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佐々木譲へのメールはこちらから

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2004年6月30日(水)
南知床市はいやだ

集英社新書Web連載『幕末・技術官僚の系譜』開始。江川太郎左衛門英龍の2回目。
当然のことながら、日経マスターズ連載の小説『英龍伝』とはちがい、技術官僚としての英龍についてのみの再検証です。 

集英社新書のホームページはこちら

斜里町が、「知床町」へ町名改正を考えているそうです。知床半島が世界自然遺産に登録されそうなので、このブランド地名をいただこうということのようです。
羅臼町・中標津町の合併後の新市名としても、「南知床市」が候補に上がっているらしい。軽井沢をどこまで広げるんだ、という気分に似たものを感じますね。
朝、このニュースを読んで、羅臼・中標津の新市名募集がきょうまでだったことに気がついた。
「南知床市」なんていう物欲しげな名にはなって欲しくないので、あわててわたしもふたつ、eメールで応募しました。

ひとつは「標津市」 歴史的な地名を生かすなら、これがいちばん自然。そして飛び地合併がいずれ標津町の合流によって解決されるという可能性を見据えるなら、あえてこの地名を新市名につけておくべきでしょう。当分は、釧路市と釧路町が併存しているのと似た状態になりますが、そう長い期間とはならないはずです。

もうひとつ、こういうセンスは支持されがたいかなとは思いつつ、応募しました。
「武四郎市」
幕末の地理学者、旅行家、松浦武四郎の名を、多少はゆかりのあるこの地で引き受けてはどうかと。松浦武四郎は、和人ではありますが、アイヌのひとたちにもネガティブな印象は持たれていない人物です。侵略、征服のイメージはないはず。苗字ではなく、下の名のほうを地名にすると、けっこうインパクトもあるでしょう? これならわりあい早く全国的に認知されるような気がしますが。
 
オカリナの練習、いきなり二日続けて休み。一日五分、やるつもりだったのですが。

夜からプチ嵐。瞬間的な豪雨。それでいて11時には月が出ていました。

2004年6月29日(火)
未来××都市TOKYO

涼しい。きょうは最高気温も18度くらいだったでしょうか。夜は霧。
北海道新聞コラム送り。

集英社新書Web連載『幕末・技術官僚の系譜』、アップの前にもう一回チェック、と思っていたら、手違いでアップされてしまいました。あわてて再校正。

同連載第2回にかかる。史料、資料類の読み直し。


Newsweek日本版の6月30日号の表紙コピーはこうです。
「未来都市TOKYO 上海よりホットでNYよりクールな 最強の国際ビジネス都市へ」

ところが中身の記事はまるで逆なのですね。東京はいまや上海に圧倒されつつある、という論調。東京は国際都市としての条件も整っていない、という特集として読めます。表紙のコピーは、スポーツ新聞的見出しになっている。末尾に「?」をつけて読むべきです。

昨年、ペンクラブの訪中団のメンバーとして上海作家協会のひとたちと懇談したとき、三好徹団長が上海作家協会のトップ(女性作家です。名前失念)に言いました。
「(北京)オリンピックのあとは、上海も急速に国際化しますよ」
三好団長は、たぶん東京オリンピックを体験した後の東京の変貌を想い描きつつ発言したのでしょう。これに対して、相手は面白くなさそうな顔で言ったものです。
「上海はもう十分に国際的です」

中国について情報も体験も豊富なはずの三好徹氏ですら、たぶんまだ中国のパワーについては偏見があるのですね。素直に見れば、東京はすでに経済の活力と将来性で上海に、政治の発信力で北京に負けている。欧米系企業のアジア拠点が、どんどん東京から消えているわけですから、たぶん国際性という点でも、東京はすでに、上海を下に見ることはできない位置にあるはずです。

でも、東京のお役人たち、Newsweekの地下鉄車内吊り広告だけ読んで、まだまだ東京だよ、と安堵したのだろうな。

もうひとつ、マスメディアから。
今朝の北海道新聞は、道警本部の元生活安全部長(ほかにも署長を経験したほどの幹部)の証言を掲載しています。当然のことながら、裏金作りがあった、不正があった、と認めるもの。
注目すべきは、生活安全部長という立場ですら問題にできない裏金が、部下たちのあいだにあったことを証言していること。裏金作り問題は総体としては警察庁ぐるみで行われている構造的不正ですが、道警本部では、中堅幹部クラスのあいだにも、上司が手出しできない裏金作りのシステムができているわけです。アメリカの警察腐敗についての情報を読むような気分だな。

2004年6月28日(月)
日本語サンプル

晴れ。午前中は仕事場の清掃。
午後から北海道新聞コラム。
夜から霧雨。


スイス・バーゼル在住の中川祥治さんというリュート奏者さんから、メールをいただきました。
中川氏は、「通奏低音」という音楽用語が文学作品の中で多用されることに興味を持ち、ご自分のホームページの中に、これについての考察「通奏低音用例集」というページを開設しています。そのページに、わたしの作品中の「通奏低音」という言葉が出てくる文章を引用させてもらえないかという問い合わせでした。
わたし、3つの作品で使っていたとは意識しておりませんでした。専門家から見ると、もしかすると誤用かもしれませんね(いや、きっとそうでしょう)。なんと書かれるか心配でもありますが、引用を拒む理由にはなりません。お手柔らかにと願いつつ、了承。

中川さんのホームページは
http://nakagawashoji.fc2web.com

ちなみに、わたしのサイトのテキストは、Microsoft社の日本語解析の材料に使われています。たぶん同社が日々大量に集めている日本語テキストのひとつ。同社から、無料で使わせてくれないかと依頼があってオーケーしたのですが、これって、たいがいのホームページがそうなのだろうか。


生活にメリハリをつける、そのための対策第一弾、オカリナの練習開始。オカリナを送ってくれた友人の勧めでは、一日に五分でいいからとのことでした。
入門書をぱらぱらと見ると、オカリナでけっこうな曲が吹けるのですね。高望みはしませんが。

指使いを練習しながら、そう言えばPCでローマ字入力もできるようになるため、シューティング・ゲーム式の練習ソフトを買ったのだと思い出しました。あれもまだ途中だった。

2004年6月27日(日)
二日酔いで仕事場へ

二日酔いで、仕事場に戻りました。
メールをチェックし、緊急のメールに返信。養生中の芝生に水撒き。
当地、カラカラ天気が続いていたようです。仕事場から牧草地を見ると、刈り取りの終わっていない部分は、緑というよりは、かすかに黄色みがかっている。まるで晩秋の草地。

夕方6時すぎに、テレビ・ニュースを観ながら眠ってしまう。7時くらいに目覚め、また首の肉離れなど起こしてはかなわないと、ベッドに。夜9時過ぎまで眠る。お酒と暑さで、体力をちょっと消耗しましたか。いつも上京のときは、目一杯に用事を入れてしまうせいもあるでしょう。なんたって、面と向かって話す人の数が、ふだんの生活の数十倍です。その落差で、けっこうカロリーを消費してしまうのだと思います。

先日書いた、テレビ・レポーターが持っていた黒いモバイル・ノートの件。VAIOの505EXTREAMではなかったかと、知人からメールをもらいました。やはりあれが気になったひとはいたのですね。SONYのサイトで製品を確かめてみたところ、軽いほうのタイプは重さが785グラム。なるほどこの重さなら、右腕に載せて読むことは可能だな。


