近況過去ログ02年10月
北海道新聞が創刊60年ということで、きょうのその特集記事にわたしの談話。
当初、これは原稿の依頼でした。「私と北海道(とその将来)」というテーマで6枚。
このテーマだと、いまわたしには明るいことは書けない。
とはいえ、役割のある文章ですので、あんまりネガティブなことを書くわけにもゆかない。
それで、まずふたつ書いてみた。「滅びよ、衰退せよ、北海道」という調子の過激なものと、
同じ内容をいくらかマイルドにしたもの。
わたしは広告代理店に勤務した経験があるので、クライアントの意向に合わせて、
文章のトーンを変えるぐらいのことは苦になりません。
でも両方ともまだ過激すぎるということで、けっきょく電話インタビューとなりました。
それを編集部でまとめたものが、きょうの談話です。
要旨、北海道独立の勧め、という中身になってしまいましたが。
先日書いた『王と鳥』(『やぶにらみの暴君』改作、79年)、入手。
サイトで調べたところ、これはポール・グリモーが1952年公開版のラストを中心に
20分ほどカット、あらたに43分描き直して作った作品なのだそうです。
52年の公開版は、製作側の意向で、ポール・グリモーが納得しないにも
かかわらず公開されたのだとか。ポール・グリモーの認識では、52年版は
未完成品。
でも、「未完成」ながら傑作と呼びうる作品が世の中には存在します。
52年版の『やぶにらみの暴君』も間違いなくそのひとつでしょう。
いま79年版(完全版)を流して観て気づきましたが、
『天空の城ラピュタ』には、この『やぶにらみの暴君』の
王宮崩壊のシークエンスが明らかに影響していますね。
ここに出てくるロボットは、『ナウシカ』巨神兵の原型にも感じます。
そうか、きっと宮崎駿も好きな作品だぞ。
北海道ではきょう発売の週刊文春11月7日号『文春図書館』に、
『疾駆する夢』の書評、1ページ。小林峻一氏。
02/10/31
朝から雨が降ったりやんだり。雨は氷雨で、一時はあられ状だった。
日本海側の山間部はすでに雪が降っているようだし、当地もたぶん今夜、
雨が雪に変りますね。初雪か。越冬のために必要ないろいろのこと、
ほとんど手をつけていない。そういえば、思い出した。ある業者さんに頼んでいたこと、
あれもほったらかしにされていたな。薪割りもやらなくては。
ローカルのニュース番組で、『がんばれカローラ』という特集がありました。
発売以来33年間、日本での自動車販売台数トップを維持してきたトヨタ・カローラが
今年は一位の座から滑り落ちそうなのだそうです。一位はいまのところ、ホンダのフィット。
トヨタのディーラーたちは、トップ死守のために大キャンペーンを張っているのだそうで、
ひとりの札幌の営業マンを中心に、トヨタのV34キャンぺーンなるものが紹介されていました。
しかし、これって、地方の放送局が特集として取り上げるべき話題ではないと思うが。
『プロジェクトX』のような普遍性のある感動的な物語があるわけでもない。
カローラが、それほど北海道で無条件に愛された商品というわけでもない。
番組は、まるごとトヨタのパブリシティでした。広告費が出たのでしょうか。
それとも、北海道のひとはそんなにトヨタが好きなのか。
わたしには、放送局が音頭を取ってカローラを応援しなければならない理由がわからない。
もし地元放送局がやるんだったら、『がんばれエア・ドゥ』だったでしょうに。
もう遅いけれども。
02/10/29
今週、一件インタビューを受けることになっているのですが、その時間と場所について
電話で何かやりとりしたはずなのに思い出せない。メモもありません。
もしかしたら何も決めてはいなかったか、とも思ったけれど、その確信もない。
直接相手に問い合わせるのは恥ずかしいので、関係者から探ってもらったところ、
すでにわたしとは打ち合わせずみとの返事だったそうです。
まるで覚えていなかった。痴呆の初期症状でしょうか(いや、そうではないと思うが)。
原稿を書いている途中で電話がかかってきた場合、そのときはふつうに受け答えしていても、
原稿にもどって、しばらく時間がたつと、電話の中身をすっかり忘れていることがままあります。
ときどきは、その日自分が何を食べたかも忘れてしまうし。
関係者各位へ。小生と電話で打ち合わせたことについては、
