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近況
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2004年9月1日(水)
カリカリ博士と呼んどくれ

きのうの「カリカリ」の件で、ライターの友人から慰めのメール。
あの事態は、「マラソンで妨害を受けたブラジルのデリマ選手と同じ」と書いてくれた。やはり同業者、わかってくれている。わたしがデリマ選手なら、もうあれ以上走ることはできなくなって、あのアイルランド人をぼこぼこにしていたな。オリンピック史上最初の、レース中の選手による殺人事件になっていたかもしれません。

べつの友人から。
「カリガリ博士って、覚えてる?」
そうか、わたしのニックネームは「カリカリ博士」でもいいか。


北海道新聞『干し草通信』送り。

『うたう警官』に戻りたかったのだけど、きょうはもう1日なので、『幕末・技術官僚の系譜』にかかる。


『「おじさん」的思考』(内田樹、晶文社)
著者の本は3冊目。あまり面白いので、本書を読んだあと、未読の本をAmazonでまとめて注文してしまいました。1冊だけ『レヴィナスと愛の現象学』いうタイトルの著作だけは、たぶん専門書だと思うので除いて。

本書は、コピーにこうあります。
「いまや風前の灯と化した『正しいおじさんの常識』擁護のために、いま一人の論客が立ち上がった」
著者は1950年生まれ。わたしと同世代。つまり著者が想定している「おじさん」とは、わたしたちの世代の男ということでしょう。
ひとつひとつシリアスなテーマを、軽妙な文体で、しかしきわめて論理的・倫理的に語ったエッセイ。共感できます。本書の全体の三分の一は、「成熟」をテーマにした漱石論。

本書中、多少著者の私生活が垣間見えます。夫人とは早くに離婚。6歳の娘さんを引き取って育て、彼女が18歳のときに一人立ちさせた。いまは(わたしの解釈では)原節子を嫁がせたあとの笠智衆のようなひとり暮らし。
悪くない、とは、いまのわたしの立場からは言えないけれども。


この近況、なかなかブログに移す決心がつきません。昨日の近況のようなことを書くときは、いまの場合、「自分のホームページの中に」書いた個人的鬱憤、という言い訳ができます(外からは同じことであるにせよ)。ブログは、少なくともトラックバックを前提にする以上、あんな話題を書くべき場ではない、とも思ってしまうのです。もしやるなら、「芸」にしてしまわなければ駄目ですね。

もうひとつ問題。じつは、近況をブログに移すときは、文体も変えようかと思っているのです。わたしにとって自然な、だ、である体に。ただし、文体を変えたとき、抑制がはずれるおそれがある。です、ます体で書くときのように冷静にはなれないような気がする。そのときの影響がちょっと心配。
そんなことを考えて、まだ決心がつきません。

2004年8月31日(火)
こんなことを書いている場合ではないのだけど

好評連載「きょうのささやかなカリカリ」

台風の上陸で雨も激しくなったお昼すぎ、停電の心配さえなければ仕事がはかどるなと喜んでいたら、ピンポーンとチャイムです。
出てみると、脂粉の香振りまくおばさまがふたりでした。面識のないひとたち。このほど、町でスナックを開業するのだそうです。この町の著名人(顔は知っている)に店の名をつけてもらったそうで、その名はわたしの作品とも関係のある言葉でした。金曜がオープン、町のその著名人に勧められたので、ぜひご来店いただきたいとあいさつ状を届けにきた、とのことでした。

わたしの日頃の懸命の努力にも関わらず、わたしについての情報はどうもまるで伝わっていないようですね。常軌を逸した気難しさで、うっかり仕事場を訪ねると無愛想に応対され、その日のホームページでさんざん嫌味を書かれる、という評判がなぜ広まらないのだろう。わたしの広報の手法に何か欠陥があるのだろうか。

それに、わたしはスナックというところでお酒を飲む、という習慣がない。行きつけのスナックを何軒か作って、ウィスキーなりなんなりのボトルをキープするということもやっておらん。何かの二次会とかで断りきれない流れとなれば、ついてゆくことはあるけれども(その程度には社会人)。

新宿ゴールデン街も遠いし、おおげさな言いかたをすれば、いまわたしは、そういう文化とは無縁だぞ。申し訳ないけれど、当日は欠席。開店祝いのお花を贈ることもありません。

嘆息。この嘆息の意味は、こういうことでもあるな。
「あなたさえ何もしなければ、あなたとわたしとのあいだには何ごともなかった。見知らぬ他人同士として平和だった。なのにあなたの思いつきのせいで、あなたはわたしを嫌うか不愉快に感じるようになるだろうし、わたしたちの関係は、小さないさかいがあるのと同じ状態になるのだ。わたしはわたしで、そのことをけっこう気に病む。でも、はたしてわたしたちは、そんなふうになる必要があったのだろうか?」

切れた集中力を回復するって、わたし、苦手なのです。

原稿に戻れないので、もう少し書きましょう。
仕事場を当地に移そうと決めたとき、担当編集さんの何人かは心配した。わたしがここで、「地方の名士」「地方文化人」となってしまうのではないかと。地方によっては、小説家は大家ではなくても、けっこう名士扱いされる。先日行った函館では、何十年も前に何かの文学賞の候補になった、というだけのひとが、地方文化界のボスとしてずっと君臨しているのだそうです。それが可能だ。

わたしの編集さんたちも、わたしが当地で、自分は望まないまでも、そのように扱われてしまわないか懸念した。たぶん長年の経験から、そんなふうに地方で名士となって、書くことよりもパーティが好きになってしまった書き手を、何人も知っているのでしょうね。

わたしはこの土地で、名士ふうに生きたいわけじゃない。スナックの開店祝いに出て乾杯の音頭を取ったり、選挙運動の応援をしたりしている余裕はない。そういうことが好きでそれを望んでいると、誤解させてきた覚えもないのですよね。だからお願い。わたしをそんなことに巻き込まないで。

と書いたって、そういうひとたちはこのホームページを読んでいるわけじゃない。こちらの想いは絶対に届かないのだよなあ。


北海道新聞コラム『干し草通信』原稿書き。


『絶望 断念 福音 映画』(宮台真司、メディアファクトリー)
『ダ・ヴィンチ』に連載されたという映画評論集です。というか、映画を例題にした現代社会論、時代論と言えるのかな。

目次を見ると、ここに取り上げられている映画のうち、わたしが観ているのはせいぜい25パーセント。とくにミニシアター単館公開の邦画は、わたしはほとんど観ておりませんね。 それでも、観た作品の評に限って読んでゆくと、その分析は鉈で薪を割ったような小気味よさ。社会学、哲学の語彙が頻出するので、浅学なわたしには、しばしばおいてけぼりをくらっているような感覚もあるのですが。

今後、ひとつ旧作映画を観るたびに、この本で著者の分析を確認する、という読み方になりそうです。


そろそろこの近況(日記)を、新しいブログ・サービスに移そうと計画していたのですが、いくつかまだ納得できていない機能その他もあって、完全移行に踏み切れません。ちょっと悩むな。 
チャンネル北国tvについては、ブログ名を変えました。『干し草通信Web版』、主に北海道の話題を取り上げます。

2004年8月30日(月)
仕事場に復帰

28日、夜、函館。酒席。
29日、昼、函館。講演。

29日夜は札幌。
旧友M、『EastSide』の編集さんMさんとで食事。
美園にある南欧料理店のTAPISA。ここは彫刻家、舞台美術家の長崎歳さん(紋別にもいたことがある)がオーナーのレストランで、民家を改装した建物も素敵です。友人はこのホームページの記述を読んで、じゃあ札幌でもうまいのを食べさせてやろうと、事前にパエリアを注文しておいてくれた。メニューにはない品。長崎さんは、しばらくやってなかったのだけどと言いながら、シーフードのパエリアを出してくれました。さすが本場仕込みのものでしたな。

最初の皿は、土鍋で作ったトマトソースのパスタ。オリジナルだそうです。クリスマス時期の特別メニューとしてつくたところ大好評で、年中通しての人気料理になったとか。カリカリに揚げたエビがおいしかった。