日経ビジネス6月28日号に、三菱自動車についての新しい記事(同誌は特別のチームを作って毎号追いかけていますが)。
タイトルは「『戦犯OB』守って現役は涙。三菱自、人災経営の清算いまだ成らず」

問題を引き起した経営陣、とくに中村裕一元会長らが、巨額の退職金を受け取っておきながら、マスメディアの取材にも一切応じない。片一方で、社員は実質2割近い減収、残業代も出ていないし、冬のボーナスもゼロというのですから、この会社はどうなっておるのかと、外の人間だって気になります。

三菱では、明日の株主総会で、幹部の複数が、2階級降格となるそうです。これはリコール隠し問題の責任者の処分ということではなく、ダイムラー・クライスラーの抜擢人事で、いわば「飛び級した」幹部に対する、「三菱の価値観」に戻すための人事なのだとか。三菱の価値観の結果があのリコール隠しなのですから、これは自分たちの企業犯罪についての居直りだと言ってもよいのではないだろうか。

これに対して、有能な若手社員たちの流出が続いているそうです。部課長たちは、ヘッドハンターから電話がかかってくると、自分の引き抜き話かと喜ぶけれども、部下の話だと知ると落胆している、という、嘘かほんとかの話を紹介しています。降格させられた幹部たちも、いずれ三菱に辞表を叩きつけるのはまちがいないでしょう。

2004年6月26日(土)
新宿のありふれた夜会

昼、神保町で、毎日新聞担当編集さんに会って、エイジャン・ノワール・シリーズの件の相談。『ららら科学の子』と、設定が「似ていると言えば似ている」問題について。
担当さんは、当初構想どおりでもまったく問題はないと思うが、最後はわたしのモチベーション次第だ、との判断。構想どおりでもよし、構想とは違う作品を書くことになってもかまわないとのことです。自分の気持ちが落ち着くまで結論を出さないことにしました。

その打ち合わせのあと、書店めぐり。

さらに台東区役所に不在者投票(期日前投票)に。新しい制度では、わたしのような単身赴任者も、仕事をしている土地で投票ができるようになったのですね。新名称のことも、その制度のことも、まったく知りませんでした。宣伝不足じゃないかな。

期日前投票をすませた後、上野から秋葉原へ。パソコン・ショップのひやかし。
Thinkpad X40を初めて手に取ってみましたが、軽い。いまのX31を早く減価償却して、買い換えたいものです。

夕方、新宿でオフ会。新宿に着いたのは、待ち合わせの30分前だったのですが、暑くて暑くて、30分何かして過ごすだけの体力がありません。適当なショットバーに飛び込んで、生ビールを一杯注文しました。若いバーテンダーが、やたらに明るく、軽い。こちらが一見の客なのに、じつに上手に応対してくれて、オフ会がなければそのままそこに沈没してもいいぞと思ったほどでした。
身体を冷やし、休めてから、忍沢さんが幹事を引き受けてくれたオフ会へ。会場は、末広亭そばの居酒屋です。大きなテーブルを囲んで歓談。お料理はかなり手のかかったヨーロッパ家庭料理ふうのものが中心で、よいお店でした。

オフ会に参加してくれたみなさんは、例外なしに温かく、深い。勇気づけられます。

オフ会の二次会は、ゴールデン街で。『新宿のありふれた夜』のマスターのモデルがやっている店に行ったのですが、事前には連絡していなかったので、マスターは不在。仕事(本業はお芝居の演出家)で角館に行っているとか。マスターのお姉さんがカウンターの中に入っていました。

さすが、三日間飲み続けると、体力が限界ですね。東京の暑さにも、やはりいまはもう身体がついてゆきません。

2004年6月25日(金)
心にゃ硬派の血が通う

タイトルは、『東京流れ者』の一節です。『ららら科学の子』の矢作俊彦氏のことを書こうとしたら、この歌詞がふいに思い出されました。

昼間、某社編集担当さんと、雑談まじえての打ち合わせ。

夕方から、山本周五郎賞、三島由紀夫賞の記念パーティ。ホテル・オークラ。
三島賞受賞の矢作俊彦氏を知人に紹介してもらい、『ららら科学の子』の感想を直接話しました。
「あの作品のほんとうのテーマソングは『東京流れ者』ですね」と言ったところ、「炯眼です」との答。『ららら科学の子』は、ベルリンの壁崩壊のあとに、渡哲也主演の映画の原作として構想された作品だとのことです。ああ、なるほどと、いっそうよく納得。

こういうパーティに出るのは久しぶりだったので、多くの同業知人、担当編集さんらと歓談しました。ちょうどいいタイミングだったか、『天下城』の感想を口にしてくれた方が多かったな。
「あれは三部作ですか」と、あるひとが訊いてくれましたが、そうだ、わたしはあの続編もぼんやりと展望していたのでした。天正遣欧使節の一員でヨーロッパに渡った戸波次郎左の物語があるじゃないか。彼を帰国させれば、戦国版『寒い国から帰った』男のストーリーができる。

パーティでは創造意欲を激しく刺激されて、わたしは多少ハイになったかもしれません。

パーティの後の二次会として、山本賞受賞の熊谷達也氏を囲む会に関係者からお誘いを受けました。「熊谷さんの作品(『邂逅の森』)は読んではいないので」と断ったのですが、かまいませんよと会場の地図を渡される。わたしの担当さんもかなりこちらの会に行く様子でしたので、にぎやかしになればよいかと、銀座のワインバーでの二次会に参加。そうすると、宴もたけなわのころ、突然挨拶しろとのご指名です。
狼狽。「すいません、熊谷さんの作品を読んでいないのです。流れで出席したのでした」と告白しましたが、熊谷さんに対してとても失礼でしたね。
恥ずかしさで、会場から担当編集さんのひとりと一緒にこっそり退散しました。自己嫌悪。作品を読んでもいないのに、こういう集まりに出てはいけない。

逃げ出した後は、某文壇バーで謹んでご接待を受けました。その店は一年半ぶりぐらいでしたが、いっときは閑古鳥が啼いていたのに、けっこうな賑わいでした。25日の金曜日のせいか、それとも日本経済回復の証左なのか。自己嫌悪を愚痴りつつ、ガブガブとお酒。

2004年6月24日(木)
復活せし者

上京。角川春樹氏の「復活の日」パーティが、ニューオータニで開催されたのです。前にも書いたとおり、わたしは6年越しの不義理を背負っておりますので、この会を欠席するわけには行きません。発起人代表は森村誠一氏。わたしは羽田空港から直行し、ニューオータニの中で、パーティの前にひとつ打ち合わせしてから、参加。

「復活の日」会場は、推理作家協会などの文学系のパーティとはかなりちがう雰囲気でしたね。もちろん作家は多く出席していましたが、ジョー山中、三田佳子、津川雅彦、渡瀬恒彦、松任谷由美ら、芸能人がけっこうな比率。政治家の顔もありました。瀬島龍三(敬称略)があいさつしましたが、わたしはこの人物の顔を初めて見ました。

角川春樹氏は、さすが入獄直前に胃を切ったせいもあってか、少し痩せた印象でした。でも、ずっとそばにいたひとに聞くと、下獄直後よりかなり元気になっているとのこと。たしかに、ご本人の挨拶も、気合の入ったものでした。
さ、春樹事務所『うたう警官』あと三分の一。