そのあとファックスなりEメールで、わたしに念押ししたほうがよいようです。
お手数ですが。
昨夜は、地元の文化会館で、自作について語る会。
キューバ取材の話などを中心にいろいろと。
毎日新聞、先週金曜夕刊の『小説への誘い』に、『疾駆する夢』の書評。重里徹也氏。
ほかに紹介記事など目にしたかた、お知らせください。
きょうは、角川書店北海道の編集者さんふたり来訪。ごあいさつ、とのことでした
(はるばるやってくるのに、ごあいさつだけで終わるはずもないのですが)。
『北海道ウォーカー』などを編集している角川書店北海道は、角川書店の
支社なのだと思っていたのですが、独立法人なのですね。
札幌の編集プロダクションと角川書店との共同出資で設立された会社なのだとか。
たしかにあのような情報誌は、東京から社員を派遣したからといってきるものではない。
なるほど。
02/10/28
仕事がはかどっていません。うむむ。
角川春樹事務所、書き下ろしの原稿をちょうど連載のように毎月渡す、という約束も、
最初からつまずく気配。先日「このミス」に、「わたしの隠し玉」という
アンケート回答を送ったばかりですが、また今年の回答も、隠しっぱなしになるだろうか。
予定では、いまごろはこのサイトの引っ越しも終わっているはずだったのですが。
この作業は来月まわしになるな。
今夜のBS、衛星映画劇場は『プライベート・ライアン』
この時期にこの作品の放映とは、偶然なのだろうか。それとも急遽差し替えでしょうか。
きわめてタイムリーなテーマ。
「ひとりの国民を守るためになら、国家は10人の兵士を投入することも厭うべきではないか」
「たとえ10人の兵士の犠牲が出ても、国民ひとりの救出はなされるべきかどうか」
「しかり。それをするのがアメリカの国家ポリシーである」という明快なメッセージ。
あるいは、こういう主張なのかもしれない。
「数の問題じゃない。国家と国民とのあいだの基本的な契約の問題なのだ」
「海外にいる邦人の生命保護など知ったことか」という国家に生まれた身では、
ときとしてはた迷惑なアメリカのこのポリシーも、羨ましくなることがあります。
いや、正確に言えば、アメリカが建前を語るときのそのプロパガンダの巧さに、
つい乗せられてしまうということでしょうか。
連日、拉致問題が大きなニュースとして報道されているいまは、とくに。
02/10/26
今朝、初霜が降りました。日中は氷雨。寒い日です。
薪ストーブを焚いています。冬は目前。
19日の近況を書いたあと、気になって『バリ島珍道中』を調べてみると、
これはシリーズ最初のカラー作品で、ストーリーはオーストラリアから始まることになっています。
わたしの記憶では、シンガポールから始まって、主人公たちが女護が島のような島に
移るのだった。エキゾチックな衣装の女性たちの群舞が強烈に印象的。
ここで描かれた島がバリ島だろう、だから作品は『バリ島珍道中』だったと思い込んでいたのだけど、
カラーで観たという記憶がないので、わたしは同シリーズの『シンガポール珍道中』と
混同していたのかもしれません。断定的なことを書かなくてよかった。
記憶の歪みについて、このところ再認識が続きます。
中標津近隣の読者にご案内
来る27日(日)、わたしと「語ろう会」という集まりがあります。
3冊まとまって新刊が出たので、これらの本についてわたし自身が解説する会。
『冒険者カストロ』のために2回キューバに取材に行っていますが、
このときのスライドの上映が、目玉といえば目玉の企画です。
お近くの方でご興味があれば、いらしてください。
27日(日)7時から、
中標津総合文化会館しるべっと・コミュニティホール
入場料1000円、コーヒーつき
そのあと懇親会があります。
主催は、中標津の読書サークル、誠援隊(連絡先は後日ここに追記します)
02/10/21
本日の『ブロードキャスター』、バリ島の爆弾事件のことを取り上げていましたが、
とても気になることひとつ。
バリ島はミュージカル『南太平洋』によって、世界中に紹介された、と解説されて
いたけれども、これはまちがいです。
この説明、いくつかのバリ島のガイドブック(日本で発行のもの)にも載っているのですが。
『南太平洋』の舞台は、架空の島バリハイ島ですが、これはバリ島とは無縁。
ジェームズ・ミッチェナー(太平洋戦争中、従軍記者だった)が書いた原作(ルポ)は、