食べながら、Mさんと『EastSide』のマーケティングについて語り合う。わたし自身もファンの雑誌ですので、もっと多く売れたらよいと思う。とくに首都圏で。いや、じっさい、道内の書店でよりも、むしろネットで売れている雑誌なのだとか。しかもバックナンバーにも注文が途切れない。こういう雑誌ってあるのですね。

アイデアなど出し合い、協力を約束。

30日午後、仕事場戻り。
台風のせいか、当地も雨。ただし、きょうは満月だろうか。夜の雨空は明るい。


『宮崎アニメの暗号』(青井汎、新潮新書)
宮崎駿のアニメ作品『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』の三作品を取り上げ、作品に隠された「暗号」を読み解こうとする試み。『となりのトトロ』が『ミツバチのささやき』というスペイン映画(佐々木は未見)に影響されて作られた作品、という指摘にはふんふんとうなずけるのですが、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』についての論考は、正直言ってよくわかりません。この二作品を、佐々木は一回ずつしか観ていないせいもあるかな。だけど、あえてもう一度観たいという気にもならないしなあ。

どうであれ、筆者は『もののけ姫』を宮崎アニメの頂点と評価しつつ、同時に(この作品で)「終わった」とも書いています。わたしも、『千と千尋』については、宮崎駿がやり過ぎてしまったのではないか、という印象を持つのだけど、こんどの新作はどんな作品なのでしょうね。『千と千尋』路線をさらに突き詰めたのでしょうか。それとも、戦略的後退を選んだのでしょうか。


録画しておいた映画(たぶんテレビ用)『キャリー2002』(デビッド・カーソン監督)を観る。
スティーブン・キング『キャリー』のリメイクです。デ・パルマ版とちがって、構成は原作にほぼ近い。惨劇が終わったあとの謎解きの過程が、映画のストーりーとして語られる。ただし、ラストはコンテンポラリーなものに変っておりました。主演の女優さん、アンジェラ・ベティスが牧瀬里穂にそっくり。

そういえば、倶知安町で昔、映画館が火事になり、観客2百人以上が焼死するという大事件があったのです。倶知安町にいたころこの事実を知って、お、キャリーだ、と思ったものでした。

2004年8月27日(金)
きょうは2行だけ

体調、ひどくならずにすみました。

明日から二日間、近況の更新はいたしません。                

2004年8月26日(木)
ダウン

『駿女』第3回ゲラ戻し。

New Type Magazineの質問に答える作業。どのくらいの「深さ」で答えればよいのか、直接のインタビューではないので、若干とまどいます。


ダウンです。
この数日来、腰から下が冷えている感覚がありましたが、きょうは全身が寒い。風邪を引く直前のような体調でした。なんとか身体を温めようと、昼過ぎに近くの温泉まで走って、汗をかくまでお湯に。帰ってきてから、散歩がてらのウォーキング。そのあとカウチでうとうと。
まだ冷えている感じは残っています。今夜もこのあと、眠る前に長湯が必要だな。

頭を使うこともちょっとつらいので、 ぐったりしたままDVDを観る。『HERO』の飛ばし観。
『LOVERS』も観たい。ジャン・ズィイー、金城武、アンディ・ラウだなんて、なんと豪華な出演者。

日中韓の俳優や技術者たちが、自然に相互乗り入れして映画を作っているといういまのこの状況って、とても好ましいものに感じられます。マーケティングですよ、という見方もできますが、そのような市場ができているということがそもそもたいへんなことだと思う。「日帝打倒」「民度が低い」どちらもすでに、マーケティング上は無視していいだけの勢力でしかないということでしょう。

2004年8月25日(水)
アメリカのおたくから

『面白南極料理人』(西村淳、新潮文庫)解説送り。
『追及・北海道警察「裏金」疑惑』(北海道新聞取材班、講談社文庫)書評送り。
『駿女』(web小説中公連載)第3回ゲラ直し。


『Zero over Berlin』について、New Type Magazineからの質問の中に、松本零士『コックピット』の影響を問うものがありました。アメリカのおたくも、深いぞ。


運動不足の影響がはっきりと身体に出てきています。腰から下が冷えている。血のめぐりがよくありません。アブもいなくなったことだし、ウォーキングだけでもきちんとやらなければ、と、決意。

先日ラ・ベルジネで食べた鶏のワイン蒸し焼き(カチャトーラ)がおいしかったので、これの再現に挑戦。シメジの代わりにエリンギ、フライパンを使うのではなくダッチオーブン。トウガラシが隠し味。なかなかの出来でした(と自画自賛)。写真を撮っておけばよかった。新しいレパートリーです。

『面白南極料理人』を読んだせいか、このところ、料理について書かれたエッセイをもっと読んでみようという気持ちになっています。檀一雄と開高健、東海林さだおなどの、いままで読んだことのなかった本をいくつかAmazonで注文しました。
もっともわたし、ふだんはコーンフレークに牛乳でとりあえず空腹感をごまかす、という食生活なのですが。

2004年8月24日(火)
書評に難渋

『追及・北海道警察「裏金」疑惑』(北海道新聞取材班、講談社文庫)書評原稿。
さして長いものではないのですが、ちょっと難渋。

この文庫と合わせて読むといっそうよく問題の所在がわかる本が
『警察幹部を逮捕せよ 泥沼の裏金作り』(道新取材班、宮崎学、大谷昭宏の対談。旬報社)

6月1日の刊行です。この本の中では道新取材班も、ここまで言ってしまっていいのかという情報のさわりを、いくつも口にしています。これからの報道がじつに楽しみ。
それにしても、この対談を読むと、出席者それぞれの信念もジャーナリストとしての質もはっきりわかる。大谷昭宏って、警察情報に詳しい、ってだけのように感じました。

このふたつの本に明らかにされていますが、道新は、稲葉事件のときはやはり、完全に腰が引けた報道だったのですね。わたしは事件発覚前から道警の取材を始めていたけれど、これほどの事件が起こったのに道新はどうしてこんなふうに淡々と報道するのだろうと不思議だった。乱暴に要約してしまえば、稲葉警部個人の犯罪で幕引きをはかろうとする道警の意図を、当時の道新の道警担当責任者が引き受けた、ということだったのですね。裏金疑惑取材班は、あの報道を反省するところから出発している。応援したくなります。

疑惑発覚のとき、北海道の民主党は、内部文書が洩れたこと自体が問題だと、道警側に立って事件の封じ込めをはかったらしい。世論の動向を見てあわてて軌道修正。大問題が起こっているのに、「告げ口って、よくないと思います」なんてとんちんかんなことを言い出すやつが、小学校にもいました。


アメリカのNew Type Magazineという雑誌から、『Zero over  Berlin』に関して著者インタビューの申し込みがあったそうです。Vertical社からの連絡。eメールでやりとりすることになります。
知らない雑誌でしたが、日本のアニメなどをよく特集するおたく系の雑誌で、特定の層にはとても影響力があるのだとか。あの作品、アメリカの松本零士ファンとか、宮崎駿ファンにも受け入れられたということでしょうか。


きょう、この町の町長選挙と、町議会議員選挙が始まりました。
例の合併問題に関しては、この選挙が事実上の「民意を問う」手続きとなるようです。
たぶん合併推進を主張する議員たちが多数派となるのでしょう。というか、そもそも合併に異議を申し立てている議員さんはいるのかな。

合併が避けられないとなると、気になるのは合併後の新市名(羊蹄山麓の町村とはちがって、ここはあくまでも「市」になろうとしている)。
きょう、やはり町名変更を考えていた斜里町の町民投票の結果が発表されていました。斜里町は改名せず、です。「知床を斜里町が独占してはいけない」という斜里町長の発言はとても良識があって、好ましい。斜里町長は同じように「知床」を新市名としないようこちら側にも要望しているのですが、当地の町長は言っている。「理解は得られたものと思っていた」


つまり、当地は「知床市」に向かってまっしぐらということのようです。斜里が「知床町」を名乗らない以上、こちらが「南知床市」と遠慮がちに名乗ることもなくなったのでしょうね。