パーティのあとは、春樹事務所の担当編集さんと女性作家さんふたり、計四人で赤坂見附のバー。
出たところで、某紙編集部から、ファクスを見て欲しいという電話。もう一軒行きたいという気持ちもありましたが、あわてて帰宅して、ファクス確認。電話でやりとり。

2004年6月23日(水)
一番草の刈り取り始まる

快晴。周辺の牧草地では、一番草刈りが始まりました。刈るだけではなく、きょうのうちにロールまで作ってしまったところも多い。
たしか去年は天候不純で、7月なかばまで一番草が刈れなかったのではなかったろうか。今年は日照も十分、気温も夏らしいところまで上がっています。酪農家さんにとっては、いい夏ですね。

某国際機関に勤めるK氏が、今年も某大学での講義のために当地へ。例年は11月なのですが,今年は6月になった。氏は近所の離農農家跡を別荘としているのですが、6月の当地は初めてだそうです。このいい季節をいままで知らなかったとは。
そのK氏を中心にして、ちょっとだけお酒。 

きょうの昼間のニュース。新大久保の女子中学生による幼児突き落とし事件。フジテレビのニュースだったと思いますが、現場からの中継画面に目が引きつけられました。若い女性レポーターは、ノートブックではなく、モバイルパソコンを右手に持ち、これを横目で読みながらレポートしていたのです。右手が重そうでしたが。
お、このモバイルはどこのメーカーの何?と確かめる余裕もないうちに画面は変ってしまいましたが、機種は何だったんだろう。黒っぽいモバイルノートでした。
いまは、あのような事件の取材現場でも、手書きでメモするのではなく、いきなりPCにローマ字入力(たぶん)、というレポーターがいるのですね。この発見って、遅すぎますか。



このホームページ『くろふねノート』に、先日の浦賀歴史研究会の方からのメールを追記しました。これで『ペリーの白旗論争』『高麗環文書真偽論争』も決着がついたことでしょう。

2004年6月22日(火)
自己責任選挙

雨。午後に上がり、夜になって濃霧。
午前中に散髪。ヤマトの営業所へ。スーパーで買い物。

『うたう警官』続き。先を進めつつ、前に戻ってプロット微調整。


先日書いた畠山清行氏の著作について、すがやみつるさんからも、掲示板のほうに貴重な情報をいただきました。それにしても、花村萬月氏もすがやさんも、読書テリトリーが広い! 
また、おふたりとも、惜しみなくこういう情報を教えてくれる。わたしは、自分がこの業界でこのようなひとたちと並んで仕事をしていることを、とても光栄に思う。

某紙社会部から電話がありました。今度の参院選をなんと名付けるか、その心は、何を期待するか、というもの。
マスメディアからこういう電話があることはうれしいのですが(なにせ語りたいことが多いから、このようなサイトも開設しているわけですし)、でも、わたしは時評的な発言は意識的にあまりしていない。記者さんは、あいつならこういう政治マターについて何か意見を持っているだろう、と、どのような根拠で考えるのだろう。ちょっと不思議です。年金の問題なんて、質問されても、すぐ言葉がまとまって出るほど、考えを整理しているわけではないのですが。
でも、もしかして、わたしはここで、自分で思っている以上に、時評的発言をしていますか? 


ちなみに、最初の質問についてだけ、わたしの答をここに書くと。
「自己責任選挙」

近い将来、わたしは自分が「それもこれも日本人の自己責任だろうよ」という日がくることを確信している

2004年6月21日(月)
イタリアンでゆこう

ネット接続不能の件で、きょう、サービスマンさんにきてもらいました。ルーターが発信規制をかけていたそうです。最初はサーバが受け付けないか何かのトラブルだったらしい。アクセスに数回失敗したので、ルータが自動的に発信規制したのでした。設定に少し手を入れて、電源を入れ直して復旧。サービスマンさんも、このトラブルは初めて、と言っておりました。

お昼すぎに、弟子屈に住むライターの西川栄明さんが来訪。夫人を中標津空港まで送っていった帰りに、寄っていってくれたのです。
西川さんは、以前は大手出版社員として札幌に勤務していたのですが、北海道を離れたくなくて退職し、弟子屈にログハウスを建てて移り住んだ。夫人は同時通訳というお仕事。おふたりは弟子屈をホームベースとし、日本を、というか、世界を股にかけて仕事をしています。きょう西川さんに訊いてみたら、やはり移住当時構想していた、年に5、6回取材に出かけて、あとは弟子屈で執筆する、という生活が、もう望むべくもないのだとか。かなり頻繁に本州へ、あるいは札幌へ出かける暮らしだそうです。

西川さんの新刊は、『手づくりの木の道具、木のおもちゃ』(岩波アクティブ新書)

台風の影響でしょうか。午後から霧。霧雨。待望のお湿りです。
 
『うたう警官』続き。

『イタリア人の働き方 国民全員が社長の国』(内田洋子、シルヴィオ・ピエールサンティ、光文社新書)
イタリア的職業人生を紹介する読み物。著者が前書きで書いているとおり、取り上げている職業人の数が少なすぎますか。イタリア的、と呼べるだけの傾向を知るには、もう少し例が欲しい。とはいえ、女性の靴磨きとか、ハム職人、地ビール醸造家など、イタリア社会らしい職業から、イタリア人の人生観と暮らしが見えてきます。読んでいるうちに、とくに期待もしていなかったことですが、妙に日本の未来について楽観的に思えてきました。そうか、日本人はイタリア人になればいいのか。

世界一美しいカシミア製品のメーカーとして、中部イタリア・ベルージャに近いソロメーオ村のクチネッリという会社が紹介されています。このレポートが事実なら、この村は企業城下町としての理想郷でしょうね。ないものねだりを言うなら、そこがトヨタや日立の城下町とはどの部分が違うのか、経営者の理念以外のものも比較して紹介してくれるとうれしかった。

紹介された企業のうち、磁石玩具『ジオマグ』のメーカーと、プレス機の『マンツォーニ』は、この新書のコンセプトには合っていない例のように思うのですが。家族経営ではありますが、基本的な性格はバブル期のイケイケ系企業のようです。『ジオマグ』の会社など、リゾート開発でつまづいてしまうのではないかな。イタリア人もいろいろだ、ということでしょうか。

イタリアの人口は5千7百万人で、法人登録は2千万社だそうです。サブタイトルにもあるように、イタリア人は、労働人口はみな事実上、週末企業家でもあるということになります。

2004年6月20日(日)
少し減速

きょうは蒸しました。気温は昨日と同じくらいでしょうが、曇り空で、かなりの湿度。汗をだらだらかきながらの仕事です。この湿度は、台風のせいだろうか。

明日からは、仕事は収納庫でやるべきかしもしれません。何か事故が起きたとき危ないから(周囲が気がつかないから)、収納庫では仕事をしないほうがいい、とも忠告を受けているのですが。

『うたう警官』続き。
昨日までちょっとハイペースでしたか。きょうは少し減速。



昨日、花村萬月氏からメールをいただきました。一昨日『下山事件』の関連で少しだけ触れた『何も知らなかった日本人』(畠山清行)というノンフィクションについての情報です。花村さん、読書のテリトリーが広い!