舞台がニューヘブリデス諸島でした。
映画の中のバリハイ島は、バリ島とは似ても似つかないところです。
ヒンドゥの島という設定ではないし、あれほどの豊かな文化があるとも描かれていない。
ハリウッドがバリ島を取り上げた映画としては、
ボブ・ホープ『バリ島珍道中』(52年)を挙げるべきでしょうが、
あれはほんとにバリ島で撮影していたのだろうか。
わたしの記憶は古すぎて、はっきりしたことは言えません。
もし現地ロケ作品であれば、これが欧米人にバリを紹介した映画の嚆矢でしょう。
ザ・スパイダースが出た映画でも、たしかバリが舞台のものがあったはずです。
「爆弾テロなんて信じられない!」
バリ島の爆弾事件を解説するのに、まず『南太平洋』では、
あの島は誤解されているのだな、という思いを強くします。
02/10/19
15日はそうでもなかったけれど、昨日はテレビのニュース番組の出演者たち、
キャスターもゲストもコメンテーターも、みな目をしばたかせて、苦しそうでした。
自分のことは書きませんが。
この数日、わたしが何度も思い起こしていたのは、ベトナム戦争当時の有名な写真。
北ベトナム空爆作戦の最中に撃墜され、北ベトナムの捕虜となっていたアメリカ人飛行士が
家族の待つ軍基地に帰ってきたときのものです。
輸送機のタラップを降りた飛行士に向かって、家族が駆け寄ろうとしている。
奥さんとひとりの小さな女の子は寄り添いつつ、飛行士に向かってゆくのだけれど、
その前に、中学生くらいのおさげ髪の女の子が、飛び出している。
彼女は両手を大きく広げ、跳んでいる。足が地についていない。
「パパーッ!」という声さえ聞こえてくるような写真。
捕虜になった飛行士には一片の同情も持てなかったけれども、
これは印象的な写真でした。パパを何年も待ちわびた家族の想いが、
見事な一瞬、見事な情景として切り取られている
(いま、持っている写真集をあれこれひっくり返してみたけれど、どれにも載っていない。
とすると、わたしはあの写真を、たった一度しか見ていないのだろうか)。
掲示板で、レミングさんが、この写真のありかを教えてくれました。
確認すると、家族は記憶よりももっと多かった。わたしは男の子ふたりの印象がなかった。
飛行機もタラップも写っていない。うしろに見える飛行機らしきもののせいで、このように
記憶してしまったのでしょう。おさげの女の子、というのも、というのも、記憶の歪みでしたね。
でも、あの写真を見たとき、いやおうなく考えざるをえなかった。
当のベトナムには、パパの帰りをついに断念した家族が、いったいどのくらいあるかと。
アメリカ市民は、そのことを想像するための触発素材を手にしているのだろうかと。
さて、15日の拉致被害者のみなさんの帰国の際にどんな情景を見ることができるか、
ある程度は想像がついた。
というか、あの写真のイメージをふくらませて、ニュースを待っていました。
でも、昨日に見たものについてまでは、想像が及んでいなかった。
帰ってきたひとたちを迎える、故郷のひとびとの顔。あの表情。
わたしはニュース映像で、帰ってきたひとではなく、もっぱら迎えたひとびとの顔を見ていたな。
その表情が何を示すものであったのか、言葉にするのはとても難しいのだけれど、
うんと大雑把に言ってしまうと、日本のふつうの市民の想像力、
あるいは共感力と呼びうるもの、なのかもしれない。
それに引き換え、拉致議連の自由党Nの顔ときたら。
いや、あんな不快なものについては、ここで書くのはよそう。
02/10/18
昨日(16日)昼に、『くろふね』第3回分送稿。
そのあと買い物と仕事場の清掃などして、夜にプライベートな行事参加。
酒にも口をつけずに9時に仕事場に戻る。
で、きょうはべつの原稿にかかるつもりでいたのですが、まったく頭が働かない。
午前中は、釧路開建から担当者来訪。今後の「標津川流域懇談会」の予定など、
説明を受ける。つぎの懇談会は、来月13日、おっ、この前後の予定がきつくなってきた。
午後は町に出て、ヤマトの営業所で荷物発送。
ヤマトでも、東京翌日配達のサービスがあると聞いていたのだけど、
聞いてみると、それは朝8時半までに持ち込んだ場合だけでした。これは、使えない。
午後にはもうひとつ、まったく似合わぬガーデニング仕事。
水仙の球根をたくさんもらったので、土を掘って庭に植えたのですが、植え終えてから、