知床半島が世界自然遺産に登録されそうだからと言って、これってかなりのところで「産地偽装」に近くないだろうか。羅臼町はたしかに知床半島の南半分にありますが、当地中標津まで知床を名乗るのは無理があります。それに、中標津、という町名に、みなさん何の愛着も誇りも感じてこなかったの? 中標津をブランド地名にするよう、どんな努力をしてきたの?と聞いてみたくなる。

合併後は、中標津、羅臼どちらの地名も新市名にしない、という新ネーミングについての原則はたしかに正しいでしょうが、「知床市」になるべく、「中標津」を捨てる日を待っていたという印象もあります。

空知のほうの3町村は、合併後の名を「東札幌」とするとか。
札幌の行政域に接しているわけでもないあのエリアが「東札幌」を名乗るのは、偽ロレックスを売る行為と同じです。いっそ北六本木とか、空知軽井沢とでも名乗ればいいのに。

2004年8月23日(月)
一枚板で何を作るか

『追及・北海道警察「裏金」疑惑』(北海道新聞取材班、講談社文庫)
想像していた以上のボリウム。自分の仕事に直接関わってくる資料だという思いがあるので、精読しています。おかげで、なかなか進まない。


午前中、近所の友人たちと一緒に、製材工場へ。その工場が昔から集めているという幅の広い板を見せてもらいに行ったのです。
最近は林産資源もやせてきており、この地方でも、昔のような大木がとれるわけではありません。だから、家具用の板もどんどん貧弱になってゆく。一枚板で作るテーブルなんて、いまは夢の話。だけど、その工場の倉庫にはまだ多少眠っていると聞いて、そういう物が好きな男3人で、行ってきたのでした。

ナラやカツラ、カバ、センなどのいい板がけっこうありました。値段を聞いてみても、想像していたほど高価ではない。でも、家具屋さんに持ち込んで何かを作ってもらうとなると、きっと板の10倍くらいの値段の品になってしまうでしょうね。

カツラの厚板で、お酒を飲むときのためのカウンターとか、少し低めのダイニング・テーブルなんかを作るといいだろうな。一回町でお酒を飲むことを考えたら安いものですし、いまとくに使い道が決まっていなくても、あの板、買っておこうかな。


夕方で本を読み続けるのもあきらめて、ブログで遊ぶ。開設準備中のDIONのほうのブログのデザインを、なんとか少しでもカスタマイズしようと、真剣に取り組んでおりました。 とくに、文字の大きさと字間・行間については、出来合いのデザインではどうしても我慢ができない。悪戦苦闘して(どの文字列をどうするとどう変るのかもわからない)、なんとか自分が望む文字づらを、画面に出すことに成功です。プログラミングなどできないわたしには、けっこうな達成感。 

「カフェ&バー旧店舗」(北国tvのほう)の名前を変えてみました。新しい名は「干し草通信web版」
北海道新聞でも地域の話題を書く「干し草通信」を連載していますので、そのインターネット版ということで。

2004年8月22日(日)
『MUSA』を観た

『南極面白料理人』(西村淳、春風社)の新潮文庫版解説やり直し。

きょうは、地元の競馬場で、年に一度の草競馬。
知り合いの削蹄師さんも出るし、少しだけ観戦に。削蹄師さんは、トロッター種の馬のトロット・レース(速歩の競走)に、カイヨウビジンという名の馬で出て、見事一等でしたね。

いまや日本では、トロッター種の馬を使った繋駕レースはこの地方だけしかないということで、NHKが取材にきていたそうです。いつ放送になるのかな。


『MUSA』(武士)を観る。キム・ソンス監督の韓国映画。
どうしても先日観た『天地英雄』と比較してしまいます。

ときは14世紀、西域に流刑される途中で置き去りになった高麗人たちが、数千キロ彼方の故郷高麗を目指す。これに明の朱元璋の娘や漢族難民を、無事に明の版図まで連れてゆくという話が加わって、しかしモンゴル軍も執拗に朱元璋の娘を追い狙う、というストーリー。ラストは渤海湾の浜辺の古城の攻防戦。

原典はクセノポン『一万人の退却』でしょうね。中央アジアの奥地で、ギリシア人傭兵軍団が取り残されたけれど、彼らは犠牲者、脱落者を出すことなく、無事、故郷に帰り着いたという話。これプラス『七人の侍』。

朱元璋の娘の役を、お気に入りジャン・ズィイー(Zhang Ziyi チャン・ツィイー)。わがままで気の強いお姫さまの役を、けっこう楽しんで演じています。彼女に片思いする高麗軍の隊長が、木村拓哉似のチュ・ジンモ。槍の名手で、お姫さまに一方的に惚れられる暗い奴隷の役を、チョン・ウソン。『グローリー』のモーガン・フリーマンみたいな儲け役は、アン・ソンギ。
ズィイー以外の俳優の名は、いま勉強したばかりです。

この作品も『天地英雄』に似て、設定は面白いのだがなあ、という映画でした。同じような戦闘シーンが繰り返される(という印象の)せいで、ひとつひとつのボルテージが低いのですよね。整理していくつかのシーンを統合したら、印象はかなり変っていたと思うのですが。 
また妙に20世紀的ないくつものヒューマニスティックなエピソードも、この映画の場合、わずらわしい。

細かな演出では、モンゴル軍の城攻めのシーンで、梯子の使い方がユニークだった。壁に立てかけるのではなく、壁を駆け上げる兵士を後押しするために使う。単純だけど、じつに効果的な使い方です。これまで映像で観てきた使い方が誤りだったのかもしれないという気がします。

 中国古代スペクタクル、もっと観たい。 

2004年8月21日(土)
静かな土曜日

『面白南極料理人』(西村淳、春風社)の新潮文庫版解説原稿にかかる。
解説なので、ちょっと気合が入り過ぎか。明日やりなおし。

『追及・北海道警察「裏金」疑惑』(北海道新聞取材班、講談社文庫)
某紙書評のため読み始めたのですが、単に連載をまとめた本ではありませんでした。取材報道の経緯の詳細な書き下ろしレポートです。原稿用紙で1000枚近くはありそうだな。

「海外ボツ!News」で読みました。 リンクしないまま書きますが。
ジャン・ズィイー(チャン・ツィイー)が、「Memoirs of Geisha」(邦題は『さゆり』)で、主人公の芸者・さゆりを演じるのだとか。これは、観たくないな。

小雨が降ったりやんだりの土曜日。ひとにも会わず、来客もなく、静かな日でした。

2004年8月20日(金)
極上の区切り

台風通過。昨夜から雨でしたが、午前中強い雨。午後も引き続き。Tシャツではちょっと涼しいという気温。

『幕末・技術官僚の系譜』第3回、再校ゲラ直し。
『駿女』第3回、手を入れてメール送稿。

今週は1日13枚ペース。ややきつい。昨夜は頭が熱をもったままで、熟睡できませんでした。

午後から、久しぶりに仕事場の清掃。クリーナーだけはかけていたけど、もう本やら新聞やら紙屑やらが散らばって、仕事場の中はほとんどゴミ屋敷の様相です。野焼き禁止がきつく言い渡されており、ゴミ収集のシステムも変って、新聞・雑誌もリサイクル・センターに持っていかないと引き取ってくれない。それも、このところゴミが増える理由のひとつ。

いくつか連絡。例の半官半民の団体にも、原稿は書けませんとお断りのファクス。ほかにもまだ書かなければならない手紙があったな。来週まわし。
auの携帯電話の件、営業所から電話。症状は再現できなかったけれど、中のパーツは全部交換しましたとのこと。受け取りに。

夜、地元の声楽家・飯田由美子さんのソプラノ・リサイタルがある。これを区切りの目標にして、仕事をしておりました。きょうまで11日間のお酒断ち。

飯田由美子さんは、一昨年のフランスのジェーム・シャンテ・コンテスト最高賞を受賞したほどのひと。そんなに実力のあるひとが、地元の中学校の音楽の先生なのです。豪華な土地柄でしょう。去年は、ミニ・コンサートを含め、合計で3回聴かせてもらった。

きょうのリサイタルでも、聴いているあいだに、自分の顔の強張りがなくなってゆくのがわかる。脳味噌の角質化している部分がどんどんほぐれてゆくという感覚もありました。よかった。 