『週末起業チュートリアル』(藤井孝一、ちくま新書)
著者の前作『週末起業』(ちくま新書)と併せて読むべき本でしょう。ホワイトカラーにずいぶん読まれているようですが、かなり誤読もされていると思う。著者は、独立起業を勧めているのではなく、あくまでもホワイトカラーに対して、「会社から自立した大人のサラリーマン」となることを勧めているのです。もっと言ってしまえば、これは独立のハウツー本ではなく、大人のサラリーマンとなるための精神論です。

生活スタイルの変革の勧めとか、ネットワークの重要性の主張とか、その精神論のひとつひとつは、たとえば「年収300万で生きよ」という提案よりはずっと現実的で実際的とは思います。ただ、著者が週末起業に向いた業種として勧めるものが、各種のコンサルタント、というのは、かなり苦しいものがあるのではないだろうか。たしかに、ホワイトカラーが自分の経験と知識を生かせるローコストの起業と言えば、そういうことになるのかもしれませんが、たぶん市場はそれほど大きくない。
それとも、著者が想定している読者が、かなりのハイレベルのひとなのかな。たとえば、会社員時代の大前研一のクラスとか。でもたぶんあのぐらいのホワイトカラーになると、この本を手に取る前にすでに、会社から自立した大人のサラリーマンでしょうね。

突然ネットにつながらなくなってしまいました。ハードウェア障害というメッセージが出るのだけど、原因不明。この近況をいつアップできますか。

2004年6月19日(土)
ビ、ビール…

きょうも暑かった。空気はカラカラ。裏庭の芝の種をまいたスペースが白茶けています。午前と午後、一回ずつ散水。
 
『うたう警官』続き。

お昼ごろには、きょうはビールを飲もうかという気分になっていました。誰か気軽に誘いに乗ってくれないものかと、ひとり友人に電話したら、参院選に向けて地区の集会があるので駄目、という無念の返事。世間はそういう時期に入っていましたか。しかたありません。ひとりで飲むと決めて、冷蔵庫を探すと、缶ビールが二本入っていました。十分です。

夕食を軽くすませて、8時には仕事を切り上げました(仕事が進んでいるので、気持ちにも余裕)。
ひんやりとした収納庫に入り、ビールを飲みながら、ひさしぶりにCDを大きな音量で。

田舎暮らしのよいところのひとつは、オーディオ装置の音をどんなに大きくしてもよいことですね。ライブには行けない代わり。
凝ったシステムを持っているわけではありませんが、スピーカーはダイヤトーンのDS−77Z(全然高級品じゃないでしょ)という割合大きなもの。この仕事場を建てたとき、これで存分に音を出せると、中古で買ったのです。
買ったとき、オーディオ・ユニオンのお兄ちゃんは、勧めない、という顔で言いました。
「いまの技術なら、この音を出すのに、このサイズは必要ないんですよ」
わかってはいるのですが、予算もある。大きなスピーカーにも憧れてきたのです。

A・J・クイネルの『メッカを撃て』という作品に、マレーシアに住む元イギリスのスパイが登場します。彼の屋敷はジャングルの奥にあり、川に面している。その川の向こうのジャングルの中には巨大スピーカーが設置されていて、元スパイはそのスピーカーでベートーベンを大音量で流して聴いているのでした。ちょっと憧れるオーディオ環境です。

知り合いの酪農家さんは、トラクターにけっこういいカーオディオをつけて、エンジン音に負けないぐらいの音量でクラシックをかけているのだとか。これも素敵な情景です。ショスタコービッチが似合うような気がするけど、これはソ連邦宣伝映画の記憶のせいかな。

2004年6月18日(金)
最高気温27度

暑い日でした。気温は27度まで上がったようです。

『駿女』ゲラ戻し。
『うたう警官』続き。
橋田信介さんを送る会、欠席のファクス。

知人からメール。札幌のある古本屋さんが言っていたとか。
「譲さん、時々バイクで近くの店に来てるよ」
わたしは20年来バイクには乗っていない。札幌にもいない。その「譲さん」は一体何者だろう。

身体が重くてたまりません。この春のストレスの時期の飽食が、いまになって身体に現れてきたようです。もしかすると、いまが生涯最重体重かもしれない。怖くて、ヘルスメーターに乗ることができない。早くプールに通う生活にしなければ。オカリナも待っている。


『下山事件(シモヤマ・ケース)』(森達也、新潮社)
評判になっているノンフィクション。下山事件そのものにはさほど興味があるわけではないのですが、事件後50年たってから発掘される真実とはどんなものか、気になります。

このフィクションは、週刊朝日編集部とトラブルがあったということで、その経緯も読者の関心を呼んだようです。「僕」という一人称で書かれたノンフィクションなので、取材の過程そのものも読ませどころなのだということなのでしょう。でも、下山事件のすっきりとした解釈、解決、を期待して読んだ読者には、この部分はややうるさい印象があります。 

本書の特徴はたぶん(類書をよく知らないのですが)、下山(総裁殺害)事件の黒幕を当時の国鉄副総裁と名指しした点、実行犯グループを亜細亜産業というキャノン機関の下請け機関だと指摘したこと、なのでしょう。

事件とその亜細亜産業との関連を、著者はずいぶんあっさりと見つけ、裏づけを取ってゆきます。わりあいすらすらとつながってゆくので、それってこれまで誰も気がつかなかったのか、という疑問がどうしてもふくらむ。ところが、全体269ページの本の224ページまできて、すでに1976年出版の『何も知らなかった日本人』(畠山清行、青春出版社)というノンフィクションが、亜細亜産業の関わりを指摘していたと、紹介されるのです(関わっていたことを前提としての関係者インタビューが掲載されている。キャノン機関のその関係者も、あっけらかんと亜細亜産業の関与を認めているのです)。 

このところ、もったいつけて、ネタを小出しにして、けっきょく最後は羊頭狗肉、というノンフィクションをけっこう読んできました。ひとつひとつ紹介しているわけじゃありませんが。
本書も、読んでいるあいだはけっこう惹かれつつ、224ページまできて、なんだ、新事実発見じゃないのか、という肩すかし感がありましたね。また、冒頭にも書きましたが、本書は下山事件についてのノンフィクションというより、下山事件を調べたフリージャーナリストの「僕」の物語、という性格の作品です。

下山事件という素材と、制作者側の個人的体験、成長、変化の過程をも提示するノンフィクション、という手法とが、うまく合っていない印象です。著者の映像ドキュメンタリー作品のように、オウム事件なら、その手法も事件を描くひとつの手だったのでしょうが。
 
ただ、橋田信介さんの著作同様、ジャーナリズムの二重構造については、勉強になるノンフィクションでした。

2004年6月17日(木)
三菱自動車のドラマ

きょうは寝坊。7時目覚め。

好天。せっかく整地した裏庭に芝の種をまいたのに、雨が足らず、地表がカラカラ。雨が少ないのはこの時期だけ、とは承知しつつ、やはり無理にでも水をまかないわけにはゆきません。設備に不足があるので、ホームセンターで散水用の器具を買ってきて、外水道から水まき。

