高まりと
景観条例の制定を前にして、明和地所は駆け込みで建築確認申請を取ってしまったのでしょう。
条例には引っかからないから合法、訴えられても勝てるという判断だったのでしょうが、
けっきょく高いものにつくことになる。
二十メートル以上の部分の撤去など、事実上は解体、建て直しということになるでしょうし。
入居している住人が「資産価値が下がる」と反発しているとも報じられましたが、
景観を破壊し環境を劣悪なものにすることのほうが、その土地の不動産価値を下げるはず。
よい景観は、それだけで価値であり、資産であるはずですが。
02/12/18
脚本家の笠原和夫氏が亡くなったのですね。
ちょうどいま、わたし、『昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫』という本を読んでいるところ。
太田出版、605ページの大作で、4286円。
笠原和夫にインタビューしているのは、シナリオライターの荒井晴彦と、
文芸評論家のすが(字が出ない)秀実。敬称略。
笠原和夫はふたりの問いに答えて、創作の秘密を何もかも明かしてしまっている。
物書きにとっては、これは実に有益な実用書です。
トリュフォーの『ヒッチコックの映画術』に匹敵するな。
笠原和夫は、日本の社会や歴史に対しても、じつに鋭く、うなずける認識を語っています。
とくに興味深かったのは、二・二六事件の映画化『226』を語る部分。
氏は、自分の取材から、二・二六事件の真の首謀者は、当時侍従武官長だった本庄繁だと
断定しています。野中大尉率いる警視庁占拠部隊の動きの謎についても、
なるほどという解釈。もっとも、映画化されたものからは、この背後の構図は見事に
消えておりました。
じゃあ、松竹は「226」で何をやりたかったのかと言うと、
男優たちの陸軍将校ファッションを見せたかったのだとか。(爆笑)、と入れたいところです。
こういうコンセプトで映画が作られること自体は否定しませんが。
笠原和夫の没になったシナリオの中に『十一人の賊軍』という作品があるそうです。
戊辰戦争のとき、奥羽越列藩同盟を裏切り、長岡藩、会津藩敗北の直接の原因を作った
新発田藩の物語。ここの家老たちが、自国領を戦場にはせずにすむよう、
11人の囚人を選抜し、二日間だけ官軍の行く手を止めさせる。藩兵を使わないのは、
それをやると朝敵になってしまうから、という設定の物語だそうです。
これ、おもしろそうだ。
『十一人の侍』または『二十三の兜』も、映像化できるんじゃないかな。
いや、笠原和夫シナリオでも没だったのだから、やっぱり無理ということかな。
笠原和夫が『武揚伝』を脚本化していたら、どんなものになっていたろう。
昨夜半から吹雪。夜まで続いています。
02/12/17
夏に予約しておいたサフォーク種のラム肉が手に入りました。知り合いの生産農家さんが、
一頭出荷したのです。わたしはラムチョップとスペアリブ、それにスライスしたもの
買ったのですが、スペアリブやスライスを焼くには、残念ながらちょっと季節が悪い。
やはり屋外で豪快に焼いて食べたい肉ですから。
全部冷凍にして来春になってから食べようかとも考えましたが、せっかくの新鮮な肉です。
で、ラムチョップをボイルしてみた。岩塩と黒胡椒だけの味つけ。
これはいけます。さっばりしていて、羊であることを忘れるくらい。
近所でこんなおいしい肉が生産されているのですから、
この土地にはこれを提供するレストランがあってもいい。
隣町のサフォークの肉は、ヘイゼルグラウス・マナーというプチホテルが使っています。
ラムチョップの料理はわたしも食べましたが、品のいいフレンチとして出てきました。
バンクーバーのギリシア料理店でよく食べたラムのローストも思い出すな。
北海道ではどうしても、羊イコール焼き肉、というイメージが強すぎますが、
もっとちがった食べかたもいろいろ考えられるはずです。
あとで、ラム肉料理の本など、Webで探してみよう。
仕事のほう、スターターがかからないと昨日書きましたが、
むしろ、「熱ダレで回らない。もう少しクールダウンが必要」と言ったほうがいいかもしれない。