リサイタルのあと、イタリア歌曲を聴いたときはやっぱりイタリアンでしょうと、友人たちとラ・ベルジネ。店に行ってみると、飯田さんたちも関係者さんたちとベルジネで打ち上げとのことで、わたしたちが盛り上がっているころに、みなさんもやってきました。

生ハムとメロン。生エビ。カルボナーラとイカ墨のパスタ。チキンの白ワイン煮。それにキャンティ・ワイン。こっちも、よかった。

きょうは、極上の「区切り」の日でしたね。

金曜日のせいか、いつもお願いしているヘルパーさん(代行運転)が予約で一杯。深夜1時まで空かないとのことなので、べつのヘルパーさんを頼んで帰宅。

2004年8月19日(木)
集中していた証拠

『駿女』第3回分終了。予定していた場面までは行きつけなかった。
かなりの勢い、フルスロットルでした。この数日、カリカリすることが多かったのは、それだけ集中できていたということかな。明日手を入れて、午後にはメール送稿できるでしょう。そういえば、この地方、明日午後から台風の影響下だったっけ。

北海道新聞の書評用の本がなかなか決まりません。新聞紙上で万人に紹介するのにふさわしいノンフィクションって、なかなかないのです。いや、万人向けと条件がついているわけではないのですが、『主婦AV女優』とか、『アダルト・メディア・ランダムノート』なんていう本は、やはり日曜の朝刊には不向きでしょう。だから、提案を自己規制してしまうのですね。

『日本式サッカー革命』は面白かったけれど、サッカーに門外漢の(類書も読んでいない)わたしが紹介してはならないと思うし、『街場の現代思想』は読み違えていそうな不安も少しあって、紹介原稿を書くにはためらいが出ます。資料として読んでいる警察関係のノンフィクションは、読んだことを大きな声では語りたくありませんし。

Amazonでまた注文するか、と書いて思い出した。来週は書評と文庫解説がありました。

2004年8月18日(水)
街路の知恵

『駿女』続き。


きょうもカリカリすることがあって、昼間この近況の下書きを書いたのだけど、12時間たつと、さすがに冷静になりました。気持ちが収まったわけではなく、損得が計算できるだけの判断力が戻ったということです。だから下書きは、アップせず(PCの奥に封印)。でも、この気分のほうは、どう処理しようかな。


『街場の現代思想』(内田樹、NTT出版)
この著者の本は『映画の構造分析『(晶文社)に続いてこれが2冊目。
英語にstreet brainという言葉があります。街路の頭脳。リオデジャネイロあたりの大都会に生きる孤児なんかが身につけているにちがいない実際的な知恵のことですね。たぶん本書のタイトルも、この言葉を意識していると思う。現代人が生きているその現場の悩みの、きわめて実際的な人生論的考察です。深い中身を、軽妙な語り口で説いています。

第一章が一番刺激的です。ここで著者は、いまや日本が二極分解していること、階層化がたいへんな勢いで進行していることを指摘します。この数年、多くの論客たちが危機感をこめて語ってきたことです。著者はその階層社会化に異議を唱え、文化的総中流化によって、日本をいま一度流動性の高い社会に変えようと提言する。

それができるかどうか、著者はそのパラドックスについても冷徹に分析しているのだけど、わたしはもうその可能性も消えていると感じます。著者が大学教授で、とりあえず周囲には文化的中流階層を身近に多く見ているから、その可能性を主張できるのではないだろうか。大学キャンパスではなく「街場」を歩けば、この階層社会化の進行に対して、もう手遅れ、と感じることのほうが多いような気がします。

宝島が「80年代はスカだった」というムックを出したのは、80年代の終わりでした。そのムックの中にフリーター存在についての分析があって、その筆者(ごめんなさい、いま本がみつからないのでわからない)は書いていたはずです。フリーターとはこの階層化社会に於ける、一発逆転狙い層のことであると。ちょっとうろ覚え。

でももう、いまのフリーターに、一発逆転の幻想などあるのだろうか。最近の階層化分析の多くは、フリーターがいまや家庭すら持ちえない最貧困層予備軍として固定化されることを懸念しています。その懸念はたぶんすでに、現実のものになってしまっている。


昨日の『文筆生活の現場』同様、就職近い大学生が読むべき本かな。

ふといま気がつきましたが、このところ『現場』という言葉の入った本のタイトルって多くありませんか。「街場」はそのバリエーションですね。

2004年8月17日(火)
12人のフリーランス・ライター

『駿女』続き。


ブログの件で、チャンネル北国tvのSさんとメールでやりとり。チャンネル北国tvは、日本でたぶん最初のブログ・サービスです(はてなとほぼ同時だったろうか?)。 ですから昨年末ころまでは、マスメディアがブログについて紹介するときは、必ず北国tvを取材していた、という記憶がありますが。
でもその後、ブログはインターネット関連サービスの一大事業となって、大手が続々と参入、北国tvは、先駆者なのにあまり取り上げられることもなくなってしまった。

ただ、ネーミングからも分かるとおり、北国tvさんも、これを全国規模で大手資本と対抗できるサービスに育て上げられるとは予測していなかったのでしょう。きょうのやりとりでは、こんな記事を教えていただきました。これが北国tvさんが目標としていたものの具体的な姿ということですね。

わたしは「ニューヨーク日記」を書く必要があって、当時不安定だった北国tvさんからexciteにサイトを緊急避難させました。でも、exciteのほうは試験運用の結果も思わしくありません。せっかくわりあい早い時期に北国tvさんでサイトを持ったこともあり、地域性のある記事のためのサイトとして、北国tvのサイトはこのまま生かそうと思っています(名前は変えるかもしれません)。今後システムも強化、機能拡充もなされるそうです。

その場合、DIONのほうには、日記の部分だけを完全に移行させることになるかな。


『文筆生活の現場 ライフワークとしてのノンフィクション』(石井政之編著、中公新書ラクレ)
フリーランスのノンフィクション・ライター12人による、ノンフィクション・ライターという職業についての生々しいガイダンス。ノンフィクション・ライターという職業に興味を持った大学生が読むべき本かな。
一部書かないひともいますが、12人のうちの多くが、自分の年収を明らかにして、職業としての大変さを証言しています。

この大変さは、フィクション・ライターにとっても、決して他人事ではありません。小説家だって、みんな(四文字自主規制)みたいな生活をしてるわけじゃないのですから。でも雑誌などがひんぱんに一部ベストセラー作家のセレブな私生活をグラビア紹介したりするものだから、世の中には何か大きな誤解ができている。わたし、小説の新人賞がこれほどに増えて、一年にデビューする新人がこれほど多くなったということが、信じられないのです。若いひとにだったら、同じ才能を生かして、もっと稼げる業界だってあるだろうに。

ずっと以前、たぶん「ニュージャーナリズム」という言葉がよく使われていたころ、柳田邦夫氏とゲイ・タリーズが雑誌で対談した。ゲイ・タリーズは、「汝の隣人の妻」を出したばかりのころだったろうか。
このとき柳田邦夫が、日本のノンフィクション・ライターにとって、仕事をするための経済環境はとても厳しいということをもらした。ゲイ・タリーズは不思議そうに訊いていました。「日本には、ペンクラブはないのですか」

本書でも烏賀陽弘道さんが書いていますが、アメリカにはノンフィクション・ライターの仕事を援助する基金のような制度が数多くあって、ノンフィクション・ライターはこれを使って、いわば生活の心配をすることなく、取材・執筆ができるらしい。日本にももっと、と考えてしまいますね。

2004年8月16日(月)
見上げれば秋の星空

きょうは星空がきれいです。天の川がくっきり。秋の夜空ですね。


午前中、スーパーマーケットで買い物。そのあと、auの営業所へ。

買い換えた携帯電話ですが、ときどき着信音が鳴らないことがある。でも、ふと気がつくと、しばしば着信ありの表示。最初のうちは、自分が着信音に気づかなかったのだろうと思い、あるいは電波の圏外のせいかなとも思っていたのですが、この町の市街地でも東京でも同じことがひんぱんにある。