『うたう警官』続き。

毎日新聞担当さんから、この近況を見たと早速連絡。こんどの上京時に相談することに。

橋田信介さんの『お別れ会』について、『イラクの中心で、バカとさけぶ』のアスコムから案内がきました。今週土曜日、19日。出席は無理。

推理作家協会からも、作協賞贈呈式とパーティの案内。こちらは29日。
今回は(今回も)わたしは出席できないな。地方在住のつらいところです。

次の産業小説のこと。
この次、産業をひとつ取り上げるとしたら、造船業界かな、という気持ちがありました。大きな船を造る技術者たちの話ではないかと。二年前、できたばかりの三菱重工長崎造船所資料館に行ったのも、その準備のため。ところが行った日の前日には、例の「ダイヤモンド・プリンセス」が建造工事中に出火、大きな火災となった。わたしは当日、真っ黒に焼けたあの船の真後ろを通って資料館に向かったのでした。構想がいきなり災害パニックものに変りそうな事態でしたね。

いま関心は、再び自動車産業に向いています。三菱自動車問題です。ひとつの巨大製造業が消えてゆくさまは、小説にはならないだろうか。そこにはドラマはないだろうか。
前にも書いたと思いますが、ケン・フォレットは、ひとつの銀行が放漫経営ゆえに破滅してゆく過程を小説にした。主人公に与えられた役割は、清算をきれいにやり遂げること。作者名を忘れましたが、たしか『サタデー・イブニング・ポスト』というアメリカの週刊誌が廃刊となってゆく過程を描いた『重役室』という作品も、面白く読んだ記憶があります。

ネットで、あらためて三菱自動車関係の資料を集め始めました。タイトルを見て行くと、三菱自動車の経営がずいぶん高く評価されていた時期もあったのですね。どの本もさすがに新品の在庫はないのですが。三菱自動車の経営のいったいどの部分が持ち上げられていたのか、読むのが楽しみです。 

2004年6月16日(水)
ららら東京流れ者

『うたう警官』巡航速度に入ったかな。

上天気。仕事場でPCに向かっているのが馬鹿馬鹿しくなるくらい。
昼過ぎ、外でぼんやりしていたら、懐かしい、というか、いまどき珍しい単気筒エンジンの音が聞こえてきます。おや、古いバイクに乗ったミツバチ族かしらんと道の先を見つめていたら、現れたのはバイク好きの友人でした。乗っているのは、ホンダのクラブマン(Clubman)。彼はこのバイクに、1年がかりでサイドカーをつけていたのです。そのお披露目の試走だった。
わたし自身は、84年に派手な交通事故を起こして以来、バイクはやめました。これからも乗ることはないでしょう。でも、サイドカーつき単気筒エンジン車に乗るこの友人の姿は、ちょっとまぶしく見えたな。


『ららら科学の子』(矢作俊彦、文藝春秋)
この「近況」では原則として、日本の作家の小説作品については触れないことにしておりました。狭い業界のことだし、ふとうっかり問題のあることを書いてしまわないとも限らない。ただし、書評を受け持ったなどの理由で、マスメディアにわたしの文章が載ってしまう場合は、その限りではないのですが。

本書は、じつは書評その他で内容を薄々知って、もしかすると毎日新聞のエイジャン・ノワール・シリーズの構想と似ているのではないかと心配していた作品。気になって手に取った次第。

わたしの構想している毎日新聞の書き下ろしは、言わば『寒い国から帰ってきたギャング』の物語です。わたしの作品の系列で言うと、『夜を急ぐ者よ』『夜にその名を呼べば』につながるもの。これも構想自体は、6、7年になるものなのですが。

本書は、大学のバリケード闘争の最中に警官を殺してしまった学生が、1968年の暮れに中国に亡命するという話。30年後に主人公が日本に密帰国したところから物語が始まり、彼はその30年間の空白を埋めるべく東京を彷徨います。主人公と同世代の者としては、随所でかなり涙腺を刺激されました。上質の感傷小説、と書いたら、著者は嫌がるだろうか。 

それにしても、ううむ。この設定は、わたしの構想に近いと言えば近い。ちがうと言えばちがう。担当編集さんと、ちょっと相談したほうがいいな。

タイトルは鉄腕アトム主題歌の一節ですが、本書のほんとうのテーマソングは『東京流れ者』です。このセンス、わたしには、「直球ど真ん中」でした。 

2004年6月15日(火)
ほんとうに怖いのは

引き続き『うたう警官』。
中断したので、またウォームアップが必要です。前のほうを直すことで、意識の切り換え。


午前中は雨。午後には上がり、夕方、ふと気がついたら、素晴らしい夕焼けでした。気づくのがちょっと遅かった。あの10分前なら、溜め息が出ていたことでしょう。

うちの犬の一匹は、素晴らしい夕焼けのときはときどき、その夕焼けのほうに顔を向け、腰を落として、じっと向かい合っています。夕焼けに感動している、と見えますが、どんなものでしょう。


『ぷちナショナリズム症候群 若者たちのニッポン主義』(香山リカ、中公新書ラクレ)
著者の本を読むのは初めて。よさこいソーラン祭りについて批判的な考察が書かれているというので読んでみました。
2002年ワールドカップの時期に刊行された本です。著者はあのワールドカップをめぐる日本の青年の熱狂にナショナリズムの高揚を見て「怖さ」を感じ、その将来にヨーロッパ諸国のような極右台頭の社会を想像します。かなり強い危機意識で書かれた論考。

そのナショナリズム台頭の傍証のひとつとして、著者はよさこいソーランを取り上げます(「YOSAKOIソーラン祭り」と書け、とは言わないでください。ネーミングとロゴタイプは違うのだし、わたしは横文字も特別の場合を除いて音を仮名表記する。たとえば、『ターミネーター』の主演男優の名を、わたしはわざわざローマ字で表記しません。芸名やイベント・ネーミングについて、メディアも、お馬鹿な芸能人や広告代理店の言いなりになることはないじゃないか)。

それはともかく、著者は「よさこいソーラン祭り」について、祭り批判者の気持ちを忖度するというかたちで、こう書くのです。
「(批判者は)いまのところは熱気あふれる素晴らしい祭り以外の何ものでもないよさこいソーラン祭りやここに現れる若者の行動パターンに、将来、日本がファシズムの国になるという幻影をいち早く見てしまっているのだろう。この敏感な彼らが見ているビジョンは、はたして単なる幻影で終わるのだろうか」

つまり、批判側のこの感受性に著者は同意しているわけです。わたしは、ファシズムには敏感だと自負する者ですが、でもよさこいソーランには、著者のような兆しは感じない。 ブログ北国tvでの論争を見ていると、むしろ批判する側(単に嫌うひとは別ですが)に明らかにファシズム体質が見て取れます。つまり、目立つこと、はずれたことをするひとへの、2チャンネル的反発。成功や称賛に対する、暗い妬みのような感情。よさこい批判は、イラク人質事件のときのバッシングにとても似ている。

著者が言う怖さなら、わたしはワールドカップやよさこいソーランではなく、むしろ甲子園野球のほうに感じます。とくに夏の大会の時期は、かつては息苦しくなったものでした。いま甲子園への熱狂はさほどではないと思いますが、ワールドカップやよさこいソーランが、高校野球に代わって同じ層を取り込んだ文化だとも思えないのです。
ファシズム台頭の兆しは、べつのものの上に見てゆくべき、と感じます。


お知らせ。
来週26日(土)、東京・新宿でオフ会を開催します。3月に板橋のオフ会で幹事を担当してくれた忍沢さまが、今回も幹事を引き受けてくれました。もし佐々木と一緒にビールを飲んでやろうと希望されるかた、まずは佐々木宛てにメールをください。あるいは、掲示板に何かひとこと、書き込んでいってください(『6月のカフェ』に)。