「株分け」という言葉を思い出しました。概念は知らないのですが、ひとかたまりになった
球根をひとつずつ分けて植えてやるべきだったのかもしれない。
ま、いいか。
というわけで、原稿も書けなければ、サイトの近況に書くべきこともないという一日。
いま、夜の9時ですが、このあとは資料以外の本を読むか、
それともビリー・ワイルダーを観るか。
02/10/17
東京の都立書房は、わたしがこれまで資料を最も多く買ってきた古書店。
社会科学系の専門店で、店舗を持たず、目録だけで商売しています。
目録は、毎年2回、発行される。
届いた目録ですぐ注文しても、売れてしまいました、と連絡が入ったことが
数回ありました。『コーデル・ハル回想録』『中国的天空』そのほか、第二次大戦と
日中戦争関連の、その中でもちょっと特殊なパートの資料。。
すぐに売れた、ということが続いたので、同業の誰かがわたしと同じテーマを
準備しているのではないかと疑心暗鬼になったこともあります。
そいつはいったい誰だ?と。
その都立書房が、年内いっぱいで廃業とのこと。残念です。
ただ、商売の不振が理由ではなく、経営者の年齢の問題、というのが、
救いといえば救いですが。
02/10/16
きょう届いた某誌に、DVDソフトの2ページ見開き広告が載っていました。
新リリース4作品の紹介と、発売中の旧作名画50本ほどの告知。
その発売中リストの中に
『王と鳥』(『やぶにらみの暴君』改作)、とある。
『やぶにらみの暴君』は、わたしがこれまでに観た中で最高のアニメーションだけど、
改作とはどういうことだ? 誰が改作なんてしたんだろう。再編集のことだろうか。
それとも、ただ単に、「改題」の意味で言っているのか。
奇妙に思いつつ、広告全体を眺め渡すと、この広告、ソフトのリストのどれにも、
タイトル以外に情報がまったくないのですね。改作、と記してある『やぶにらみの暴君』が
唯一の例外でした。
しかし、『惑星ソラリス』ならともかく、『嵐ガ丘』や『戦争と平和』については、
制作年度とか監督名ぐらい入れなければ、どの作品を指しているのかわからない。
この広告を作ったひと、あるいはこのソフト販売会社(IVC)の担当者は、
映画が好きなひとではありませんね。IVCなる会社自体、映画業界以外から
参入してきた企業なのかもしれない。
『やぶにらみの暴君』の「改作」も、この会社が勝手にぶっち切った、という意味で
なければよいのだけど。
日経ビジネスに、ダイヤモンド・プリンセス号火災の背景解説記事が載っていました。
これによれば、三菱は同型船二隻を受注し、一隻目のダイヤモンド・プリンセスについては、
いわば実験船という位置づけ。豪華客船建造のノウハウを取得することを主眼としていたそうです。
この経験をもとに、二隻目の建造にかかり、こちらでは製造コストを3割削減して、
利益を出すつもりだったとか。
ほう、という想いです。この点だけ聞いても、やはり造船ビジネスというのは、
けっこう面白いではないですか。
吉村昭『戦艦武蔵ノート』によれば、吉村氏の(武蔵の受注で三菱は)「儲かりましたか」という
質問に対して、当時の三菱の幹部が答えています。
「利益は出なかったが、ノウハウが蓄積された。その点では三菱にとってもメリットはあった」
長崎造船所の資料館には、このときの契約書が展示されていました。
戦艦武蔵の受注額は、たしか六千四百万円。
利益は出なかった、というのが事実だとしたら、三菱は、たぶん信濃のつぎの
四号艦か五号艦の受注も見越して、武蔵を引き受けたということなのでしょう。
その期待は、45年8月9日の長崎原爆投下で泡と消えるわけですが。
02/10/11
ダイヤモンド・プリンセス号は、廃船ではなく、工事続行とのこと。
発注者側が、火災の話題はあとを引かないと判断したのでしょうね。日本人向けの
航路には就航させないのかもしれない。じっさい、11万トンの客船となれば、
使えるのはカリブ海か地中海だけでしょう。ときおり、世界一周か。
外から見ると、このダイヤモンド・プリンセスは、客室デッキに回廊がついている設計ではなく、
各層全部の客室に専用のバルコニーがある、という船。
全室オーシャン・ビューのホテルのような造りです。この船での旅は、さぞかし気持ちが
よいことでしょう。時間があるときに、仕事とノートPCを持って乗りたいものです。