友人に目の前でかけてもらってみたら、やはり着信しないときがあるのですね。2回に1回、あるいはそれ以上の割合で。ディーラーさんにみてもらったところ、どうも機械の不具合だということで、きょうauに持ち込んだのです。メモリーを移して、べつの携帯電話を貸してもらいました。カウンターのお姉さん、さして不思議そうな顔もせずに受け取ってくれましたので、これは案外、よくあるトラブルだったのだろうか。

『駿女』(Web小説中公連載) 第3回にかかる。今回は、源頼朝自身が大軍勢を率い、白河の関(当時は、関所自体は廃止されていた説を採ります)を越えて、奥州に攻め入るところまでの予定。
視覚的なイメージとしては、映画『ローマ帝国の滅亡』で、版図内各国に大動員をかけたローマ帝国軍がガリアに攻め入る情景なのですが。

頼朝の奥州征伐(奥州合戦=藤原氏攻め)では、最終的に頼朝軍は28万4千騎の軍勢であったと記録(吾妻鏡)にあります。にわかには信じられない数字なので、このあたりの「吾妻鏡」の文章の解釈にはかなりの想像力が必要です。それでもこの奥州合戦が、もしかすると、たとえば源平の合戦の終盤あたりを上回る規模の戦役だったのではないかという印象は否定できません。都から遠く離れた土地での戦い故に、平家物語のような豊饒な物語は伝えられていないにしても。だからこそ小説家の出る隙間もあるのですが。


ちょっと疲れ気味。

2004年8月15日(日)
切り換えのドライブ、ドライブの切り換え

午前中、『うたう警官』
お昼で切り上げて、気持ちを『駿女』に切り換えるためのドライブ。
どこかで昼飯をと思ったのですが、このあたり、半径30キロ圏内では、ヘイゼルグラウス・マナーか、ペンションのグリーングラスぐらいしか、いいレストランが思い当たらない。町なかのベルジネは、お昼は営業していないし。というわけで、あてどなく近辺を走り、けっきょく空腹に負けて標津町サーモンパークのレストランで、ルイベ定食。ま、『うたう警官』への集中力はとりあえず切れましたが。

次いで『駿女』にかかるため、ドライブを切り換える手続きとして、『ブレイブハート』を観る。メル・ギブソン監督・主演。12〜13世紀のスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスを描いた歴史スペクタクル。たしかアカデミー作品賞を取りましたね。

この映画を検証するBBCの特別番組を観たことがありますが、前半のスペクタクル・シーン「スターリングの戦い」の実際は、この映画で描かれたものとはそうとう違っていたそうです。映画では、原野で英国・ウォレス両軍が真正面からぶつかった野戦ですが、史実では、英国軍がスコットランドのスターリングの石橋を渡っているとき、ウイリアム・ウォーレスの軍勢が側面から奇襲したというものだとか。

メル・ギブソンが史実通りに描かなかったのは、適当なロケ地がなかったからでしょうか。会戦二回目の「ファルカークの戦い」も視覚的にはよく似た雰囲気で、対比の妙がありませんでしたね。「スターリングの戦い」を史実に近づけて描いたほうが、映画としてもメリハリがついたことでしょうに。

映画では、英国王エドワードが、英国貴族をスコットランドに封じるため、スコットランドで領主の初夜権を復活させます。これがスコットランド蜂起のきっかけとなる。これって、史実なのだろうか。なんとなくこの部分は、微笑してしまうところ。

ソフィ・マルソーが、フランス王室から英王室に嫁いだ王妃を演じます。彼女はずっとお姫さまファッションで、けっして「戦闘美少女」ではないのですが、最後に彼女が女として、とある戦いに勝ったことが明かされる。これは絶対に映画のオリジナル・アイデアでしょうね。

  
きょうは夕方から天気が急速に崩れて、雷雨。雷が収まったあとは、かなりの大雨。
今年の夏は、晴れれば猛暑、降れば雷雨。黒沢明の映画のようです。

講演会のお知らせ。
とき/2004年8月29日(日) 午後1時から3時まで
ところ/函館市芸術ホール
主催/高文連道南支部文芸専門部
共催/函館市文化スポーツ振興財団(函館市文学館)
後援/函館文化会 函館の文学と音楽の会
入場無料

高校文芸部の団体の主催で、文芸部所属の高校生を対象にした講演です。でも一般にも開放するとのことなので、お近くにお住まいの方、興味があればいらしてください。
テーマについて主催側の要望は、「文学と関わる若いひとへのメッセージ」というもの。文芸部の高校生が聴衆のメインということですから、読書の楽しみと、表現する喜びについて、わたしの体験を交えながら語ることになるでしょう。

2004年8月14日(土)
注意。嫌な話題

『うたう警官』続き。

『駿女』のほうも、締め切りが近づきましたと編集担当さんから注意喚起のメール。


『面白南極料理人』(西村淳、春風社、近々新潮文庫入り)
前にここで『南極料理人の悪ガキ読本』を紹介しましたが、同じ著者がそれ以前に書いた第一作。海上保安庁勤務の料理人による南極越冬体験記であり、最高に愉快な料理エッセイ。

春風社という、失礼ながらマイナーな出版社から出た本書は、このほど新潮文庫に入ることになり、わたしが解説を書くことになった。それで新潮社から親本を送っていただいた次第。こういう「本の成長」って、読者にとってもうれしいことですね。出世魚、と呼びたくなる。それが当然と思えるだけの面白い本です。

『追及・北海道警察「裏金」疑惑』(北海道新聞取材班、講談社文庫)
こちらは某紙に書評(紹介)を書くことになりました。届いたばかり。まだ中身は読んでおりませんが、北海道新聞紙上で連載されていたものをまとめたものですね。連載のほうは読んでおりました。


以下、自分でもこんな話題は書きたくないという話なのですが。
半官半民の某団体から、わたしの趣味にまつわる原稿依頼がありました。機関誌掲載の原稿とのことです。この団体、電話では原稿料のことは一切言わず、一方的に頼みを言ってくるだけ。いやな電話だと思ったので、まず要件を書面にしてください、と答えたら、このほど正式の原稿依頼書が届いた。でも原稿料については、「当会規定の原稿料を支払う」と書いてくるだけ。ひどく官僚的。

規定があるなら、どうして金額を明示しないのでしょうね。わたし、非商業誌がさほど原稿料を出せないことは承知しているし、これまで原稿料が安いことを理由に原稿を断ったことも一度もない。ただし、ビジネス常識がないと判断した相手から逃げたことは何度もあります。確実に不愉快なことになりますから。その意味では、原稿料の話をきちんとしてくれる相手かどうかというのは、初めての仕事相手を判断する一番の材料です。

よく誤解されていますが、書き手に原稿料を提示しない、というのは、けっして出版界の商慣習ではありません。大手出版社ほどしっかりしている。わたしの場合、長いつきあいであえて出さなくてもわかるという場合がほとんどですが、それでも編集部によっては、一件ごとにきちんとした原稿依頼書を出してくれます。

いま、この余裕のないときに、わたし、対価も知らずに本業とは関係のない原稿を書いているわけにはゆきません(『うたう警官』の担当編集さんが激怒する)。こんな頼みにつきあっている義理もないのです。これが通じると信じている、こういう団体の編集部の頭は謎です。


先日、西川栄明さんと話したとき、「ときどきホームページにきついことを書いていますね」と言われました。そうなんです。読んでくれているひとは、無茶は言ってこない。読んでいないひとに限って、困ったことをしてくれる。だから、鬱憤晴らしの意味もあって、どうせ読んでいないんだろうと、書いてしまうのですが。

きょうはわたし、ほんとに余裕がないな。


昨日書いたブログ・サービスの件、8月2日から、わたしがホームページを置いているDIONでもサービス開始でした。ホームページ連動。となると、あえてブログをよそに持つ必要もありませんね。

2004年8月13日(金)
設定に拍手

『うたう警官』続き。

きょうは町で花火大会でした。花火を見ながらおいしいものを食べようという集まりに誘われていたのだけど、残念、不参加です。


『ヘブン・アンド・アース 天地英雄』、早起きして観ました。
設定はとてもいい。わたしが資本家なら、この企画には喜んで出資するでしょう。
だって、『西遊記』『ロード・オブ・ザ・リング』『七人の侍』『駅馬車』ですよ。