2004年6月14日(月)
『戦場特派員』を読む

『幕末・技術官僚の系譜』ゲラ戻し。
『うたう警官』に復帰。

日中、ゴミの処理、買い物その他の雑用。仕事場を三日空けると、けっこうこの手の仕事がたまります。

某紙学芸部から取材の電話。城の石積みの連載記事を予定しているので、少し話を聞かせて欲しいとのこと。喜んで、中世の城や穴太積みの魅力について語る。


『戦場特派員』(橋田信介、実業之日本社)
橋田氏が2001年12月に出した本。ベトナム戦争からパレスチナまで、世界の戦場で、まさにいつも死と接近遭遇しながらスクープをものにしてきた体験が語られています。冒頭は、1972年12月24日、クリスマス・イブのハノイ、ホアピン・ホテル。空爆が始まり、防空壕に逃げこんだ宿泊客たちのあいだで、ギターを引いて「We shall overcome」を唄い出す女性がいます。ジョーン・バエズ。やがて彼女に合わせて唄い出す人が出て、次第に歌声は大きくなり……と、じつに印象的なシーンから始まる回想記。

去年の『イラクの中心で、バカとさけぶ』とは、文体がまるで違います。『イラクの…』では、文章はもっとひょうひょうとして、とぼけて、ある種の達観を感じさせるものでした。でもあの文体がずっと橋田氏の文体だったわけではないのですね。こちらはけっこう生真面目であり、硬い。また、戦争否定のメッセージも、強い調子で記されている。もしかして、この3年のあいだに、何か橋田氏は、吹っ切ったのでしょうか。あるいは、何かを断念したか。最終章、2000年夏のパレスチナで、橋田氏はすでに疲れ切っている。

文体だけではありません。氏が亡くなった直後、氏の若いころの映像がニュース番組で何度か流れました。わたしが去年見た氏の顔とは、まるでちがう顔つきでした。別人のように見えて、驚いたものです。若いころは、はっきり言えば、切った張ったの人生を感じさせる怖い顔。たぶんそのころの氏は、毎日ロシアン・ルーレットの前に立つような生活を続けていた、ということなのでしょう。
読後、ちょっと粛然たる想い。

2004年6月13日(日)
札幌から仕事場へ

朝、9時半にホテルをチェックアウト。 
このホテルのシングルルームの料金、定宿になりつつあると先日も書いたホテルとほぼ同額なのですが、広さは半分あるかないかというところでした。札幌のオフィス街の真ん中にあるので、利用の理由によってはとても便利なのでしょうが。

ホテルを出て交差点を渡り、真正面にあるスターバックスへ。10時までコーヒーを飲んでから、北海道庁前庭へ。ここも「よさこいソーラン」の会場のひとつ。観客席はできておらず、無料。ここでも1時間、いくつかのチームのパフォーマンスを。

チームによっては、前振りというか、口上の長いところがあります。リーダーが、言葉であれこれ解説してしまう。でも、「よさこい」のようなパフォーマンスの前では、言葉は無力です。テーマの紹介すら、ほんとうは必要がない。なのに「この星に生まれたぼくら、世界の平和を願って、全員一丸となって踊りまあす」なんてことをわざわざ言う。空しい。もし言うとしても、「格好いいぼくらを観てください」ぐらいのことで十分ではないだろうか。

飛行場へ向かう前に、JRタワーの中の旭屋書店。1時半の飛行機で中標津へ。ペットホテルに寄り、犬たちを引き取る。メールのチェック。それから部屋の清掃。

隣りの標津町の住民投票がありました。「合併するか」「しないか」その意志を問うもの。70パーセント以上の投票率で、過半数が「合併しない」を選んだ。
これで、中標津町は、あいだに標津町をはさんだまま、その向こうの羅臼町と合併することが、ほぼ決まったということになります。ずいぶん不自然な町ができることになる。

その合併後につけるべき自治体(市に昇格予定)の名を中標津町役場が募集していますが、わたしは標津町との合併を視野に入れるなら、標津市、にすべきだと思っております。釧路市と釧路町があるように、同じ地名をつけた自治体が併存していい。10年後には、標津町の住民の気持ちに変化があるかもしれませんし。
でもこの住民投票の結果だし、たぶん自治体名からは完全に「標津」ははずされますね。巷間噂されているように「南知床市」になるのでしょうか。これはセンスが悪いし、「知床」ブランドに寄り掛かり過ぎの物欲しげな名前だと思うのですが。

2004年6月12日(土)
よさこいソーランにひたる

朝、新聞に、ちょっと興味深い出版広告。

昨日は、日中少々歩き回ったので、ちょっと疲れ気味。夕刻に友人と会うことにしたので、それまでの時間、よさこいソーラン祭りを観ようと決めました。これまでは立ち見で断片的にしかパフォーマンスを観たことがない。なので、きょうはきちんと席を確保するぞと大通り8丁目会場へ。

会場は札幌市内の全域20カ所にあるのだけど、この8丁目会場が、いわばセンターコートです。大通り公園8丁目広場に、大きなステージと観覧席が仮設されている。夕方以降のチケットは売り切れでしたが、日中の時間帯については、まだ当日券がありました。指定席1000円。
  
1時半で入れ換えなので、その直前まで観てから、大通り公園を出て昼食。
8丁目の観覧席はステージが遠すぎたので、午後は南大通りのパレード会場のほうで観ることにしました。道路際に作られた4段の観覧席なら、道を練り歩くチームを、間近に観ることができます。そのせいか人気なのでしょう。6丁目パレード会場の席は1500円。

音楽でもお芝居でも、ライブが持っている力は、たいへんなものだと思います。いいお芝居を観たあとなど、わたしは猛烈に執筆意欲が高まる。目の前で発散される積極的なエネルギーに、自分のうちのエネルギーも共振するのでしょうか。
これまでは踊りにはさほどそういう感覚を経験したことがないのですが(バレエとか、前衛舞踊とか、では)、このよさこいソーランでは、かなり自分の創造的エネルギーが刺激された気がします。音楽と踊りがあたりの空気をぶるぶると震わせるせいか、わたしの眠っていた細胞まで目覚めて起き出す、活発に動き出す、という感覚もあるな。また、踊っている女性たちの表情を見ているだけで、気分が明るく、前向きになってゆくのもわかる。楽しみました。

合計で60チーム分くらいのパフォーマンスを観たでしょう。その中のいくつかのチームでは、旗手(パトントワラー)の女性たちが、黒いタンクトップにやはり黒のゆったりしたパンツ姿でした。パンツは、裾を紐で縛るタイプ。野戦服のズボンのようなシルエット。なんと呼ぶパンツなのでしょうか。
この黒づくめの衣装、もともとは腹掛けに股引という伝統の祭り装束からの派生なのでしょうが、映画(ゲーム)の『トゥームレイダー』も連想させます。どの子も、格好よかったな。

また、パレード会場で観ていて、サンチアゴ・デ・クーバのカーニバルを思い出しました。あのカーニバルと較べても、こちらのお祭りの高揚感は、決して負けていない。北海道人って、意外にラテンの資質があるのかもしれません。

夕方から、ビアホールで古い友人たちとビール。

一緒に飲んだ友人のひとりも、「よさこいソーラン」が嫌いだと言っておりました。
北海道全体の風潮として、インテリほどこのお祭りを冷笑する傾向があるように思うな。たしかにテイストとしては、竹の子族、暴走族、漁師町イメージが濃厚で、そのテイストが生理的には合わないというひとも多かろうとは思います。