02/12/16
『英龍伝』、実質的に原稿にはかかれず。資料を読み直しただけ。
ひょっとすると、気分を高めてゆくためにあと数日必要になるだろうか。
なんたって連載の第一回。書くためにはそれなりのテンションが必要です。
セルスターターを回すには、一瞬だけでも高圧電流が必要というのと似ている。
エンジンがいったん始動してしまえば、慣性は持続するのですが。
「パン祖・江川太郎左衛門」
やはり、ちょっとこの尊称には無理がありますね。
「兵食としてパンを採用した最初の日本人」ということならよいのですが。
ちなみに、「いや日本の軍隊にはやっぱり米の飯だろう」、と
兵食としての米飯を標準としたのは、たしか森林太郎軍医総監(もりおうがい、と書きたいのですが、
文字が出てきません)。
この決定のために、日本の軍隊の行動性は諸外国の軍隊に較べてきわめて低いものになった、
という記述をどこかで読んだことがあります。
ついでにもうひとつ書くと(前にも書きましたね)、日本のカレーライスの祖は、
榎本武揚です。五稜郭公園に「日本カレーライス発祥の地」の記念碑が建ってもいい。
02/12/15
なんとか乗り切りました。年末進行、地獄の九日間。
木曜夜に一本送稿、金曜深夜にももう一本。
どちらも、送ったらすぐに「原稿拝受」の連絡。担当編集者さん、PCの前で、
やきもきしながら待っていてくれたのでしょう。深謝。
同じ姿勢でPCに向かいっ放しなので腰痛は出るし、腱鞘炎もぶり返す。
金曜深夜、原稿を送ったあとも頭は冴えて眠れず、でも犬たちは朝の同じ時刻に
空腹を訴え始める。きょうは、ふらふらの状態で起床。ゴミを片づけ、掃除をして、
たまった手紙(アナログ)などに返事を書き、午後から近くの温泉へ。
きょう一日休んで、明日からはいよい日経マスターズ『英龍伝』(「龍」は、
正字を使うことにしよう)。
02/12/14
週刊新潮、『天下城』の挿絵を描いていただいている安久利徳さんから、
編集部を通じて相談。連載では、今後、成人した信長が主役級で登場して
くるのですが、その顔かたちをどのように描くかという問題です。
織田信長の肖像画では、どれも信長の頭部分は露頂という、逆剃りをする頭。
髷は頭のうしろで小さく結う後方髷です。
これは、戦国時代としてはじつにモダーンで、近世的な髪形だったらしい。
ところが、映像で見ると、信長の頭は総髪髷にしたほうが、それらしく感じられます。
月代を剃ったり、露頂にするよりも、総髪髷の信長のほうが、革新的でダンディな男、という
印象になる。黒沢明『影武者』の隆大介信長とか、
NHK大河ドラマ『利家とまつ』の反町隆史信長のイメージですね。
で、どうしましょうか、ということなのです。
安久利さんは、案として、ふたつ考えてイラストを送ってくれました。
肖像画に基づいたものと、総髪髷。
けっきょく、編集者さんと相談して、こうすることにしました。
記述のほうは、事実を無視して総髪髷にさせるわけにはゆかないので、歴史的事実に従います。
でも挿絵のほうは、総髪髷の、いまの感覚で見ても格好いい武将にする。
「おはぐろ」を、エンターテインメントの映像で表現するのは難しいけれど、
小説の記述では、この習慣がなかったことにするわけにもゆきません。
それと同じですね。
いま突然思いついたアンケート。
信長を演じる男優は誰がいいか。
『天下城』の映像化ではなく、一般的な信長役者として、いまの俳優さんの中から、
挙げてもらえませんか。『天下城』を書き進める上でも、参考になるでしょう。
わたし、あまり俳優さんの顔と名前を知らない、という問題はあるのですが。
『くろふね』第5回、送稿。
02/12/12
窓ガラスにつけた寒暖計を見ると、いまの外気温はマイナス10度。
数度の誤差はあるはずですが、今年一番の寒気ということはまちがいないでしょう。
ちょっと寒い。さきほど、薪ストーブを焚きました。
地獄の九日間の途中経過を言うと、神奈川新聞を書き進めつつ、
きょうは短い原稿を二本送稿。苦しいのはあと二日。ファイト。