はかどるだろうな。インターネットは使えるのだろうか。
バンクーバーから引き揚げるとき、ちょうど客を募集していた北太平洋周航クルーズの
船に乗ろうかとちょっと考えたものです。バンクーバー発で、アラスカ、アリューシャン、
カムチャッカ、サハリン、ウラジオストック、そして横浜というコースを回る船。
たしか二カ月間くらいのクルーズだったと思う。
時間もお金もなかったので、真剣な検討にはなりませんでしたが。
日経平均株価、一時8200円割れ。
自分がサスペンス映画の中に取り込まれているような気分なのですが。
02/10/10
三菱重工・長崎造船所は、ようやく不審火があったことを認めました。それも4件。
「火災」には至らなかったので、消防、警察等には通報しなかったのだとか。
また、こんどの火災でも、マニュアルでは火災発生の場合は真っ先に消防署への通報と
決めている(重工が自発的にです)にも関わらず、通報は39分後。
ここでも、マニュアルなどどうでもよいという風潮がはびこっていたわけで、
放火説は逆に薄くなったのではないかという気もします。
三菱が不審火を認めたのは、保険金のおりる目処が立ったからでしょうか。
それとも、造船所のモラル低下による事故、と判断されて、
信用が失墜するのを避けるためでしょうか。
ただ、先日の航空自衛隊の練習機の機関銃暴発事故との関連も気になってきました。
三菱重工ではいま、解雇をめぐるトラブルとか、少数派組合との対立が根にあるのかもしれません。
いま造船業をテーマにすると、かなり暗い作品になってしまいそうだな。
この二日間で、上京してやらなければならない仕事なり用事なりの話が4件飛び込んできました。
用事の中でも、たとえば、書いたテーマについて語る、というのは、
物書きにとって、書くことと一体化した義務ですので、逃げるわけにはゆきません。
それにしても、来年になったら、もう執筆生活の中心を北海道に置くこと自体、
難しくなっているかもしれない。今年もすでに、馬を飼いつつ書く、という
晴耕雨読的生活は完全に破綻していますから。
わたしのテーマが変ってきたことの結果なんだろうな。
02/10/9
サイトを移します。ちがうドメインになります。
アンダーバーやチルダの入ったアドレスなりURLではやはり使いにくいので。
で、考えているのが、掲示板の廃止です。
荒れなかったことはたいへんうれしいのですが、さほど賑わっているわけでもありませんし、
また、開設してみて初めてわかりましたが、これの管理というのは
けっこうな心理的負担でした。
わたし自身、ほとんど書き込みしていませんが、そのことが逆に、いつも気になっていた。
ひんぱんに書き込んでいただいた読者には、ほんとうに申し訳ないのですが、ご了承ください。
引っ越しは、つぎの仕事が一段落してからなので、たぶん今月なかば以降です。
引っ越し後、各ページの見直しと再構築を、少しずつ進めることになるでしょう。
本来は業務連絡用、または業務上、わたしのデータを必要とするひとのための
資料ファイルとして作ったものですが、この性格も少し変りました。
リニューアルの時期です。
「嘆きとぼやき」の近況も、雰囲気を変えねばなりませんね。
いま、このサイトのいちばん意味ある部分は、「武揚伝ノート」「天下城ノート」のあたりかなとも
思うのですが、いかがですか。
月曜から発売されている週刊ポスト10月18日号に、
『疾駆する夢』著者インタビューが3ページ載っています。
先週上京中に、日経マスターズ編集部と連載の打ち合わせ。
いったん小栗上野介で決まったテーマでしたが、江川太郎左衛門に変えてもらいました。
小栗は、これまで書かれすぎているということが、ずっと引っかかっていた。
ドラマティックな生涯を送ったひとであり、有能な財務官僚でしたが、
いまさらわたしが書かずとも、という想いが募っていました。
その点、江川太郎左衛門は、榎本武揚、中島三郎助とも少しずつ生涯が重なる人物ですし、
これまでほとんど取り上げられていません。挑戦のしがいがあります。
連載開始前に、伊豆・韮山に取材に行くことになるでしょう。
02/10/8
留守中、業務連絡のメールやらファックスやらがたまっていて、そのひとつひとつに返事。
朝は大嵐だったけれど、昼過ぎから風雨もやんで、ゴミ焼きとウォーキング。