まずベースは、天竺から唐の長安へ仏舎利を運ぶ僧侶と、これを守る男たち、という物語。この仏舎利は、唐による仏教国支配のための強大なシンボルであり、超自然的なパワーを持っている。ね、リング、でしょ。

男たちがこの困難な旅に参加する理由はさまざま。
唐軍の兵士は強い公務員倫理から、李(主人公、チアン・ウェン)は兵士に命を助けられた恩義から、李のかっての部下たちは友情と忠誠心から、老人はカネ(契約)、少年は未熟な自分を引き立ててもらった感謝の念から、それぞれ護衛仕事をまっとうしようとする。

中井貴一は、皇帝から李の処刑命令を受けている。任務完遂の暁には、故国日本に帰る許可が出る。中井貴一は西域まで李を追って斬ろうとしたのだけれど、そこにこの仏舎利移送の話。長安まで届けたら斬られてやる、という李の言葉に動かされ、中井貴一も護衛に加わることに。

この一行に繰り返し襲いかかるのは、馬賊と突厥人の騎馬集団。

というこの設定を聞くだけで、わくわくしてきませんか。
なのに映画は、なぜかつまらないのです。語り口は明らかに下手だな。映画館で観たなら、わたしはたぶん熟睡したでしょう。そもそも全体の四分の一くらいまで、物語が西へ向かう話なのか東へ向かう話なのか、わからなかった。

『少林サッカー』の炎のゴールキーパー、ビッキー(ヴィッキー)・チャオが仲間うちの紅一点、お嬢さま役で出ています。とても可愛い。でも、ラストの砦の攻防戦でせっかく鎧を着ているのに、その戦いぶりは全部合わせても30秒も映らないのです。もっと見せてくれたらなあ。

次は、ジャン・ズィイーの出る『MUSA』を観よう。


この日記を、ブログ・サイトに移そうかと考え始めています。
先月の「ニューヨーク日記」の試験運用で、旅行先でも日記(近況)を更新することがあるなら、もうブログにするしかないとわかりました。いちいちホームページ作成ソフトを立ち上げないですむので、PCが別でもいい。また「日記」と「掲示板」のサイトの使い分けも、そろそろ意味がなくなってきたような気がします。

ホームページは、「武揚伝ノート」のような、仕事から派生するまとまった情報の発信とか、作品リストのような基本的なデータの置き場として使うのが、たぶん特性にかなっている。

とはいえ、自分ではブログを構築できませんので、ブログ・サービスを使うことになります。
現在は試験的に「北国ch」と「Excite」を使っていますが、このところブログ・サービスも増えてきたので(マイクロソフトも参入とか)、最終的にどこを使うか迷います。

北国chは、トラブルに対して対応が最高にいい。無料なのに容量無制限というのも魅力。重くてなかなかつながらないというトラブルも、もう起こらないでしょう。ただ、コメント拒否、トラックバック拒否の機能がないのですよね。正直なところ、日記にコメントは欲しくない。

Exciteは、画像のアップでトラブルがときどき発生。トラブルに対して、Exciteは受付窓口を開設しておらず、掲示板でなんとかするしかない。「偉そう」です。顧客志向がない。わたしのブログでは、いまだに解決していない問題がひとつあって、これが解決しない限りは、使い続けるのはよそうという気持ちです。

ココログは、「週刊!木村剛」という強力名物ブログがあるし、ブログ・サービスでは最大勢力でしょうか。機能も使いやすそうです。自立できないときは大勢に従え、という我が家の代々の家訓から考えれば(嘘)、ここかなとも思います。有料ということは、文句も言える、ということでもあるし。

Livedoorのブログ・サービスも、機能面ではきめ細やか。サムネール作成機能というのがあって、デジカメで撮った写真を、サイズ変更の処理をせずにアップできます。これは楽でしょうね(ココログにもある)。 
ただ、ここはサービス開始当時、ユーザーに対して著作権の放棄を求める利用規約を定めていた。苦情があってすぐこの規約を改正しましたが、その社風にちょっと不安を抱かせます。 

ともあれ、とりあえず『うたう警官』脱稿のあたりを目処に完全移設。
何かアドバイスがあれば、ぜひメールを。

2004年8月12日(木)
ちょっと根を詰めた日

世間はそろそろお盆休みでしょうか。

『うたう警官』続き。きょうは少しはかどったか。

先日、DVDの『天地英雄』を借りてきたのです。準新作で、3泊4日480円。
中井貴一が遣唐使の役を演じる中国唐代を舞台にしたスペクタクル(らしい)。
明日が返却日なのだけど、まだ観ておりません。このまま観ずに返すのも、延滞料金を取られるのも癪です。明日、早起きして観ようかな。

中国史には、いくつかとても興味を惹かれる素材があって、そのうちのひとつは、唐代の歴史上の人物。わたしが知る限り、まだ取り上げたひとはいないようなので、もし書くことになったら、かなりオリジナルなものが書けると安心しております。でも『ららら科学の子』の例もある。あまり呑気に構えていてもよくないでしょうね。
少しずつ資料も集めているのですが、これを書き出すときはきっと、『天下城』のときと同様、一行書いては資料を確認し、また一行書いては史実を調べ直し、ということになるでしょう。

それを考えると、ちょっと手を出すのが怖くなる素材でもあるのですが。

2004年8月11日(水)
缶詰のタイミング

『うたう警官』に復帰。

担当編集さんから電話があって、『うたう警官』今月中に脱稿しませんかとのこと。来月中には、という見通しがずるずると延びてきてしまったので、この問い合わせも当然です。でも今月はもう11日。あと200枚という目算なので、これはちょっときつい。途中に『駿女』50枚も入るし。
でもいったん乗ってしまえば、たぶん最後の100枚は、5日で書き上がるだろうとも予想できるのですが。

再び自主缶詰に入るべきか、とも思うけれども、いまは北海道観光のピークの時期。お盆が過ぎるまで、まずホテルの部屋の確保は難しいでしょう。肝心なのは日常性から切り離されることなので、ホテルでなくても、手頃な施設(空間)があるなら、それでもかまわないのですが。そのあいだ、食事は三食コンビニ弁当だってよいのだし。

こういうシーズンですから、周囲には観光客の車が目立って増えています。スーパーマーケットの駐車場には、いつ行っても必ず、本州ナンバーのキャンピングカーが停まっている。ふと考えたりします。キャンピングカー、悪くないかな。いや、現実的でないのは承知なのですが。


『ロード・オブ・ザ・リング』、原作と映画とを緻密に比較検証したこういうサイトがありました。
これを読むと、映画の制作者は、原作を実に巧く、刈り込んだり、人物を整理したりしながら映画化したのだとわかります。この比較を読んでしまうと、原作を読む気にはなりませんね。

ただ、映画化作品について、気になることをひとつ書いておきたい。美術についてです。それはたぶん、制作者側の無意識の人間観を表してしまっている。
なにより、冥王サウロン側の兵士たちの特殊メイクアップって、否応なく末梢神経マヒの病気の症状を連想させませんか。凶悪、残忍、粗暴、というイメージの具体化が、このメイクアップというのは気になります。また『王の帰還』の、マンモスの上の射手たちは、アフガニスタン人を思わせる衣装でしたし。

もっと言ってしまえば、人類の側がすべて白人、ということにも、居心地が悪かった。『コナン』シリーズなどは、きちんとアジア系も黒人も「人類」として登場しています。『スターウォーズ』もそうです。 でもこちらの指輪シリーズは、最近の映画制作上の留意点をきれいに無視して、完全にアングロサクソン、ゲルマン中心の映画としている。
 

いや、『指輪物語』がそもそもそういうコンセプト(設定)の作品なのだ、と言われてしまいそうです。となると、わたしたちはこの作品に全人類的な普遍性のあるテーマを読む(観る)よりも、むしろここに描かれた世界観と美意識の特殊性や地域性をこそ味わうべきなのでしょう。この作品はヨーロッパ北西部地域の神話が語り直されたものだ、と理解するなら、人類とはすなわちあの顔立ちの白人であってもしかたありませんから。 