来年の予定が、今週に入ってぱたぱたと決まってゆきます。
執筆予定という意味ではなく、この仕事に付属するもろもろで、仕事場を離れる予定。
でも、旅行等で集中が切れると、復帰するためには、けっこうな時間がかかります。
二日休めば、復帰に一日のウォームアップが必要。四日休めば二日。十日離れれば五日。
来年は、わたしは月間の生産能力を見直す必要があるかもしれない。
犬と馬の世話のことも、来年は深刻な問題になってきそうだ。
こうなると、いよいよ欲しくなるのはモバイル・ノート。当然、親指シフトの。
02/12/11
達成感といっても、じつは仕事のほうではなくて、プライベート・ライフのほう。
先日から馬小屋の壁の一部がはがれ、穴が空いて、寒風が吹き込む状態でした。
それで材料を揃え、天気の具合と、気持ちの余裕をはかりつつ、修理する日を待っていた。
で、きょうは、風もないし、気持ちに少し余裕もあって、やっと取りかかれた次第。
下見板貼りの壁の穴を、けっこう見栄えもよく補修したのです。
時間にすれば、わずか30分ばかりの作業なのですが、
なにせ大工仕事はけっして得意なほうではないので、けっこう達成感があります。
もっとも、この程度のことをいちいち得意に感じていては、
目標とするロンサム・カウボーイにはなれないのですが。
道路公団民営化委員会の報告に、北海道内では猛反発です。
北海道新聞は、「地方の実情無視」という声ばかりを紙面に載せている。
賛成する声はひとつもなし。
ある町長。「慎重派は冬の日勝峠を車で走ったことがあるのか。地元住民は、
凍結した道路を命懸けで通行している」
たしかにあの道を真冬に通りたいとは思わないけれども、それだけ切実なら、
なぜ道東自動車道計画のその部分を最優先で建設するよう働きかけなかったのか。
日本中の誰もが吹き出すような十勝清水・池田間から造ったりしたから、
そのつけが、日高横断部分にくるのではないだろうか。
自分に必要なものの優先順位をつけられない、なんていうのは、恥ずかしい話です。
この春、鈴木宗男が、なぜこんな区間から着工したのかというマスメディアの質問に対して、
こう答えていた。
「用地の取得が簡単な区間から着工するのは当然だ」
ちがうでしょう。道路は、優先度と緊急性の高い部分から造るべきです。
地元にとって必要なのが日高横断部分なら、最初に着工すべきはそこだった。
北海道東部地方の住民は、自分に必要なものが何なのかもわからなかったのだし、
あの程度の国会議員を地元代表として選んできたのです。
その結果は、受け入れなくてはならない。
真冬の日勝峠を走るときは、恐怖に耐えつつ鈴木宗男の顔を思い浮かべますか。
02/12/7
雑誌の編集部は、この時期、年末進行という、ふだんより前倒しで作業を進める
態勢に入ります。作家はこの前倒しになった締め切りに合わせて原稿を
上げなくてはならないのですが、昨日またひとつ連絡を受けて予定表を見直してみると、
今週末からもう地獄でした。まずい。
わたし、来週はほんとに、買い物に行ってる余裕もないな。
熊本大学・佐藤誠教授の新刊『グリーンホリデーの時代』を、上京時に見つけて購入。
真に豊かな生活とは何か、というテーマを、「ツーリズム」「スローライフ」という概念を
キーワードに考察した啓蒙書。教えられるところの多い本です。
今年6月、教授が当地にいらしたときにホース・トレッキングを体験して
いただいたのですが、そのときのことにも少し触れられていました。
バブルの時代の「リゾート開発」フィーバーは、けっきょく日本経済の息の根を止めることに
なってしまいました。佐藤教授の『リゾート列島』は、そのことを予言した警鐘の書物ですが、
本書『グリーンホリデーの時代』を読むと、「リゾート開発」や「観光開発」ではなく
「ツーリズム」あるいは「グリーンホリデー」の方向には、
なにかしら日本復活の芽があるようにも感じられます。
それにしても、佐藤教授も主張していますが、もうこれ以上、法定の休日を増やして欲しくない。
それよりは、まとまった休暇を、労働者が自分の欲するときに簡単に取れるよう、