局留めにしておいた郵便物を受け取り、さらに営業所に止まっていた宅配便を受け取る。
中に、amazon.comからきたDVDあり。
先日、黒沢明作品を予約するつもりだったけど、予約受付のリストを見て急遽変更したもの。
ビリー・ワイルダー・コレクション・ボックスと、『ロード・オブ・ザ・リング』
仕事の資料になる作品ではないのですが。
ちなみに、わたしは初期のワイルダーの作品はほとんど観ていません。
『深夜の告白』『失われた週末』『サンセット大通り』など。
逆に『第十七捕虜収容所』(53)あたりからはほとんど観ている。
わたしの好きなワイルダー作品3つ。
『第十七捕虜収容所』『麗しのサブリナ』『フロント・ページ』
たぶん、一般的には、ワイルダーの人気作品と言うと、
『七年目の浮気』『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』あたりがくるはずです。
買ったセットにも、当然この3本が含まれています。
でも、つぎに出るボックスセットには、わたしの好きな3作品が入っていて欲しい。
きょうのぼやき。
先日も、具体的には書かずに単に「切れた」と書いたことがありましたが、
似たようなことが、本日も発生。ぐちゃぐちゃと長引かせたくないので、話はすぐに打ち切り。
ただし、気分はなかなか収まらない。
具体的に書くかわりに計量化して言うと、落ち着くまでにトランキライザー2錠。計4ミリグラム。
自分が寿司屋の親爺だったら、と思うことがときどきあります。
刺身包丁を握ったまま、低い声で、「帰ってくれ」と、
きっぱりと言ってみたい。
『歴史街道』11月号(PHP研究所)、『榎本武揚特集』にエッセイ掲載
02/10/7
留守をしていました。この間、メールも読まず、留守電はチェックせず、ということで、
お急ぎのメール、ファックスをくださったかた、申し訳ありません。
明日(7日、月曜)、半日かけて、お返事いたします。
留守の理由は、神奈川新聞・カドカワミステリ連載『くろふね』と、
週刊新潮『天下城』の取材で、長崎に行っていたということです。
じつはこの取材旅行には、もうひとつ、ぼんやりと構想してきた大河小説の予備取材という
目的もありました。何人かの編集さんには話してきたことなので、ピンとくるひともいるでしょう。
その構想というのは、長崎の船大工一族の500年にわたる歴史、というミッチェナー的作品。
自動車産業の戦後60年史を終えましたので、いよいよつぎは船かと
あらためて長崎取材を企画し、最近できた三菱重工長崎造船所・資料館を取材先に
予定していたのでした。ところが、あのダイヤモンド・プリンセス号の火災です。
2日午後、わたしは鎮火してまだ半日もたっていない構内に入り、
傾いたあの船のうしろをまわって、資料館を見学してきました。
この火災の結果、わたしの構想は、数年、時代遅れとなってしまったのか、
それともきわめてコンテンポラリーだとわかった、ということなのか、よくわかりません。
ただ、やっぱり船はおもしろそうだ、という気持ちは強化されましたが。
ダイヤモンド・プリンセス号の火災原因については、地元の長崎新聞、西日本新聞は、
放火の可能性を指摘しています。春から何度かボヤが出て発火装置が発見されており、
朝礼の場でも造船工たちに伝えられていたとか。しかし三菱重工と長崎造船所幹部は、
これまでボヤ騒ぎがあったことすら否定している。
なぜ否定するか、想像できるのは、以下のことです。
失火の場合は保険金がおりるけど、放火ではおりないそうで、
400億(500億とするメディアもあり)の保険金がおりなければ、
三菱重工と長崎市経済はかなり深刻な事態に陥ります。
これは放火であってはならない。
長崎県警は、たぶん現場検証では、放火の証拠の発見とこれの隠滅に全力を傾注するでしょう。
保険会社の独自調査で放火と判断されないように。
この保険契約の一件については、少しだけミステリ作家としての興味がわきます。
放火説とはべつに、ガスバーナーによる失火説も出ています。すでに内装も終わり、
カーペットも敷かれたフロアで無神経な工事が続いていたらしい。
もしこちらが事実だったとすると、原子力発電所のトラブル隠しなどに通じますが、
日本の製造現場の水準の低下を示す象徴的な事故だということになります。
02/10/6