先日の書き込みで紹介した某サイト、友人から指摘がありました。有名な総会屋グループのサイトなのだそうです。ああ、なるほどと納得できましたが、わたしは世間知らずでした。

2004年8月10日(火)
雷雨の日には仕事は休む

午後から雷雨。きょうもまたコンセントを抜いて、PC防衛。というわけで、原稿書きの仕事にはならず。切り換えもまだうまくいってないかな。

『定年後をパソコンと暮らす』(加藤仁、文春新書)
PCに関しては背伸びせず、必要なときは初心者用の参考書を買って、用立てるようにしています。先日も、ノートパソコンについての初心者用ガイドを2冊買って、あらためて勉強し直しにかかっているところ。これもその流れで手にした新書。

週刊読売と、そのリニューアル版、Yomiuri Weeklyに連載されたルポをまとめたものです。PCを使うことで豊かな定年後の暮らしを手に入れた人々を取材して紹介しています。PCがあれば定年後もバラ色、と強調するルポですが、やや牧歌的という印象ですね。
また、50代のホワイトカラーで、PCとインターネット未体験者はもうほとんどいないでしょう。定年近い読者を対象に、PC未体験を前提にして、
PCがあればこんな人生が開けますよ、と啓蒙することが、まだ必要なのかな。それともこの連載が始まった当時は、それまでの人生でまったくPCを使ったことのなかった年配ホワイトカラーって、わたしの想像以上に多かったのだろうか。 

刊行は今年の5月20日。となると、もうホームページ作成の話だけではなく、せめて最終章ぐらいは、ブログについて触れてもよかったでしょう。
『定年後はブロガーとなる』を続編として出してはどうだろう。


きょう観たDVD。
『コール』(ケビン・ベーコン、シャーリズ・セロン、ルイス・マンドーキ監督)
これは資料のつもりで観た映画(弁解することはないか)。身代金目的誘拐が素材のサスペンスです。被害者家族ひとりひとりに、犯人グループがマンツーマンで着くというのが、手口として目新しいところでしょうか。でも、犯人グループの動機は怨恨だとわかったあたりから、話がどんどん破綻してゆく。最後は、無茶苦茶に派手な終わりかたなのですが、たぶん観客のほとんどはしらけたのじゃないかな。シャーリズ・セロン好きなら、我慢できるかもしれない。ちょっと酷評ですが。

舞台はオレゴン州ポートランドという設定ですが、撮影はバンクーバー周辺のようです。

それはともかく、世の中で、身代金目的誘拐の手口について、脚本家と小説家ほど真剣に考える人種はいないでしょうね。

2004年8月9日(月)
『王の帰還』を観た

『幕末・技術官僚の系譜』加筆

『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』観ました。
正直言うと(ここでも書きましたか?)、わたし、じつは第一部がよくわからなかった。ま、三部作の第一作ということで、登場人物をとりあえず全部顔見せし、伏線も張っておかねばならなかったせいでしょう。第一作だけでは、何のことやら、というエピソードが多かったのだと思います。わたし自身が、ファンタジーに慣れていなかった、ということも、わからなかった理由のひとつかもしれない。

この『王の帰還』は面白かった。ストーリーがじつにシンプルになっていますし、地理関係も把握しやすい。三部作の中では、一番楽しめましたね。

観ながら、つい考えてしまうのは、こういうCG技術で、日本の戦国もの映画を作れないかということ。
『梟の城』でもCGは多用されていましたが、合成した画面の消失点が合っていなかったり、手前の事件と遠景の群衆とが、全然ちがう時間軸の演出になっていたりと、観ているのがかなり辛かった。でも、きちんとセンスあるひとが監督するなら、CGで戦国合戦絵巻、可能でしょう。


近鉄バッファローズ買収問題で、ライブドアの堀江社長は一躍ときのひととなりましたが、このひとに対する、年配者からの批判って、常軌を逸した激しさですね。先日も書きましたが、共同通信の小池という編集委員が、堀江社長のブログを、スノッブだ、鼻持ちならない、と非難する理由もわからなかった。他人が自分の持つブログで自分の私生活をどう書こうと、それを非難することのほうがおかしいと、わたしは思うのですが。

あの小池さんという編集委員も、記者生活30年以上ということでしたから、堀江社長よりはやはりかなり年上でしょう。とにかく堀江社長が無性に嫌でたまらない、ということだけは理解できましたが。


少し古い記事ですが、こういう記述も見つけました。8月3日の書き込みです。言及される三宅久之氏も、どうしようもない「古いひと」だと思いますが、これを紹介するこのサイトの運営者もそうとうに偏っています。たぶん年配の方なのでしょう。世間の堀江社長非難のこの言葉の激越さは、いったいどこからくるものなのだろう。わたしには、それが疑問。

2004年8月8日(日)
ひきこもりの一日

私用で3日間、仕事場を離れておりました。 

昨日、仕事場戻り。買い物。仕事場の清掃。仕事の件で電話のやりとり。eメール返信。その他の雑用。
夜、近所のお宅に呼ばれて、夫人自慢のパエリアをごちそうになる。
このところ、この地方はほんとうにパエリアが大はやりです。地元の名物料理として、完全に定着しましたね。2年前はサフランを買うのに、120キロ離れた釧路のジャスコまで走らねばならなかった。いまは地元の店でもサフランが当たりまえに手に入ります。先日の生協の料理教室も、あれは地元のひとの希望でパエリアの講習会となったのでしょうか。

きょうはまた暑い日。
仕事場を離れていたあいだに起こった問題で、ちょっと気分が後ろ向きになっており、なかなか回復しない。暑いというせいもあり、終日仕事場に引きこもっておりました。わたしは、自分のこの気持ちの切り換えの下手さ加減をなんとかしなければなりませんね。

『幕末・技術官僚の系譜』ゲラ直し。
北海道新聞コラム『干し草通信』eメール上で直し。
地元「環境ワイズユース大学」の今年度案アイデア出し。


ひきこもって読んでいた本。
『現代日本の問題集』(日垣隆、講談社現代新書)
『アダルトメディア・ランダムノート』(藤木TDC、ミリオン出版)

『日本式サッカー革命 決断しない国の過去・現在・未来』(セバスチャン・モフェット、玉木正之訳、集英社インターナショナル)
これは、Jリーグ発足のころからの日本のサッカーの発達史を、外国人スポーツライターの目で俯瞰した本。もともと外国人を読者として想定して書かれたたノンフィクションなので、わたしのようなサッカーの門外漢にも大変わかりやすい解説書となっています。

日本のプロ野球が、なんとも古い文化を代表する制度であることがわかったいま、逆にJリーグの価値については、あらためて見直されるべきなのでしょうね。サブ・タイトルからわかるとおり、これはきわめてすぐれた日本文化論でもあります(原題は、Japanese Rules)。

横浜フリューゲルスの消滅についての章では、このようなエピソードが紹介されています。
マリノスへの吸収が決まったあと、フリューゲルスの練習の場に、ふだんでは考えられないほどの見物客が押し寄せるようになった。彼らは選手たちに、一緒の記念写真をせがむのだけど、フリューゲルスの山口素弘は断って言った。「みんなはこれまでどこにいたの? どうしてもっと早くから見に来てくれなかったの……?」

たしかサミュエル・フラーでしたか。ヌーベルバーグの監督や批評家たちに高く評価され、フランスに招かれたとき、彼が言ったという言葉があります。「わたしがファンを必要としていたとき、あなたがたはどこにいたのですか?」

本書ではさりげなくしか書かれていないけれども、日本の行政の絶望的なスポーツ音痴ぶりについても、もっと読んでみたいという気になりました。

2004年8月4日(水)
冷却機不調

きょうはまた晴天。最高気温は30度を超えたでしょう。

まったく頭が働きません。『うたう警官』原稿3枚。もうひと頑張りするつもりですが。

週刊新潮タイアップ広告原稿、ゲラ直しを送ろうとしたら、電話の調子がおかしい。
液晶の表示を見ると、とんでもない日付で、とんでもない時刻表示になっています。回線がショートしたか何かという症状。そういえば、昨日、隣町にいたとき、何人かが、落雷のせいで電話が不通となったと話していました。復旧に丸一日かかったとか。あの落雷と停電のとき、この仕事場の電話回線も障害を起こしたのでしょう。電話機の設定、治るのだろうか。とてもダイアルしにくい状態で、何度か失敗した後、とりあえずファックスは送れましたが。