また、お祭りを始めた元北大生についても、毀誉褒貶激しい、というか、大部分のひとがあまり肯定的には言わない。でも、それって、ニセコのロス・フィンドレーさんが悪く言われるようなものではないだろうか。参加費用が高すぎるという件についても、それだけのお金を払っても参加したくなるようなイベントを作った彼の才能と組織能力を、まず認めるべきでしょう。彼がこのイベントの実行委員長として(かどうかは知りませんが)収入を得ていたとしても、それって創業者利益と呼ぶべきものです。

わたしは、6月のイベントと言えば北海道神宮例大祭だけだった時代の札幌には、もどって欲しくない。子供のころ、お祭り(当時は札幌神社祭り)の時期にはサーカスがきたけれど、片一方で、あのお祭りには、ヤクザの露天、の怖いイメージもしみついています。わたしには、ヤクザが仕切るイベントよりも、学生起業家の仕切る「よさこいソーラン」のほうがいい。

2004年6月11日(金)
札幌で用事

朝9時、犬たちをペットホテルに預けてから飛行場。10時発の飛行機で札幌へ。

用事は4時からなので、それまで『うたう警官』の舞台となるエリアを、写真を撮りながらあらためて散策。ホテルにチェックインした後、某氏宅へ。
半分は取材目的、あと半分は、いくつか理由があって、夕刻からは8人ほどでお酒の会。ツブ貝や毛ガニなど、オホーツク直送のものをさんざんごちそうになりました。取材のほうでは、興味深い資料をひと揃いいただいて、札幌に行った理由のふたつとも、充実したものとなりました。

おひらきになったのが、9時半ころ。けっこう暑い日だったし、札幌の街にはなんとなくよさこいソーラン祭りの最中の高揚した気分が漂っています。その気分を楽しみつつ歩いていたら、友人とばったり遭遇。友人も、お祭りの空気を楽しむために、仕事帰りに散策中だったのでした。即座にビールということになり、友人について薄野へ。

薄野は久しぶりです。札幌市街地の南側商店街が全体に荒れた印象になってきており、薄野も歌舞伎町化してきている。いいお店は薄野エリアから逃げ出しているのですね。お洒落な店はいまや薄野にはない、というのも、たぶん札幌市民のふつうの認識になってきているのではないだろうか。そんなわけで、わたしにとってはちょっと珍しい環境でのビールでした。

この日記は、13日に記述。アップ。

2004年6月10日(木)
『駿女』第1回送り

きょうは6時起床。

『駿女』連載54枚、送り。
タイトルは、これでゆくことになりそうです。

第1回分を書きあげたので、少しだけ中身を紹介しますと、『戦闘美少女』プラス『義経北行伝説』です。
義経生存説(衣川館では死ななかった)を採るわけではありませんが、藤原氏滅亡後の、義経を名乗ったともいう大河兼任という人物の乱(蜂起)が気になりました。『吾妻鏡』の、そこだけ妙に神話的と言えるような簡単な記述に、想像力を刺激されたのです。

歴史小説ではなく、時代小説です。12世紀の東北北部という記録空白の部分に、思いきり自由に「ありえたかもしれない物語」を書きます。

中央公論新社の新しい試み、Web上で連載し、同時に中間小説誌とはまたちがった体裁の(ちょうどPR誌のような)雑誌にも掲載、という形で発表します。7月10日から。
いま中央公論新社のサイトを確認してみましたが、この連載についてはとくにまだアナウンスされていませんね。わたしが早すぎたろうか。

『幕末・技術官僚の系譜』ゲラ直し作業。

2004年6月9日(水)
よさこいソーランが始まった

きょうは5時半起き。この時刻に起きられると、その日一日、ほんとに濃く感じられます。
午後には気分の余裕もできている。問題は、このリズムが乱れたあと、どの程度の時間でもとに戻せるかですね。

『駿女』連載第1回分50枚ほぼ終わり。明日送稿。
タイトル、このままでもよいかな。どんなものでしょう。もし違和感を感じられる方がいたら、掲示板にぜひ書き込みを。

よさこいソーラン祭りがきょうから始まりました。札幌のテレビ局は、浮き立ってますね。

北海道以外の土地のひとには、このお祭りの規模がちょっと理解しがたいかと思いますが、今年の場合330のチーム(阿波踊りの「連」を想像してください)が、5日間札幌市内のいくつも会場でパフォーマンスを見せるのです。 330チームの踊りって、ちょっと全体俯瞰も難しいくらいの量です。審査もおそらく相当に大変です。

札幌はかつて、1年でいちばんフィルムが売れるのは、雪祭りの時期と言われていました。この言いかたを真似ると、1年でいちばんビールの消費量が多くなるのは、この時期じゃないかな。けっして真夏や忘年会シーズンではない気がする。そのくらい、市民の消費行動が旺盛になる時期でもあるのです。札幌市も市内あちこちの商店街も警察も、このお祭りを盛り上げようと力が入るわけです。

あるビールのテレビCMが、北海道の夏の季節感を出すのに、このお祭りの準備を取り上げて毎年のシリーズにしています。これがほんとに、ビールを飲みたくさせるCMなのです。あ、もうそういう季節かと感じさせてくれる。このCMに出てくるチームの練習風景もいい。スポーツチームの練習とはちがう、楽しさと自己表現の喜びが伝わってくる。

毎年盛り上がる一方ですので(今年でたしか13年目という歴史の浅いイベントなのですが)、もちろん嫌うひともいる。わたしは、雪祭りほどコマーシャリズムが前に出てきていないと思うので、嫌いではありません。参加チームのパフォーマンスも、北朝鮮のマスゲームやプロ野球の応援とちがって、かなりひとつひとつ自由奔放、支離滅裂ですしね(個性的、とは言わないまでも)。

優勝チーム級になると、この時期だけじゃなく、1年じゅう道内あちこちのイベントに招待されることになります。おかげで、よさこいソーランに身を入れ過ぎた奥さんがご亭主と喧嘩してしまう「よさこい離婚」なる現象まであるのだとか。いいでしょ。


とまあ、札幌はいま、そんな季節なのです。というわけで、こんどの札幌行きの件では、ホテルのほう、どうするか、どうなるか、ちょっと悩みました。用件の関係者に、うちに泊まってゆけ、とも誘われていたもので。悩んだ末、きょうの午前中、先日1泊分予約したホテルに、連泊したいと電話しました。でも、満室。まあ、こういう時期ですからいたしかたないと思ったのですが、念のためいましがたネットで見てみると、部屋があるじゃないですか。キャンセルがあったのか、それともいまは、電話予約よりもネット予約のほうが優先なのか。即予約。ルームレスにならずに安堵。

2004年6月8日(火)
主張の裏づけ

きょうは早起きできず。ウォームアップにもやや時間を取られる。
『駿女』続き。締め切りまで少し余裕があるとわかったので、前に戻ってガンガンと修正。

こんどの札幌での用事、一日前にずれました。
なにせ、よさこいソーラン祭りの最中ですから、いまから予定を全部組み換えるのは厄介です。うしろの予定はそのまま、一日早く行くことに。
その用事は楽しみでもあり、また社会人としての義務でもあることなのですが、いまの生活では、こういう事情のときに、柔軟に対応できないのがつらい。けっきょく仕事を3日間休むしかありません。ホテルで原稿を書く、ということもできないことはありませんが、外がお祭りだという日に、わざわざ札幌市内のホテルで自主缶詰というのも馬鹿馬鹿しいことです。少しだけ、とほほだな。