法整備をはかってゆくべきです。ひとの移動する時期が分散化するなら、
ツーリズムにかかる費用は小さくなります。同じ費用ならば、もっと休暇を楽しめるようになる。
それは、結果として、ツーリズムを支える産業にとっても、プラスになるでしょう。
02/12/6
12月2日は、東京農大で榎本武揚研究会、2回目の集まり。
「榎本武揚と共和国構想」というテーマで、わたしが発表者となりました。
このとき、榎本武揚のご子孫氏から聞いた情報。
NHK『そのとき歴史が動いた』は、来年1月29日に、榎本武揚を取り上げて放送するそうです。
箱館戦争の部分だとよいのですが。
ともあれ、武揚のベストテン入りも、いくらか視野に入ってきましたか。
研究会での発表では、武揚の国際性を強調して、薩長の田舎侍ぶりと対比させたのですが、
かなり反論がありました。薩長とも、イギリスとの戦争を経験して、士官クラスの人物たちの
国際性にはあなどれないものがあったのではないか、と。
たしかにその通りですね。封鎖破りの船の上で、米国海軍士官と薩摩の士官が、
局外中立や国際海洋法の解釈をめぐって論争をしたりしている。
国際法が適用されるだけの戦争、という認識は薩摩側にもあり、
国際法についての知識も、前線の士官たちは持っていたわけです。
薩長の士官たちの国際感覚を笑ってはいけない。
もっとも、だからといって、彼らが「都会的に洗練されていた」なんてことは、
わたしは絶対に認めないぞ。
朝日新聞、12月1日(日)の読書のページに『疾駆する夢』の書評掲載。
評者は坂村健氏。うれしい評価でした。
02/12/4
江川太郎左衛門の取材で、代官所と江川家の屋敷のあった伊豆韮山に行ってきました。
日経マスターズ、来月からの連載のためです。
伊豆韮山は、東海道新幹線・三島駅から、私鉄電車で20分くらい、伊豆長岡のひとつ手前にある
農村です。一帯(伊豆、相模、武蔵)を治める代官所があったにもかかわらず、
代官所の周辺には町は形成されておりません。
タクシーの運転手さんに訊くと、このあたり、昔からさしてかわらぬたたずまいとか。
そんなのどかな村の隅の小さな丘の麓に、江川家の屋敷は建っておりました。
築400年だそうです。さすが母屋の茅葺き屋根は、銅板葺きに変っておりましたが。
江川太郎左衛門の作った有名な反射炉は、屋敷から車で5分ぐらいの距離のところに
建っていました。この炉の写真は、社会の教科書などで目にしたことがあるひとも多いでしょう。
江川太郎左衛門が洋式砲を鋳造するために建設した、日本最初の近代的溶鉱炉です。
屋敷も反射炉も、けっこう多くの見物客、訪問客で賑わっていたのが、意外でした。
郷土の偉人であることはたしかでしょうが、観光客の訪問具合を見ると、存外に
彼の名は広く知られているのかもしれません。全国区人気ではないにせよ。
江川家の屋敷には、ご年配のボランティア・ガイドが何人も待機していて、観光客に
屋敷の内外を案内してくれます。
わたしについてくれたガイドさん、「パン祖江川太郎左衛門の碑」の前で説明します。
「というわけで、担庵さんは長崎からパン職人を呼んで、日本で初めて
パンを焼いたのです」
パン祖の名誉の件は知っておりましたが、この説明を聞いて素朴な疑問がわきました。
そのパン職人は、長崎ではパンを焼いてはいなかったのか?
職人がすでにいたのなら、江川太郎左衛門の前にパンを焼いた日本人がいることになるが。
この点を訊くと、ガイドさん、絶句の後、こう説明。
「当時、幕府は地方が豊かになることを好まず、パン焼きを禁止していました。
それを江川担庵さんが幕府から許可を取って焼いた。つまり、幕府認可のパンを焼いた
最初のひとだということです」
細かに前後の事情は調べていませんが、この説明には無理があるような気がします。
ちなみに、反射炉のそばの土産物屋で売っている
「日本最初のパン(のレシピで焼かれたパン)」は、二度焼きされた、いわゆる乾パン。
硬くて、とても歯が立たない。
江川太郎左衛門は、日本で最初にパンを焼いた人物かもしれませんが、
パン食の普及に貢献したひとではないでしょうね。
02/12/03