義理のある先輩から、本来断りにくい件で誘いがありました。要旨を聞いたところで、あれこれ理屈をつけずにきっぱりとお断りしたのですが、ちょっと尾を引いてしまいましたね。何時間も自分の言葉を反芻して、こう断ればよかったとか、こう付け加えるべきだったとか、もうどうしようもないことをぐちゅぐちゅと考えてしまった。先方も、わたしが断るとは夢にも思っていなかったようで、驚いて失望している様子。これから、気まずくなるかな。

せめてeメールで事前の打診があれば。こんな日に、ちょっと恨めしい。

思わせぶりな書き方になってしまいましたが、最近のわたしの「人生のテーマ」に関連した話です。つまり小説家はどれほど「よき市民」であるべきか、ということ。小説家が特別な社会的存在だと考えるべきではないとも思うのですが(ましてや、わたしのようなエンターテインメントの小説家は)、せめて週に5日は本来の仕事に専念したい。また、しなければならないでしょう。

仕事場の前にはチェーンを張り渡すことができます。わたしの顔の前にも、同じことができないものだろうか。


頭が働かないので、録画しておいた映画を観る。
ベン・スティーラーのナンセンス・コメディ『ズーランダー』       
デビッド・ボウイやら、ミラ・ジョボビィッチ、ジョン・ボイトたちが豪華に出演。ナタリー・ポートマンもカメオ出演してました。ファッション業界を舞台にした「スポ根もの」「007」「巻き込まれ型サスペンス」の大パロディです。わたしには、『オースティン・パワーズ』よりも面白かった。ベン・スティーラーは脚本、監督、主演の三役。才人です。

2004年8月3日(火)
パエリア試食会

雨含みの曇り空。気温は28度くらいまで上がったようです。このくらいまでなら、暑い、と言わずに過ごせますね。

『幕末・技術官僚の系譜』第3回送り。
北海道新聞コラム『干し草通信』原稿送り。

加古川の殺人事件のテレビ・ニュースを見ていたら、鑑識捜査員が着ている紺のジャンパーのひとつには、背に「N.Y.P.D.」の文字が入っていました。まさかと思い、べつのチャネルのニュースを観ると、こちらでもたしかにひとり、この文字入りのジャンパーを着ているのが見えた。兵庫県警には、ニューヨーク市警おたくがいるのでしょうか。

夜、隣町の某ホテルで、町興しのひとつとして、パエリアとダッチオーブン料理を試す会。お客には、町と道の関係部署のお役人さんが四人きておりました。
緊張しながら作ったパエリアは、用意してもらった材料が豪華版だったので、これまでで一番の出来(そんなに不安定ではいけませんね)。お世辞もあったと思いますが、大好評でした。
ムール貝の代わりにアサリを用意してもらったのですが、バカ貝がムール貝の代わりになったのではないか、とは食べ終えてから出た意見。なるほど。となると、いよいよ隣町には、パエリアが似合います。

みなさんは、ビールやワインを飲みながらの試食。わたしは、ノンアルコール・ビールだけ。ちょっと寂しかったな。

ブログのほうに、掲示板「8月のカフェ」を新設しました。

2004年8月2日(月)
叔母を見送る

涼しくなりました。ほっ。

『幕末・技術官僚の系譜』第3回終える。
北海道新聞コラム『干し草通信』


朝5時半起床。6時に車で仕事場を発ち,根室へ。叔母がきょう、根室港からエトロフ島へ向けて出発したのです。墓参団の一員。わたしは今年は荷物運び役を引き受けられなかったので、せめて見送りだけでもと、根室へ走った次第。

今年のエトロフ島行きの船は、北海道が所有する漁業取締船・北王丸。これまで北大の調査船とか、小型の客船が使われましたが、この船はなにせ「取締船」なので速いとか。でもそのぶん、中の設備はあまりよくないでしょうね。もう70歳近い叔母がちょっと気の毒です。


『週刊! 木村剛』というブログで、おもしろい「事件」についての書き込みを読みました。ライブドアの堀江社長のブログに対して、共同通信の編集委員・小池という人物が共同通信編集委員のブログ(これはライブドアのサービスを使っている)で、批判した。これに対してコメントがどっとついたのに、小池氏は以降、いっさいブログを更新しなくなったのだとか。言うだけ言って、消えてしまったわけです。

読んでみると、小池氏の書き込みは単なる「独白」というものではなく、堀江氏のブログ読者に対する呼びかけなのですね。書いたことの責任が発生する種類の文章。となると、消えてしまった小池氏は分が悪いと思う。でも、もしかすると、小池氏はブログの性質を理解せず、呼びかけのつもりもなしに、呼びかけふうの「締め」で文章を終えた、というだけなのかもしれません。新聞のコラムならそれでもよかったのでしょうが、新聞とちがってブログであれば、呼びかけられたと感じたら、読んだひとは反応します。小池氏は、そのことを想定していなかったのかな。


『負けてたまるか! 青色発光ダイオード開発者の言い分』(中村修二、朝日新聞社)
前の勤め先を訴えて、研究者として604億円の対価支払いの判決を勝ち取った中村氏の主張。週刊朝日に連載されたエッセイです。生い立ちから、いまのカリフォルニア州サンタバーバラの暮らしの紹介をまじえ、訴訟に至った経緯を紹介しています。

この訴訟に関しては、世論もはっきり二分されていますね。経済界の反応も分裂しているように思います。だけど、その分裂の軸がいまひとつ分からない。。「中村氏の主張に賛成あるいは反対」を分けるものはいったい何なのでしょうね。

わたしは、中村氏の言い分は正しいと思う。地裁判決は妥当。

日亜化学工業という会社、中村氏の処遇次第では、日本で一番人気のある企業になったでしょうに。こんな訴訟(会社のほうが先に中村氏を訴えた)をやってたら、今後人材は集まらなくなると思うのですが。

2004年8月1日(日)
きょうも同じ書き出し

きょうも、最初に書くことは同じ。暑い。

モバイルPCを持って、地下収納庫に避難。
『幕末・技術官僚の系譜』第3回。

午後に雷雨。このときはすべてのPCの電源を落として用心。予想したとおり、短い停電が3回ありました。

『彼女のくやしさがわかりますか? 女子高生コンクリート詰め殺人事件』(死刑をなくす女の会編、社会評論社)

15年前に一度出た本の新装版のようです。最初の版についての情報が奥付にも明記されていないのですが、同じタイトルだったのかな。部分的な加筆もあるようです。というあたりがわかりにくいので、紹介するのに、ちょっととまどいますね。

あの事件についてのマスメディアの報道ぶりを、徹底的に女性の側から検証した本。新聞、週刊誌は当初、被害者の少女を非行少女と決めつけて、拉致・監禁の事実に疑問を投げていたらしい。当時わたしが講読していた新聞は一紙だけでしたが、さほどそのような印象は感じておりませんでした。この印象、わたしだけなのかな。どうして逃げなかったの、という疑問はわたしも感じたけれども、それはほんとうに疑問であって、少女の人格の判断ではなかった。 

いま、従犯の少年が下獄して、また監禁・暴行を犯したというタイミングですので、新装版も出た意味があります。このところ、事件の映像化やコミック化も続いているらしい。その風潮に抗議の意味もこめての新装版刊行なのかもしれません。

こういう事件で、死んだ被害者についても匿名報道がふつうになったのは、この本の著者さんたちが「なぜ実名報道なのか」とメディアに問いかけ、抗議してきた、その結果のようです。その運動の経緯をまとめた本、という性格もあります。

ともあれ、事件が事件ですので、読後感はあまりよいものではありません。本の最後に、公判の論告要旨が掲載されていますが、これを読むと、わたしの気持ちはまた厳罰主義へと大きく触れますね。

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