わたしは、いつからオカリナの練習を始められるだろう。
 
浦賀の歴史研究会の方から、メールをいただきました。
このホームページ『くろふねノート』に書いた、いわゆる「ペリーの白旗」問題で、こういう史料がありますが参考までに、と。
これによれば、ぺりー来航の9年前、浦賀奉行所は、外国船来航の場合に備えて、欧米式習慣を長崎奉行所に問い合わせ、確認しているのですね(『新訂・臼井家文書』第4巻、横須賀史学研究会編。佐々木は未読でした)。
史料からは、この時期すでに幕府は「ヨーロッパ諸州では、軍船の式法として、敵船に使者を差し向ける場合は、使者の船に白旗を掲げる」という習慣を知っていたことがわかります。

やはり「ペリーの白旗」伝説は、後年になって作られた、かなり意図的な「お話」でした。
「ペリーが白旗を取り出し、これは降伏の合図だから降伏するときはこれを掲げてやってこい、と押しつけてきた。日本人はこのとき初めて白旗は降伏を意味するのだと知った」なんて説は、もう廃棄しましょう。

日本の各地でこのような史料を掘り起こし、地道に解読し続けている研究家のみなさんには、つくづく頭が下がります。この史実については、『幕末・技術官僚の系譜』の中でも紹介しようと思います。『くろふねノート』にも近々この件を追記。
浦賀歴史研究会、Oさま、ありがとうございました。

2004年6月7日(月)
きょうも早起き

5時半起床。
まだ完全に習慣化するには至っていませんが、それでもだいぶ早起きに慣れてきました。

一週間ほど続いた快晴も終わり。きょうは曇り空。夜から霧。

『駿女』継続。

『調べる、伝える、魅せる! 新世代ルポルタージュ指南』(武田徹、中公新書ラクレ)
たいへん実践的に語られるメディア・リテラシー論。帯のコピーは、この本の中身を誤解させていないかな。たしかにアポの取りかたから文体まで指南されるルポルタージュのノウハウ本という側面もあるのですが、だからといって必ずしも職業的ルポライターを育てるための技術指導書ではありません。著者が狙うのは「あくまでも主体的な調査と表現の技術を取得する」ための指導。活字と映像、両方のメディアが対象とされています。

最終章で、著者はあるノンフィクションを例に出し、そのルポライターが複数の人物を「プライバシー保護」という理由でひとりの人格にまとめた操作を厳しく批判しています。「文学的効果を狙うという『欲』を出した」と著者は書きます。取り上げられたルポは読んではいないのですが、あとがきで種明かしをされて「鼻白んだ」という著者の感想には共感できる。

この例とはちがいますが、わたしもときおり、日本のノンフィクションを読んでいて、そのルポの中に出てくる人物を、「あ、これは架空の存在」と思うことがある(たぶん実作者なので敏感に感じ取れるのでしょう)。そこまでドラマチックにしなくても、と感じてしまうのですね。いや、その人物が実在した可能性はありますし、ひとつひとつ確認が取れるわけでもない。でも、どうしても「作っている」と感じることがある。ルポルタージュの場合、事実を記していながら読者に少しでもそう感じられたら、それは表現にどこか問題があったのです。

本書で著者が取り上げたそのノンフィクションの場合、あとがきで告白しているからまだ誠実だと言うべきなのだろうか。いや、やはりわたしも、「なんっちゃって」と言われたような気分になるのは間違いないな。

ということなど考えさせられました。教えられるところの多い新書です。

2004年6月6日(日)
快晴続く

双葉文庫版『エトロフ発緊急電』が昨日刊行です。
これは「日本推理作家協会賞受賞作全集」というシリーズの一冊。新潮文庫版もそのまま生きております。


『駿女』(仮題)に復帰。


橋田信介さんの前著『戦場特派員』(実業之日本社)をAmazonに注文したのですが、注文したときは在庫ありだったのに、品切れの連絡。残念。でも、わたしのような(こういう事態になってあわててその著者の旧著に手を伸ばす)読者も多いはずです。きっと増刷になると思いますが。

月の輪書林に注文していた本が届く。
この古書店の目録は、テーマがいつもディープです。今回は「李奉昌不敬事件予審訊問調書」というもの。テーマと在庫内容が、呆然とするくらいにまったくわたしの関心には引っかからないときもあります。今回買った本も、テーマとは、ずれたところから。満州関連と、60年代の映画評論集など。 


『「挫折しない整理」の極意』(松岡英輔、新潮新書)
これはじつに実用的な整理術のノウハウ本。野口悠紀雄の「押し出しファイリング方式超整理術」というのも、ずぼらな人間向きの整理術でしたが、それでもまだわたしのようなタイプの物書きには合わない部分がありました。こちらなら、できそう。コンセプトの根幹はこういうものです。「物を片付けるのではなく、物の流れを整理する」

整理術というのは、けっきょく(おおげさに言うなら)そのひとの生きかたの反映に他ならないのですね。その意味では、この著者の人生観にはうなずけるところ大です。ファッション雑誌編集部、広告代理店などに長く勤めた方のようですが、広告に振り回されない「リベンジ・ショッピング」を説くのも愉快。50歳で北海道・十勝に移住、という人生にも、興味がわきます。いまは著述のほかには何か仕事をされているのだろうか

2004年6月5日(土)
PC不調、重い

6月になったのに、この近況ページ、分割を忘れておりました。とりあえずきょうから、新しいページ。

デスクトップの新しいほうのPCが不調です。不安定で、極端に重い。メモリーが足りなくなってきているのだろうか。こちらは主にネット用なので、仕事は続けられますが。


集英社『幕末・技術官僚の系譜』(仮題)、第1回原稿送り。


『マンガ金正日入門 北朝鮮将軍様の真実』(李友情、飛鳥新社)
鈴木輝一郎氏がサイトで紹介していたので注文。金正日がいかにして今日の権力を手に入れたか、その過程と、金正日のキャラクター、生きかた、暮らしぶりを、マンガで解説してくれます。リアル。
92年クーデター未遂事件の事情が描かれていますが、これについてはもっと切迫した大がかりなものだったと勝手に想像していました。でも、未遂、と呼べるようなものでもなかったのですね。

『シェイクスピアを観る』(大場健治、岩波新書)
先日、お芝居関係の友人と、例の『蜷川ハムレット』を話題にしたので、その流れで手に取った本。2001年の刊行です。
シェイクスピアの作品の解釈・解読ではなく、上演(あるいは映画化)の歴史をざっと概説しています。とはいえ、なにせ400年の歴史のことですから、シェイクスピアを英文科で勉強したというようなひとには、たぶん物足りないのではないかな。わたしには十分なボリウム。
「シェイクスピアの演出には溜息が出るほどに先例が見つかる」と記されています。同時代のひとのレビューさえ残っているのですから、先例を探そうと思えばほんとにいくらでも出てくるのでしょうね。野心的な演出家であればあるほど、やりにくかろうかと思います。

こんな一節もありました。
「発見者のジョン・ペイン・コリアはシェイクスピア関係の文書贋造で悪名高く……」
どんな文書を贋造したのか、読んでみたい気になりますが。

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